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私のキャリア最大の挫折体験談1★A story of my biggest career setback part 1

ごきげんよう!
投稿2回目です。まだ正直投稿することに慣れてませんが、書くことは意外と好きです。

キャリアを積んでいくと、誰でも自然に壁にぶち当たる時があるのは当然です。まずは私の一番辛かったキャリアの挫折ストーリーからシェアしていきたいと思います。長文なのでPart 1とPart 2に分けて投稿していきます。

前代未聞の8ヶ月に及ぶ25回の面接を乗り越えて


アメリカのITグローバル上場企業で働いていた時の話です。当時から、ある程度の大きさのベンチャー企業で、現在はグローバルで25兆円越えの利益を出している成長している企業です。私が33歳の時にヘッドハントされ、8ヶ月に及ぶ面接期間にトータル25回の面接を経て、34歳の時に日本支社の立ち上げを任されるゼネラルマネージャー(日本支社社長)に就任しました。25回の面接?!何それ?!と思う方がきっと多いのではないかと思います。面接といっても典型的な面接だけではありません。その会社の製品についてだけディスカッションする面接や、その会社の企業文化と私自身がマッチしているかなどを審査するための面接や、海外から日本に取締役レベルの方々がいらっしゃった時にお食事をしながら面接されたりなど多岐に渡ります。面接官はもちろん海外に住む外国人の方々ですから、当時はSkype面接が中心でした。最終面接は飛行機でアメリカ本社まで行き、C-Level (CEO, CMO, COO, CIO, 他VPs など)の方々8人に対して、それぞれ個別に私が作成した日本のビジネスプランのプレゼンテーションを一時間づつ行いました。朝の9時から夕方17時30まで、休憩時間もどなたかが付き添ってくださり(それも面接!)、ノンストップで行いました。今思うと飛行機で現地まで面接しにわざわざ12時間以上かけて1泊3日で行くなんて考えられない気がします。

8ヶ月の長いプロセスでしたので、最終的に彼らが私を選んでくれて合格した時はとても誇らしかったですし、自分に自信がついたような気がしました。当時フルタイムの仕事をしながら、色々準備をしてやり遂げた成果を認めてくれた事に対する喜びのほうが大きかったかもしれません。その時の私には不安という言葉は頭にはなく、新しいチャレンジに対してのワクワクする気持ちで一杯でした。

アメリカ本社でスタートそして東京へ


私がこの会社に入社した時には、既にアメリカ本社が10人の日本人メンバーを採用していた為、彼らと同時に入社しました。大体のメンバーがアメリカ本社まで行き、入社後のトレーニングを受けました。その時に初めて一緒に働くメンバーと顔合わせをしました。ほとんどの人のバックグランドは日系か外資系の大手出身者で、私だけが外資系スタートアップ出身者でした。正直少し驚きました。カルチャーがどれだけ立ち上げに重要か経験して知っていたので、これから大丈夫だろうかと心配になりました。元々前向きな性格の私は、そこはあまり考えないようにメンバー全員とお互いを知るために努力しました。大手出身の皆さんは、カルチャーショックをして戸惑いながらも、本社の自由な雰囲気を楽しんでいらっしゃったのを覚えています。

本社から日本に帰国した後は、本社から創業者兼CEOと役員の数名が日本のオフィスオープニングのために来日しました。うちのサービスが既に再販パートナー企業を通して日本でも少し使われていた経緯があったため、一部でのファンは多く、お披露目パーティーと呼ばれるような関係者300名程呼んで行ったイベントも大盛況でした。私も一人のスピーカーとして登壇をさせて頂き、いい感じのスタートを切ったと思いました。

日本のオフィスは7つの部署に分かれていて、営業、カスタマーサクセス、マーケティング、エンジニア、採用担当、ローカラゼーションなど営業やオフィスマネージャー以外の人たちはグローバルにも上司がいる、所謂dotted line (直属の上司と直属ではないがレポートをしなくてはいけない社内での上下関係の人が2人いること。)の人たちが多く在籍していました。当たり前のことですが、その方々のグローバルの上司達は日本の文化も日本のビジネスの知識もゼロでしたので、私たち日本チーム全員が彼らを教育していく立場にありました。

私にとっての障壁


日本のオフィスでビジネスを開始して数か月後、社内の雰囲気がギクシャクし始めました。企業文化が合わない人たちと他のメンバーの歯車が合わなくなってきました。大手出身者の方々の中には英語はそこそこ理解は出来ても外国人と仕事をすること自体が初めてで、基本的な海外のビジネス文化を理解することに苦労している方もいました。カルチャークラッシュと呼ぶのでしょうか、私もリーダーとして相互を理解させることが出来ず悩み始めました。私自身もカルチャーが完全にアメリカ本社寄りだった為、日本とのバランスをどうとっていいものか困惑もしていました。私1人ではどう対処する事もできずシンガポールにいる上司に相談すると、「私がリーダーであるのだから、リーダーはどんな人でもマネージできるはずだ。」と言われました。上司は私にアドバイスやサポートをしてくれることもなく、かなり孤独感を感じました。また上司も同じく日本については知識はゼロでしたので、毎回オフィスのメンバーと1オン1・個別で面談をするたびに、彼らの本音が読めずに困ると日本の文化の建前本音が全く理解できないと嘆いていらっしゃいました。

入社後アメリカ本社で私が感じた嫌な予感は的中しました。

オフィス内の雰囲気は悪化し、一部の信頼関係はガタガタ、裏で悪い噂を立てる人まで出てきてしまい、半数のメンバーからは私も信頼されなくなりました。リーダーとしての自分の能力が疑われ、テストされているかのようでした。不幸中の幸いだったのが、入社後直接採用した何名かの営業の方々のおかげでビジネスの方は順調に進んでいました。

結局、再度上司に相談をしたところ彼が次回来日した時に一度ミーティングを開き、上司を含めてオフィス全体会議を開く事になりました。その日が来ると、私と上司で考えたメンバー全体に送る内容のスピーチを私が英語で行い、上司もそれをサポートするかのように基本的なこの会社の理念やビジョン、東京オフィスでの目標などを改めてコミニケーションしたのでした。

数日後上司がシンガポールに帰国した後も、オフィス内の状況は変わらず、とうとう私は大きな決断をしました。このメンバーの中にいるToxic people (有害な人達)を退職させることを上司にリクエストしたのです。もちろん大きなリスクとは分かっていましたが、私の今までの経験上ゼロイチで海外のビジネスを日本で立ち上げるときにこのような人たちがいる限り成長はこれ以上望めないと強く信じていいましたし、過去にこういう選択肢も一つの選択肢ということを尊敬する昔の上司からも学んでいました。

私の上司は私に、「君がゼネラルマネージャーなのだから、どんな人間でも、いくらToxicでもマネージするべきだ。」とシンプルに答えました。上司からしたら全てはリーダーの責任で、リーダーがなんとかするべきなのだ。という考えでした。彼の言っていることは確かに正論と言えるでしょう。ただ、なぜこのような状況に陥ったのかを私としては認めて欲しかったのだと思います。この直属の上司とは8ヶ月間に及ぶ25回の面接のプロセスを一緒に踏んできたわけで、私の事を慎重に選んで採用してくれた人でもありました。それもあってか、私は余計に自分の判断や自分を信用してくれないことがとてもショックでした。

悔しい決断


そこからは私自身が、下り坂真っしぐらの前が見えない状況に陥りました。

オフィス内では相談できる相手もおらず、私のパートナー(現旦那さん)やバリキャリの友人たちに相談していました。相談していた1人のアメリカ人の親友がたまたまアジアに出張で中国に来ていたその帰りにわざわざ東京に遊びに来てくれた時の話です。私の家に泊まっていたので私が睡眠もろくに取らずに仕事をしていた姿を見ていたのかと思います。ある日彼女と朝まで踊りに遊びに行った後、私は寝ないでそこから仕事をし始めました。その姿を見て彼女はこう忠告してくれたのです。”This company will eat your soul.” -この会社はあなたの魂までも奪っていくわ。さあ、もう無理はしないで。彼女の存在がなぜか私にはそう聞こえたのでした。

結果として、私は入社後約7ヶ月で退職しました。1番の大きな理由は、私がこの会社で成功出来る道はないと悟ったからです。

上司が私の決断をサポートしてくれなかったこと、私自身を最終的にリーダーとして信用してくれなかったこと、そうであれば私はこれ以上この会社で成功することは出来ない。そう確信したのでした。本社の役員達とも話し合った上での退職でしたが、私にとっては自分の力不足だったと認めるしかなく、結果を出してやり遂げる事が出来なかった事の恥と悔しさで一杯でした。

25回の面接で私の何を見てくれてたのだろうか。8ヶ月も頑張って合格したポジションだったけれど、自分に合ってなかったと言う事だったのか。どこで私は間違ってしまったのか。自分と会社に対する怒りが込み上げてきて逆に悲しくなりました。

唯一、本社の役員たちは立ち上げメンバーの採用ミスをした事実を100%本社側の責任だと言うことを認めてくれました。リーダーを先に採用してからリーダーと一緒にチームの人たちを採用していく事をしなかった結果、メンバーの数名が明らかに本社のカルチャーとフィットしなかった事に対して反省をしていました。日本のような非英語圏のマーケットへのビジネスの参入にはもう二度とこのようなやり方で人を採用しないように教訓を得たのでした。本社の採用チームや数名の役員は私にリーダーとして成功させる道を与えることができなかったと謝ってくれました。しかし、直属の上司や彼の上司、また創業者兼CEOは辞める時に話もヒアリングもしてくれず、とても冷淡で、私がリーダーとして未熟で失敗したのだと思われているのかとそう感じても仕方ありませんでした。

この後、退職を前にして私には想像もしていなかったことが起きてしまいます。

Part 2へつづく。










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