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全ては片桐仁から始まった

ラーメンズの小林賢太郎さんがパフォーマーを引退をされてからしばらく経ちました。


共演者や裏方を含めた多くの関係者、多岐に渡る数多くの影響を受けた方々、そしてもちろん視聴者や観客、ラーメンズを知る幾重もの人々がその突然の発表に驚きを隠せない様子でした。

個人的にも単純に引退は寂しいですし、もう舞台上で片桐さんとの2人のコントを披露する事は無いのかなぁ…と思うとなんとも言えない名残惜しさを感じてしまいます。

ですが身体的な要素が理由の中に加味されているので仕方なさも分かりますし、創作活動は続けていて発信自体も今もなおされていますし、それ関連で今後メディアに出たりする可能性のある事や、ラーメンズとしての活動の仕方にもいろいろな形はあると思うのである意味では幅が広がったとも前向きに捉えられます。

逆に言えば今までが裏方として脚本や演出をした上であのクオリティの身体性を伴うパフォーマーでもあったという事実が当たり前ではなかったという事なわけで、それを無理だと感じながら続けるよりは本人の判断で進むべき方向を定められたのは観ている側にとっても嬉しい事なのかもしれません。


さて、ここまで小林賢太郎さんの引退について気持ちや考えの整理をした時、少しだけ気になる事が浮かんできます。

それは、片桐仁さんの存在です。

ラーメンズの一員であり小林賢太郎さんの他ならぬ相方です。ラーメンズはそのお笑い芸人としての活動の仕方の特殊性からデビューしてから舞台を中心に活動していて近年はコンビでの仕事はほぼ無くなっていました。そしてこの件に関してコメントも出していて片桐さん自身は芸能活動を続けています。ただこの話題の中心的人物でありながらどこか掴み所が無いというか、なんというか話の触れ方も ふわっ としてます。それは別に片桐さんが冷たいとかではありません。むしろコンビ愛的なものを感じますし、もちろん不仲だったとかでもないと思います。しかしこの件から間接的に片桐さんについて注目しようとしても当事者でありながらどこか蚊帳の外的なニュアンスがあってその違和感がうっすら立ちこもってくるのです。

そもそもこの片桐さんの立ち位置というか存在は何なのでしょう?

よくよく考えたら相当不思議な場所に居ます。お笑いタレント、俳優、ラジオパーソナリティ、彫刻家、そのバラバラなジャンルのどこに軸足の中心を置いて活動しているのかよくわかりません。

片桐さんのこの捉え所の軟妙さについて意識した時、それは他のお笑いコンビのどのタイプにも当てはまらない事に気付きます。いわゆる「ネタを書いていない方」でありインパクトの強い見た目で圧倒的な存在感としてコンビのヴィジュアルを担当していながら、役割としては何をしているか明確に説明しづらいものがあります。もちろん「演技力」や「トーク」「タレント」スキルなどを持ち合わせた上での話なのですが、例えば同じ「ネタを書いていない方」として爆笑問題の田中さんと比べると司会進行やツッコミを役割として担ってるわけでもなければ、バナナマンの日村さんと比べるとそのアクターのあり方としてはモノマネをしたり一発ギャグをしたりと芸達者な器用さはむしろ小林賢太郎さんの方が担当している印象があります。つまり片桐さんはあえて雑な言い方をすれば、コンビとして明確なポジションに身を置いているわけではなく何もしていないっちゃぁ何もしていないんだけどにしては1人で渡り歩いている部分が大きくそれはヴィジュアルや人柄だけでなんとかなるものだとは言い難いなんらかの才を感じます。これは一体なんなのでしょう?

さぁここまで提示しているのでお察しかと思いますが、


今回は

片桐さんのこの「よくわからないけど成立している感」の正体

について考えていこうと思います。


これについて考えて言語化する事で小林賢太郎さんとの関係性や、ラーメンズのコンビとしての核心的な部分、そして片桐仁という芸人の面白さをより堪能出来るのではないでしょうか。

何よりラーメンズとしてなのかお二人の今後について、もしかしたら何か感じられるものがあるかもしれません。

もしよかったらお付き合い下さい。

片桐仁のおもしろさ

片桐さんの「よくわからないけど成立している感」の正体を紐解くためにはラーメンズを含めたその歩みを順を追って見てゆく必要があります。まずは「ネタ」に置ける片桐さんのその役割とは?

ネタ

ラーメンズの初期の頃の一番代表的なネタは「現代片桐概論」ではないでしょうか。

このネタは2000年以降のお笑いネタ番組の中で重要な位置にあたる「爆笑オンエアバトル」の記念すべき初回にトップ合格を飾り全国放送で披露されたコントです。内容に関してネタバレになってしまいますが、「カタギリ」という架空の生物が存在し学問として大学などの講義として当たり前に成立している世界を描いたものです。「カタギリ」は他ならぬ片桐仁さんであり、コントの中では標本として舞台上で一歩も動かず無表情でただ立っているだけです。その横で小林さんがいかにも「カタギリ」が実在しているかのようにその生態系や生息地帯、特徴、学問としての奥行きなどをリアリティのある演技でもってその空想世界を組み立てていきます。その片桐さんのインパクトのある見た目と浮世離れした雰囲気から本当に「カタギリ」が現実に居るかのように錯覚してしまいそうになるし、また小林さんの人物描写による妙に胡散臭い大学教授のあるあるとモノマネの精度、芸の細かさから想像力を刺激されそのまま世界観に引き込まれてしまいます。これがラーメンズの世に出た代表ネタと言っても差し支え無いのではないでしょうか。

またもう一つの代表ネタに「日本語学校」というものもあります。

このネタは日本語学校に通う外国人の生徒と先生の授業風景を描いているのですが、その提示する単語や文章が少しずつズレていきどんどんやり取りとして崩壊して最終的に言葉のニュアンスや音の響きだけになってしまうなんともナンセンスなコントです。先生役の小林さんが単語を提示し生徒役の片桐さんがそれを復唱してゆく基本的にはこの形式だけで展開する非常にシンプルなシステムゆえにカオスな状況に拍車がかかってしまう意味解体のダイナミズムを感じます。ちなみにラーメンズ自体を知らなくてもネット上に上がっているアニメーションのFLASHムービーなどで観たことがある人もいるのではないでしょうか。

この動画の元ネタはもちろんラーメンズからなのですが、極めて言語感覚的なものの解体のみで展開していくアグレッシブなコンセプトのコントはそれが音声のみでも衝撃的だった事をパロディ作品自体がネタに手を加えずそのままアニメーションとして作品にされ広く知れ渡ってしまった事からも物語られていると思います。また当時の深夜の若手お笑い番組とネットのメインストリーム的なノリとがちょうど境目的に隣接していた事もなんとなく雰囲気として把握出来るしつまり逆説的に言えばこの年代の中でラーメンズがパロディでアニメーションを作成されてしまう程の波及力を持っていた事の証明にもなります。これはこの段階での知名度に対しての影響力としてはかなり大きいと思います。

さてラーメンズの代表ネタを上げてみましたが、この2つのコントを観てなんだか気付く事は無いでしょうか?

そうです。

片桐さんが「あまり何もしていない」という事です。

少し語弊のある言い方かもしれませんが、ただこの当時の東京の若手芸人の中で絶大な影響力を誇っているラーメンズの代表的なネタの中で、小林さんは声を上げ動き回りモノマネやアドリブを入れ、そしてそのそもそものネタを考えているのに対し、片桐さんはそこに微動だにせずただ立つ、もしくはほぼ復唱し台詞量も最小限に留まっています。ですが受け手の印象的にはインパクトに残っているのは片桐さんの方だったりします。もちろんラーメンズの多種多様なネタの中には片桐さんと小林さんが矢継ぎ早な掛け合いをするものはあるし、逆に小林さんが全く喋らず片桐さんに大量の台詞があるコントもあります。しかし当時のお笑い界の象徴的なネタ番組の1位を勝ち取ったコントと、ネット黎明期の中でのパロディとして普及した原始的なコンテンツのあり方を意味付ける文脈の元ネタ、この影響力のある2つのネタの中で「あまり何もしていない(しかも印象的にはそう感じさせない)」というのは逆にけっこうすごい事ではないでしょうか?

トーク

次の段階は「トーク」です。

片桐さんのトークと聞くと「エレ片」を連想する人も多いのではないでしょうか。TBSラジオの深夜帯の枠の中で土曜日に位置するJNKUサタデー「エレ片のコント太郎」という番組でパーソナリティを務めています。同じ事務所で学生時代からの付き合いの長いエレキコミックと一緒に毎週トークを繰り広げていてその中で片桐さんは割といじられ役というかプライベートな事などをトークのネタに赤裸々に話す事で番組を盛り上げています。ネタを観ててラーメンズを知っていた人もこの番組で初めて片桐さんのパーソナルな部分を確認したという人も少なくないのではないでしょうか。

さらにもう一つ、ネタからトークに移行してゆくここら辺の時期で個人的に印象に残っている番組があります。

それは「落下女」というコント番組です。
2005年頃、日本テレビ系列で放送されていた深夜コント番組です。メンバーがおぎやはぎ、バナナマン、ドランクドラゴン、アンガールズ、南海キャンディーズ、そして片桐さんです。2000年代以降の東京のコント芸人を集めて行われるユニットのその当時の段階での集大成的な内容だと感じていました。スタジオコントが中心でしたが、ロケやトークなどのコーナーもあり非常のバラエティに飛んだ内容になっていて、なおかつこのメンバーが当時「ライブなどでネタが充分評価されている状態」から「トークを含めたバラエティ対応的なものへの移行をそのまま培っていく様」を見ているような要素も感じ取れて非常に面白かった記憶があります。そして特に印象に残っているのはまだパイロット版の放送でのトークコーナーで片桐さんが披露したバレンタインの話です。他の番組でもたびたび披露していて非常に切ない話なのですが、このさらけ出しというか自虐的な片桐さんのトークの引き出し方はこの番組の一番最初にかなりセンセーショナルな意味付けをはかったと思います。

さぁ、そしてここでも先程の「ネタ」同様少し感じる事があるのではないでしょうか?

そうです。

片桐さんのトークは「そのまま話してるだけ」という事です。

これもまた誤解を招く言い方なのかもしれませんが、「エレ片」にしても「落下女」にしても片桐さんの提示しているラインはそのパーソナルを知った上で内面的な部分をわかっている仲間内の中で成立する裏笑い的なものを含めた話の仕方をしています。その証拠に片桐さんがそういった話を披露する時は周りにそれを面白がってくれる共演者がいるシチュエーションでしか発動させません。これはある意味では出自であるラーメンズのブランド的な部分を守っているとも言えますしその反対にある範囲ではそれを崩して個人では延命しているというギャップによる話題提供にもなっています。どちらにせよこの限られた空間で赤裸々に語っているように聞かせる手法は、いわゆるすべらない話的なエピソードトークや共演者同士でのバラエティ番組を成立させる王道のプロレス技術とは全く異なるトークスタイルでその存在感をアピールしているというやり方です。

またここからはかなり憶測の領域が広がってしまいますが「エレ片」にしろ「落下女」にしろ、片桐さんは2000年代以降のお笑い界のかなり初期の段階でネタによって築き上げたブランディングをフリにして「負け顔」を見せる事でショーとして成立させるやり方を偶発的にしろ意識的にしろバラエティのひとつの方法論として取り入れて実践していた事になります。ここら辺のJNKUの枠のパーソナリティにしろ落下女メンバーの後に続く東京のコント師にしろ、作家のオークラさんがよく唱えている「ライブで評価された若手がテレビで売れてる大御所に負け顔を見せる事で需要が生まれる」という理論やバナナマン設楽統さんの「コントを行ってる芸人は二度売れなきゃいけない」というロジックの最小単位を片桐さんは他と比べてかなり早く行っていたという事です。そういう視点で見ても興味深い話ではあります。

タレント

その次は「タレント」性だと思います。

片桐さんのテレビなどの映像メディアでのタレントとしての収まり方は芸術家的なアイコンです。粘土で作るアート作品を中心に個展を開催していてその話題を番組にお土産として持参して出演しているシーンを見たことある方も少なくないと思います。これは雑誌の企画でなにをやろうか思案していた時に小林さんから造形を勧められた事がキッカケだそうです。

またちょくちょくですが、一般人的な紹介のされ方でバラエティじゃない番組にたまに見切れたりする事で存在感を示す事もあります。こういった側面はお笑い芸人の面白さとは少し違う雰囲気のノリである種の確信犯性を感じ、自分がどう見られているか分かっているパフォーマンスだと感じます。

そしてやはりここまで見てきて「タレント」に関しても同じような事に気付きます。

そうです。片桐さんは「芸人として出ていません」。

俳優や彫刻家という言葉で若干お茶を濁しています。意地悪な見方になってしまっているのかもしれませんがラーメンズを知っている人と知らない人とではその画面の映り方の違いが歴然です。片桐さんがテレビタレント化した状態の時にはすでにコンビ活動はあまりしていなかったので芸人という触れ込みはわざわざ表記しなくてもいいのかもしれませんが、このアプローチ自体は意識的になものであると思います。さらに加えて言えば今のお笑い界の風潮として芸人以外の活動で注目を浴びて仕事を増やすやり方として片桐さんそのはしりであると思います。それ自体の賛否はもちろん好みも含めてあるのでしょうがいずれにせよかなり早い段階からこういった芸人以外の取り組みをしていてそしてそれを取っ掛かりに活動領域を広げています。

さぁ、他にもそのメディアでのインパクトと認知度を活かして「演技」という点でも舞台やドラマに多数出演してその印象を強烈に残しています。片桐さん本人も「配役が特徴的で演じ方もほぼ素の自分のままで許されている」と言及しています。さらにそれを足掛かりに交友関係を広げて嵐の松本潤さんとバラエティ番組に出たり、河本ヒロトさんとプライベートで虫取りに行った事をエピソードとして話したり、そしてそういった要所要所で「芸能界」的な場所に身を置いている事の確認によってそのステージを実はあまり気付かれないようにジワジワと上げています。当たり前かのようにオールスター感謝祭に出ていたり、いつのまにか単身でワイドナショーに出演し松本人志さんの隣に座っていたり、ビートたけしさんが司会を務める番組の雛壇に普通にいたりとあんなに目立つのに参加している時のそのさり気なさには目を見開きます。これはこの年代の東京のコント芸人としてはその接近の早さや立ち位置の確保などがかなり抜きん出ています。これもまた片桐さんは「芸人の現場では役者のフリをし、役者の現場ではアーティストのフリをし、アーティストの現場では芸人のフリをしている」と自虐混じりに語っていますがこれも芸能界に生息するテクニックのひとつではあると感じます。

片桐さんのおもしろさの全体像

さて、ここまで一通り片桐さんのその歩みとそれぞれの項目での特徴を見てきました。それを並べてみると、

「ネタ」では「あまり何もしていない」
「トーク」では「そのまま話してるだけ」
「タレント」では「芸人として出ていない」
「演技」は「ほぼ素の自分が許されている」
「芸能界」での立ち振る舞いは「それぞれの現場で違うジャンルのフリをする」

という驚くべき「何もしてなさ」が列挙されるのです。


いや、もちろん厳密に言えば最初に言っているように基礎的な芸能のスキルがベースにあった上でこれらの要素が成立しているのですがそれにしても「何もしていません」。

何より特筆すべきはその「何もしていない」事によって得ている影響力の大きさやそれ自体を手法として取り入れる早さです。

「オンエアバトルの初回のトップ合格」「ネットでのノリのパロディの元ネタ」「バラエティにおける負け顔の理論」「芸人以外の活動をタレント業へ循環させる方法」「見た目を生かしてのワンポイントの役者仕事」「交友関係を広げて芸能界に一定の居場所を作る」これら全てこの年代にしてはほぼ一番乗りに近くそしてそれらをかなり高いクオリティでやってのけています。なんだったら片桐さんがこの立ち位置や振る舞いを獲得する事によってお笑い界の全体的な流れや方向性が決まっていってる感すらあります。それが「何もしていない」事によって生まれているのです。

ここまで考えてさらに辿り着くのは片桐さんは「何もしていない」けど「何も考えていない」わけでは無いという事です。片桐さんの特異な点のもう一つはコンビ芸人として活動を始めた身でありながら解散しているわけでは無いにも関わらずほぼ実質ピンでの仕事がメインになっているという状態です。なので何処かコミニティ的なとこに身を置いて活動する傾向が必然的に強くなります。そして全てその関係性の中で行われている「何もしていない」なわけです。いわばポジショニングとしての「何もしていない」なわけで、中心を無とした方がその周囲が活性化するという構造上の原理を感覚的にいち早く体得しているのかもしれません。そこに至るまでは少なからず何かしらの思考はあったのだと感じます。というかそうじゃないと辿り着けないほどそのポジショニング自体が超絶技巧的です。つまり「何か考えた」上でそのコミニティで空いている席に座りそこで必要とされているポジションの中で「何もしていない」という供給をしているわけです。

片桐さんが「何か考えた」上で「何もしない」事によりその周囲にきっかけを与え場を成立させている少しサディスティックな気質が何となく感じ取れました。しかしなぜそのような方法に到達したのか?話が本人の表現自我にまで介入してしまうとそれは本当に当の本人にしかわかりません。あくまで作品や活動の中で確認出来るもので思いを巡らせてみたいのですが、そのためには片桐さんの一番近くで一番古くから同じように表現を続けてきた人の歩みと特徴を見てゆく事で相対的にそれを組み立てて見てゆきたいと思います。その存在はつまり

相方の小林賢太郎さんです。

小林賢太郎のおもしろさ

片桐さんと同じように小林さんを見ていくと何か確認出来る事があるかもしれません。順を追って見て行きましょう。

ネタ

まずは「ネタ」です。
片桐さんが「あまり何もしていない」のならその相方の小林さんは何をしていたのか?

これは先程でも述べたようにコントの中で小林さんはかなり器用にいろんな事をして目立っています。モノマネから一芸披露や一発ギャグ的な事、はたまたアドリブの延長で繰り広げられる観客とのやり取りはそのアイドル性を活かして割と自発的にかつ積極的に行われていた印象です。その上で「ネタ」も書いています。そしてそのネタの特に初期の頃のものは近年のラーメンズのアーティスティックでセンシティブでデザインチックな雰囲気なものとはまた少し違い、けっこう「密室芸」的な文脈のアンダーグラウンドなネタが多数披露されていました。



特に印象的だったのは薬物ネタや同性愛ネタ、差別ネタなども多かった記憶があります。オンエアバトルで披露された「にっぽんご」「ブラザー」というコントと「できるかな」が特に好きです。「無邪気を装った確信犯」という感じでしょうか。それをここで笑いにして茶化す意味を把握した上で観客と共犯関係を築いてゆく。小林さんはそういった方向のネタをある段階まではかなり好んで使用していたと思いますしそしてそれがまた単独ライブという場所でカリスマ性も同時に生んでいました。

トーク

そしてその高まった期待値とブランディングのまま「トーク」を求められだします。

この時小林さんの「トーク」の運びが観客と共犯関係を築いていく性質上、演者同士の横の繋がりの中で組み立ててゆく団体芸的なものとの噛み合わせがシンクロしにくい瞬間が少しずつ発生してゆきます。そのぎこちなさも含めてのブランディングという演出と呼べるのかもしれませんが、ラーメンズ二人のみのトークでの場の成立させ方がやはり片桐さんいじりに終始する傾向があるのと比べると、小林さん単体だとバラエティでの雛壇的なお約束が成立しにくくなってゆく事が良くも悪くも目立ってきます。そして興味深いのは小林さんはその上手くバラエティ対応が出来ないがゆえに悩んでいる事自体をトークの中に入れ込んでいき、ある種の楽屋オチ的な話題提供をしてゆく形でむしろラーメンズへの熱狂的な支持を加速させるような方法を取ってゆきます。特にその事について本人が言及している「完売地下劇場」での水道橋博士とのトークが印象深いです。

タレント

ではそれを「タレント」としてどう成立させていくのか

結果として小林さんはアクターとしてパーソナルな部分をほとんど出さないような仕事を選んでゆきます。自分で脚本演出などを携われるような番組には積極的に出演してゆくのに対し、素に近いものを見せてそこにキャラクターやストーリー付けをしてゆくようなバラエティ番組にはほとんど出なくなってゆきます。それに比例して裏方的な仕事は増えていきます。

もちろんその中で片桐さんのように段階は踏んでいってて、「演技」としてはアクターとしての自分のみならずの他演者を含む公演自体のプロデュースや、自身の冠番組に大泉洋さんや松重豊さんなどの一線で活躍する俳優をキャスティングしたり、「芸能界」という範囲の椅子取りゲームに参入するのではなく単身で海外公演を行ったり、延期になってしまった事などでその任務から離れましたが東京五輪パラリンピックの開会式、閉会式の演出も勤める予定でしたし、裏方としてその実績を外側から丁寧に構築していたのが見て取れます。

小林さんのおもしろさの全体像

どうでしょうか?小林さんのこの気質は。少し並べてみましょう。

「ネタ」では「密室度の高い笑いでカリスマ性を築き上げる」
「トーク」では「高まった期待値による横の繋がりの中では成立しにくさを吐露」
「タレント」は「パーソナルな部分をほとんど出さない仕事」
「演技」は「自分を含める他演者の出演する番組や舞台をプロデュース」
「芸能界」での振る舞いは「海外公演や公共事業などその外側に進出してゆく」

こういった並びになります。

何となく感じ取れるのは全て片桐さんと真逆の振る舞いである事と、顧客を獲得する上手さでしょうか。小林さんはその一番最初の出発点である「ネタ」の部分から基本やっている事は変わりません。あるコミニティの中で圧倒的な支持を集めてその中でさらにより濃度の高いサービスを提供しそのコミニティの地盤を強固にしてゆく。そして外側に進出してゆく時もそのコミニティごと拡大してゆく事で一緒に自分の存在も大きくしてゆく。そんなイメージです。

これは別段悪い事でもなければ芸能や経済そのものが全てそういう仕組みで成り立っています。昔から使い古された手法でもありますし、演者本人とそのコミニティ自体がどれだけ密接なのか度合いの違いの話です。小林さんと似たような気質の方は、例えば堂本剛や、山里亮太、上岡龍太郎など近いと思います。皆自分の支持層を明確にしていますし、また大事にもしている印象があります。そしてその熱狂的な支持は対象を半ば神格化させてもいます。もっと芸能界的に大きな文脈に居る人で言えば松本人志も同じタイプと言えます。

そして自らが神格化してゆくタイプの演者には、その本人の中に別の精神的支柱を求めてゆく傾向やまたその反動として観客と自分とのバランスの中で意味合いを無効化するような存在を欲する瞬間があると思います。

それが小林さんにとって片桐さんなのではないでしょうか。

片桐仁と小林賢太郎のおもしろさ

前述した通り片桐さんは「何もしていません」。
それは相方である小林さんが神格化してしまう程に「何かをしている」事に対して反比例するかのように「何もしない」という事を自ら選んでいます。片桐さんは自らの人生を「流されるままに来た」と語りますが、この小林さんが引退宣言をした直後のエレ片でのトークで「大学時代に賢太郎がいろんな人とコンビを組んで試している中で声をかけられるのを最後まで待っていた」というような内容を話しています。実際は多少事実と違ったり話を盛っていたりするかもしれませんがこの声をかけられるまで待つという行為そのものが「何か考えた上で何もしない」というなんとも片桐さんらしい選択だと思います。結果小林さんは片桐さんを相方に選んでいます。

上記した通り小林さんの愚直なまでの表現の追求と、それを支持してくれる層に向けての返答、そしてそれを外側に向ける時にそのコミニティにある種守られたままでないと進出出来ない脆さ、それらがそのまま小林賢太郎という芸人の魅力に繋がっていました。しかし小林さんは追求するがあまり「お笑い」の領域からははみ出ていきます。ここでは表現として「お笑い」とは何かという普遍的な問いかけまでには深めません。あくまで漠然とした「お笑いっぽさ」についてまでにしか話は留めません。その「お笑いっぽさ」の維持をラーメンズにおいて片桐さんははからずとも「何もしない」事で一番表現しています。そして逆を言えば小林さんの追求への拍車をかけさせたのも片桐仁さんのその「何もしなさ」によるものであるのかもしれませんがそれによってラーメンズは売れたとも言えますし、またそんな小林さんの気質を間接的にエレキコミックから片桐さんがイジられる事で「お笑い」という表現にまた包み返してゆく運動を反復させています。片桐さんの「よくわからないけど成立している感」の正体とは小林さんを中心とした対峙した相手や事象に対する「何もしなくともただそこに居る」という意識とそれを維持するための直感的な取捨選択の成せる片桐さんにしか出来ない高等技術なのだと思います。それが小林賢太郎という才能を表現の世界に辿り着かせ、ひいては片桐さん本人がお笑い界におけるターニングポイントの一箇所一箇所にその第一歩として足跡を着ける存在に成ってゆく事を自ら選んでいったのだと思います。それは繰り返しになりますが「何もしなくともただそこに居る」という表現と存在のちょうど間の真理を突いているからこその成せる技と境地です。

そこで個人的に思い巡る事があります。
それは片桐さんが画家のゴッホが好きだという話です。

子供の頃からゴッホの絵が好きで美大を目指した理由もそれだそうです。この話を聞くとゴッホの弟のテオを思い出します。テオは画商であり生前のゴッホの唯一の理解者であり支援者でもありました。

片桐さんと小林さんの関係はこのテオとゴッホの関係に重なるものがあります。周囲にゴッホへの経済的な支援を反対されたテオは「金の問題ではない。気持ちが通じ合えない事が最大の問題だ」という言葉を残しています。繊細で感受性豊かであるからこそ理解や評価がされない天才画家とその才能を誰よりも早く見抜きそしてそれを健気に支え寄り添おうとする弟の存在。ラーメンズにおいてそれはどちらがどちらとも当てはまるような気がしますがお互いを必要とし合うコンビとしての理想的な繋がりがそこに見えるように感じます。

片桐さんは2002年のラーメンズ単独公演「Tour cherry blossom front 345」で当時29歳になる小林さんの誕生日に手紙を書いてきてこういったメッセージを読んでいます。

「もし僕らのどちらかが違う大学に行っていたら、僕らはラーメンズになっていたのでしょうか。そう考えると、ものすごい巡り合わせを感じずにはいられません。いや、もしかすると、僕は君に会うために生まれてきたのかもしれません。」


片桐仁が小林賢太郎に会うために生まれてきたのだから、

もしかすると、我々もラーメンズを観るために生まれてきたのかもしれません。

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