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清水晶子さんの不誠実さへの反論

「書き手の器が知れる」とまで言われてしまってはさすがに反論しないわけにはいかないので記事を書いています。

①私はトランスを嫌悪していません。もし清水さんの言う「トランスフォビア」というのがトランスをシスと完全に同じものだとみなさないことだというのであれば、それはそうかもしれませんが、私は可能な限り相手が「シスとトランスは完全に同一だ」という思想をお持ちの場合には私の考えに反するとしても相手の考えを尊重し、そのように扱うようにさせていただいています。(トランス男性はシス男性のような男性特権を行使できない場合も多く、女性差別を受ける場合も多いと私は考えていますが、相手の思想に合わせて「トランス男性も男性なのだから特権的立場として女性に対しては配慮すべきだと主張する」などもその一例です)

②私は清水さんとは意見が違いますが、清水さんの人格を攻撃しようとしたり、器が小さいなどと中傷をしようとは思いません。あなたがしていいのは「私の意見への反論」までであって、私の人格などを攻撃するのは間違っています。それは議論ではなくただの悪口です。あなたのような学者が、そのような恥ずかしい真似をするのは恥を知れとしか言いようがありません。

③あなたの考えをあなたがどのような形でまき散らそうとそれは自由です。私は表現の自由を支持します。それと同時に、私は私があなたと違う考えを持つことを表明する自由も支持します。繰り返しますが、私はトランスジェンダーがシスジェンダーと完全に同一の体験を持つわけでも、完全に同一の悩みを持つわけでもない(それぞれがそれぞれしか知りえない体験や悩みを持つ)と考えています。それは決してトランスフォビアではありません。多様性を尊重するということは、自分と相手が同じものだと思考停止することではなく、違いがあるのを理解した上で折り合いをつけていくことであると考えているというだけです。

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