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間違いながら生きている

こんばんは!

今日、ふと頭に浮かんだ言葉がありました。
「わたしたちは常に間違いながら生きている」
というものなんですけど。

なんかあまりにも”正解”や”正しいこと”を重要視しすぎるあまりに、間違いを許さない空気が暗黙のうちに作られて、そういう空気の中で生きているうちに、間違ってもそれを認めないとか、間違いを他人に指摘されたときに逆ギレするとか、そういうことが起きている気がしています。

間違ったり、認識が甘かったり、無知ゆえに人を傷つけてしまった時、
「間違っていました。ごめんなさい」
を、もっと楽に言えたらいいなと。

そのためには、自分は"間違いながら生きる生き物だ"というのを認めることが必要な気がしました。
その間違いを少しずつ直したりしながら、少しでも良い生き方をしていきたいなって。

わたしも、もう大人をやらせてもろて数十年経つわけで(急なエセ関西弁どうした)、どんどん頭も硬くなって、変なコダワリみたいなものに固執してしまうかもしれないなと。
でも、何歳になっても考え方はアップデートできるということは諦めずにいたいです。

なんか、すごく柔らかい言葉を使ってSNSをやっていても、実は考え方がガチガチに固まっていてそれが透けて見えてしまう、だいぶ大人の有名人とかを見るたびに反面教師、反面教師、反面教師、と念仏を唱えてますもん。


少し話は変わりますが、最近お友達が紹介していたこのブログを読んでハッとしたんですよ。

https://koke-koke.hatenablog.com/entry/2024/01/06/233434

春田と牧がサラッと結婚してることになってるけど、そうだよな、と。
そして、わたしも1話を見ていた時に、ゲイである武川さんが会社で朝イチからマッチングアプリしてるのを、面白い〜と思ってしまったんだけど、よく考えたら、それってもしかしたら
”ゲイの人はアプリとかで好みの男性を常に探している”
みたいな、すごいステレオタイプな偏見かもしれないなと。
もし異性愛者の男性が朝からマッチングアプリしてたら、違う感想を持ったんじゃないかなとか。

ドラマなんだし、エンタメなんだし、もっと気楽に見て笑って楽しんだらいいんじゃない?と思う人も沢山いるだろうし、その楽しみ方を否定はしないです。わたしも基本は楽しんで見ているし。
でも、こういうブログを書いてくれた人の気持ちも大切で、自分はエンタメを見て「あれ?」と思う感覚があったとしたら、それを失わないようにしたいです。

そして、きっとただ楽しんで見ていた人の中にも、こういうブログを読んだり、違う印象を受けた人のSNSとかを見たことで、日本の制度や社会の構造に対して違和感を感じて、違う視点も持って見てみようかなって思う人がいると思うんです。それが制作陣が意図しないことであったとしても。ドラマや映画の存在理由の一つでもあると思っています。

エンタメって楽しんで見るものだと思うけど、(おや?)って思ったら、変な同調圧力に負けずに自分の気持ちは表現した方がいいですよね。
オタクたち、基本は楽しい集団だけど、気をつけないと同調圧力ある時あるよね……。

と、なぜか急に脱線したんですが、書きたいことの方向は一緒です。

人は間違いながら生きる、それはおかしなことじゃなくて、普通なこと。
あまり自分の知識や考え方を過信しすぎず、でも大きい声に巻かれず、同調圧力に屈せず、考え方をアップデートしながら、間違った時にはちゃんと謝ることのできるいい人になれるように生きたい。

でも、これをやりすぎると自分がしんどくなっちゃうこともあるから、疲れない程度に、しんどくなったらSNSとかから離れるようにしながらですね。

ということで、2024年はまたこんな風に思ったことをつらつら書く機会を増やしていきたいなと思っています(一応、新年の抱負的な)。

あと、2024年は、寄稿がしたいです。
突然の抱負大会。
年末に寄稿話(言い方)を聞いてから、寄稿したい!って思って。
そういう機会があればぜひお声がけください!!

なんか、人のためや社会や世界のために良いことをしたり考えたりも大切だけど、自分の望みもちゃんと聞いてあげたいですよね。

あと、2024年の望みはね、キムソクジンさんに会うでしょう?
作ってくれたお酒も飲むでしょう?
あたらしい冊子も作りたいでしょう?
やりたいことたくさんです。

では、少し遅くなりましたが、本年もよろしくお願いいたします。


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