芸術とエンタメの必要性と言語化の功罪
こんにちは。
このブログでは「自分の人生を自分らしく生きるために」をテーマに教育、子育て、転職、投資などの話題や情報をお届けします。
昨日、美術館へ行ってきました。
そこで感じたこと考えたことを書きたいと思います。
行ってきたのはヤマザキマザック美術館です。
美術館はビルの4,5階に入っていて美術品も素晴らしかったです。
公共の美術館のようにあらゆるものを置いてあるのではなく、個人が好きだと思った作家や時代を中心に展示されているようで、明るい雰囲気のなんとなくロマンチックな作品が多かった印象でした。
明るい雰囲気の作品が多く私好みの作品が多いため非常に楽しめました。
加えて、個人でこれだけのものを集めたのかということと、もともとヨーロッパの貴族や皇族の家にあったような絵などが日本で見られるということにも感動しました。
そうした感動をは別に2つほど考えました。
1つは芸術やエンターテイメントと必要性です。
芸術やエンターテイメントは生きるのには直接的には必要ないと言われます。私はそんなことないと思います。
少なくとも私はそうした芸術やエンターテイメントなしで毎日仕事して帰って食事して寝るだけという生活には耐えられそうにありません。普通に生命の危機を感じてしまいそうです。
私が生きて仕事をするためには芸術やエンターテイメントは必要です。
それでも、食事や睡眠のように毎日、一定のリズムで身体が欲するものでもないため忘れがちです。
意識的に芸術やエンターテイメントに触れるようにしたいと思いました。
2つめは鑑賞の仕方なのですが、絵を見ていて解説を聞く、つまり言語化すると絵を見て感じたことが収束するということです。
量子力学で観測すると結果が収束するという現象がありますが、イメージでいうとそんな感じです。
だから解説なんて邪道だとか言うつもりはありません。
解説を聞くことで背景がわかって様々な想像が拡がります。
ただ、そうした背景を持った絵というように言語化するとそこに収束するのです。
これは、美術に限らないような気がします。
すべてのことは言語化すると収束するのです。
だから、頭の中のもやもやしたものも言語化するとスッキリするし、日本になかった概念のものが外国から言葉とともに輸入されることによって、収束(スッキリ)していくのです。
言語化することの効用と同時に、絵の鑑賞などでは感覚が収束されてしまうのだなと考えました。
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