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不安でいるよりは不幸でいることを選ぶ

今日はオタクの独り言です。

テレフォン人生相談の加藤先生がおっしゃってたんだけど、人は「不安でいるよりは不幸でいることを選ぶ」傾向があるそうなんですよ。

なんか、たまにペン(ファン)の人のSNSで、推しが虐げられていて可哀想、推しが悩んでいて可哀想、思ったように活動できていなくて不憫、ファンが何も考えてない馬鹿が多くてしんどい、なんで理解してくれないんだろう、みたいな内容を見かけたりするんだけど、これも、”そうやって考えて悩んでいる不幸な私”を選んでいるのかもしれない。

じゃあ、この人たちの”不安”はなんなんだろうなって思ったら、ファンをやめること、彼らを嫌いになることなんだと思う。
ファンをやめたくなくて、不幸な私を選んでいる。

本来、誰かを好きになって応援することは、幸せなことじゃないですか。
幸せでいてください、って彼らも言うように。
だけど、彼女たちのSNSはちっとも楽しそうじゃない。

人生は楽しいものじゃない、だから仕方ない。
手放しで楽しむには、気になる問題が多すぎる。

そうかもしれない。
確かに、世界は火薬の匂いに満ちていて、誰かが勝手に始めた戦争で、毎日多くの人たちが死んでいく。
自分一人が何か援助や署名をしたところで焼け石に水だなと思う。
その無力感の中で、手放しで楽しめるだろうか?と。

だが、自分自身の問題には目を向けているのだろうか。
自分がきちんと幸せにならないといけない、という問題だ。
人は悲劇に酔いしれていると、自分の問題から目を背けることができる。
その悲劇に共感してくれる”同志”がいると、より一層それは強化される。
(そうか、こんなふうに悩んでいるのは私だけじゃないのか)という安心感と満たされる承認欲求。

一番の問題は、自分がきちんと幸せにならないといけない、ということだ。

それに向き合わないで、蔑ろにして、好きな人たちの幸せや、世界の幸せをどう願って実現させるのか。

この独り言を書いているのは、自分がその”不安より不幸を選ぶ人”になりかけていたからだ。
タイムラインがそういう話をする人ばかりで埋まった時期があって、(まぁ、自分が選んだタイムラインなんだけど笑)これじゃ彼らのことを嫌いになっちゃう!って思った瞬間があった。

人間一人が生きるということは、実はとてもシンプルなのかもしれないのに、システムがそれを許さない。
そのシステムにばかり目を向けることで、シンプルであるはずの”生きる意味”から離れていってしまう。

全然話が違うが、先日伯母が亡くなってお骨を拾ってきたんだけど、納骨の係の人の箒捌きが本当に綺麗で、プロだなぁと感心してしまった。
そしてその方が、喉仏で、座している仏様を作った時に、今までどれほどの仏様を遺族に見せてきたのかなと。

最期は、小さな仏様になる。

それが、明日なのか何十年後なのかはわからないが、とてもシンプルだなと思った。

話が逸れたけど、つまり何を思っているかというと、
不幸でいることをすぐに止めないといけないな、ということ。
そして、一時期不安に向き合ってでも、ちゃんと幸せに生きることが大切だなということ。

独り言、終了。

来週は文学フリマ。
帰りに餃子とビールが食べられるくらい、売れたらいいな。売れなくても楽しめたらいいな。

最後まで読んでくれた稀有な方、ありがとうございました!ではまた!


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