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インクの出ないボールペン

その人は随分と几帳面な人で、鉛筆で丁寧に書かれた書類には、断りとして「家にボールペンのインクがなくて鉛筆ですみません」と書かれていた。
そんなこと気にしなくても、公的な書類じゃないからいいのになぁ、と大雑把な私は思いながらも、こまめに連絡をしてくださることは、仕事の上で助かっていた。

先月、「新しい自転車を買うのですが、古いものは粗大ゴミに出すから少しの間自転車が2台に増えてしまうのですが、いいですか?」と電話があった。
「新しく買うところで引き取ってもらったりできませんか?」と聞いたら、もう動かせない自転車だから、と言っていた。私は「他の入居者さんの迷惑にならなければ大丈夫ですよ」と伝え、そのまま電話を切った。
給湯器を変えた時も、業者が来た時と帰った時に連絡をくれて、社長にお礼を伝えてくださいと言われた。

年齢は私と同じくらいか少しだけ上な感じの女性で、福祉の手助けで一人で生活をしていた。家賃を払いにお店に来ることもあった。少し変わったところがあるかな?という印象はあったけれど、とにかく几帳面でおとなしい方だった。

クリスマスが明けた月曜日、彼女は亡くなった。
その時、真っ先に思ったのは、最後に何を話したかな?傷つけるような、落ち込ませるようなことは言わなかったかな?だった。
多分、自転車の話をしたのが最後だったと思う。

鍵を取りに福祉の人が来た時
「なんとか願望が元々ある方だったので」
と言った。
"なんとか願望"という、専門的な言葉が聞き取れなかったが、いい言葉ではないのはすぐに分かった。
「そうでしたか」としか言えなかった。

家の更新手続きをしたばかりで、給湯器も変えて、新しい自転車も買って。
でも、そんなことは、"なんとか願望"の前ではなんの意味も持たないのだな、と。

彼女のいなくなった部屋のことを想像する。
狭いワンルームでバストイレ一緒の小さな風呂場がある部屋だ。
窓は一つしかない。
その部屋にはインクの出ないボールペンしかないのだろう。

”なんとか願望”から解放されて、せめて安らかに。

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(追記)

年末にちょっと暗い話を書きましたが、読んでくださってありがとうございます。
このことがあって、誰かとした会話が最後になるかもしれないことを常に頭の片隅に置きながら生きたいなと、改めて思いました。
また、自分の書いていることや話していることが自分の最後の言葉にもなるかもしれない、という意味でも気をつけたいな、と。

一昨日も有名な韓国の俳優さんが亡くなったニュースが入ってきて、動揺した人も多いと思いますが、言葉は人を簡単に殺めるのですよね。
「自分一人が言ったって関係ない」なんてことはなくて。
その言葉に宿った"貶めてやろう"という負のエネルギーってすごいんです。
「自分一人が〜」っていう沢山の人たちの、そういう負のエネルギーを集めて増殖していく。
だから、自分一人がそういうことを言わないように、書かないようにすることがとても大切だと感じます。

なんか大真面目になっちゃった。
基本はふざけ倒したいのに!

では、また!

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