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10月7日から5回目の安息日

やっとnoteで書き記す気持ちになった。
エルサレムに空襲警報が鳴り響いた10月7日から今日で5週間目。
あの日も安息日で、ユダヤ新年の最終日、シムハット・トーラー(律法の喜び)と呼ばれる祭日に当たる日だった。

朝8:00に突然、けたたましい音のサイレンが鳴り響いた。
イスラエルではメモリアル・デーなどの日にサイレンが鳴る習慣があり、寝ぼけていた私は一瞬何が起きているのか理解できず、「シムハット・トーラーはサイレンがなる習慣なんてあったっけ?」などと思ったりしていた。

だけど、だんだんそれがただのサイレンではないことに気づいた。
メモリアル・デーでのサイレンは上下する音の回転の尺が長い。
ところがこの日のサイレンはその尺が短く、警戒心が煽られるような響きだった。え?こんな朝に?なんで?頭が軽くショートしながら、アパートの階段へ向かった。うちのアパートは大英帝国時代に建てられた建物なので、いわゆるシェルターがない。そういう場合、安全なのは建物の階段部分が避難先とされる。

慌てて、階段の踊り場へ出て行き、数分した後、上から「バン!バン!」という爆発音が聞こえてきた。これは飛んできたロケット弾を迎え撃つ迎撃ミサイルが追撃してロケットを爆破する音。これを聞いた瞬間、「これはただことではない!」と一瞬めまいがした。

なぜなら通常エルサレムは聖地であり、イスラム教でも神聖視されているアル・アクサーモスクと黄金のドームがあり、当然イスラム教徒であるアラブ人が多く住んでいるので、ガザを実効支配するイスラム原理主義・過激組織であるハマスもエルサレムに向けてはロケットを撃ってこない、という暗黙の了解があった。しかし、こんな早朝からエルサレムにロケット弾が飛来してくる、こんなことは今まではあり得ないことだった。

さらにロケット弾はその後もエルサレムへと飛来し続け、朝の8:00から12:00までの間に4回もの空襲警報が鳴り、その度に階段の踊り場へと逃げて待機した。その間にガザに近いイスラエル南部ではとんでもない大虐殺が起きていて、道端に転がる遺体が映るSNSの投稿に、隣の部屋の人も「フェイクニュースなのか?!」と、にわかには信じられないと言った様子だった。しかしそれはフェイクなどではなく、本当に現実に起きていることで、さらに「ガザから3000人のテロリストがイスラエル領内に侵入した」という情報が流れ、青ざめた。見境なく人を殺めてしまう集団がやってきてしまうかもしれない。祭日のムードは一気に吹き飛び、私たちは一気に恐怖の淵に立たされた。その日は共同の出口も、各人の部屋の鍵も固く閉ざして一歩も家から出ずにいた。その間にも空襲警報が鳴ってくる。

どこか違う世界に紛れ込んでしまったかのような、気味の悪い浮遊感で満ちていた。そこから5週間経った今。連日のようにイスラエル・ハマスの戦いについて、世界中のニュースが連日トップトピックとして報道する事態にまで発展した。

私はここで、大変小さくてとりとめもないことかもしれないけれども、この間私がこの目で見てきたこと、感じたこと、聞いたこと、そんなようなことを綴っていきたいと思う。

一刀両断できる単純なものごとではなく、マーブル模様のようにあらゆることが歴史、宗教、パワーゲームなどを介して混ざり合う。その中で生きていくこと、私の目と心というフィルターがかかっていると思うけれども、何も言わないよりはましかもしれない。そんな願いを込めて、次の回への続きとします。

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