三浦大知の『球体』が刺さって半年(感想)

2018年5月、某女子大の中にあるホール・人見記念講堂の7列目で私はとんでもない公演を目撃しました。三浦大知のアルバム『球体』独演。

リリースから半年近く経った今も、このアルバムが私に与えるインパクトは衰えず、今キーボードを叩いています。

実はこのインパクトはファンに留まらず、いわゆる”音楽玄人”界隈にも爆風を吹かせた作品でした。三浦大知をMステに出るポップスターとしか評価していなかった人々の心にもがっつり爪痕を残し、「三浦大知はエキサイ兄さんじゃなかったのか」と話題になりました。2018年最高傑作と評する人も少なくなかった。安室奈美恵が引退しようと、宇多田ヒカルが初恋を歌おうと、ノーマークだった三浦大知が異常な完成度で『球体』を発表したことはそれくらい事件だった。

『球体』は全曲暗いです。アンビエント、チル、プログレッシブ……音楽玄人界隈の皆さんはこう表現しました。孤独をさりげなく美化するような温かさがある。

思えばこれまでの人生
海原に浮かぶ一艘の舟
身を粉にした対価で
どうにか防ぐ波風
(『序詞』)

歌詞に海出しちゃったら一発でチル、チル確定で孤独、だけど独りよがりじゃない感じ。「人生」と書くあたり渋い。

いつだってそうして気取っていた
たった数色を重ねて絵を描いていた
人々を連れ去る飛行船が向かう
本当の行き先も まだ知らずに
(『飛行船』)

「分かっていた気でいた自分」を客観的に眺めている主人公の様子が伝わってくる。でも仕方なくそうしていたことも(メロディー的に)伝わる。

『飛行船』はこのアルバムのリード曲。和楽器の尺八とパリピ音楽のEDMを共存させるという、引くくらいの天才っぷりさを露見させた曲。この間奏のダンスを生で観たときは「死ぬなら今」って思いましたね。振付がカッコイイ通り越して美しい。地上波では2回披露しているんだけど、ダンスの激しさにカメラマンが三浦の姿を追えず、ダンスの半分を客席を映して誤魔化したという伝説も出来た(ファン激おこ回でもあった)。直接の関係者でもない振付師にも言及された。

さらに、この言及を踏まえ別のエライ人(ディレクターさん)にも波及。あ~りがて~え。

振付から感情が見えるというか、振付そのものが美しいというか、この曲はリード曲然としたリード曲。ドラマチックで起承転結の「転」というイメージ。

こんな歌詞もある。

めくる頁の先を信じたい
疑うことは誰にでもできるから
(『対岸の掟』)

こういう抽象的な表現がちらほらあって、その余白でボーっと出来るのがすごくいい。

孤独を美化する姿勢は、人物描写だけじゃなく、風景描写にも表れている。

わずかな温もりだけ頼りに じっと待つ夜明け
ぼくらはまるで 大海を目指す淡水魚 淡水魚
(『淡水魚』)

歌詞を読んでなんてショッキングで美しいんだと思いました。淡水魚は大海を目指したら死にます。でもそうしなきゃいけない背景を想起させる。

答えを求めて 砂食む旅人
靴紐ほどけて 足下に回答
沈む太陽が 歌う愛の歌
痩せたライオンが 佇む 嗚
(『クレーター』)

有り得ない(?)光景、見たことが無い光景なはずなのに、佇むライオンが浮かぶしそのライオンめちゃくちゃカッコよくないですか?砂食む旅人も確かにそこにいる。凡人にも浮かぶ光景を唄っているのに、手垢がなく新鮮。

そして、最後の曲。

もしも この人生が予行演習だったなら
次はもっとうまくできるのに
(『朝が来るのではなく、夜が明けるだけ』)

このフレーズでまたボーっと出来る。最後までなんて美しい余白なんだー。

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他にも、どストレートであり壮大でもあり最期と永遠を同時に感じる『世界』という曲もあったりして、『球体』の完成度たるや実は邦楽史に残るレベルじゃないかと思っています。またこの路線を、あの”エキサイお兄さん”がやってキマッたっていうのが最高なところ。

『球体』公演は、残念ながらなのか計画的だったのか、話題になる前にツアーを終了しました。このアルバムに懸ける彼の気迫をツアー初日、しかも7列目で感じられたことは間違いなく私の人生において価値があったことだと思っています。


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