入社初日に退職する人々(3)

#初日退職 に踏み切るか否かに関係なく,誰しも自分の将来に対して不安を持つものです。そして,それは常に「結果論」に過ぎないことも,事実です。

「自分の希望と異なる仕事をしたことで,新たな能力が花開くことがある。」このようなことをおっしゃる方もいらっしゃると思います。確かに,それは正しい。しかし,ここで私が申し上げたいのは,これもしょせん「結果論」でしかないということです。

そのようなことをおっしゃる方は,事実として自分が希望した仕事をすることができず,又は自分が希望しなかった仕事を余儀なくされた一方で,結果として「いい思い」をし,肯定的にとらえることができたから,そのようにおっしゃることができるのだろうと思います。もし,そこでイヤな目に遭っていたら,おそらくそのようなことを申し上げないはずです。

なぜ,このようなことが起こるか。それは,わたしたちが過去の事実・事象を事実と印象(感情)とをもって解釈しているからです。たとえば,テレビ業界に身を置いていたある方は「ワイドショーは絶対にやりたくない」と言っていたようですが,結局ワイドショーに配属されてそのまま定年を迎えました。私はその善し悪しを申し上げませんが,それはその方にとっての「正解」だったのでしょう。

わたしたちが過去の事実・事象に目を向ける場合,そこには必ず「印象」が伴います。言い換えますと,わたしたちは,過去というものを,感情・主観又は解釈を伴わせて見ているのです。そして,その「印象」は,必ず「現在」との相対比較に基づいています。つまり,今の状況が良ければ,過去の事実を善く捉えます。他方,今の状況が悪ければ,過去の事実を悪く捉えます。これは,まさに「結果論」に基づく発想です。

「過去を感情・主観又は解釈を伴わせて見ている」ということは,時の移ろいとともに,過去の見え方も変わるということです。ある事実が発生した直後悪くとらえていたことであっても,時間が経っていざ振り返った時に「実はあれでよかったんだ」と思うこともあります。逆に,発生直後に「あれでよかったんだ」と思っていた人が後々後悔していることも,多々あります。

また,受け止め方は各人さまざまだということです。同じ事象であっても,肯定的に捉える方もいらっしゃいます。また,否定的に捉える方もいらっしゃいます。しかし,それを完全にコントロールすることは,不可能です。

(May 1, 2024;R6.5.1追記)
さらに申し上げますと,#初日退職 に至った事情(事実関係)は全て異なります。つまり,前提が全て異なり,ひとつとして同じ前提は存在しえないのです。そのことを無視して,#初日退職 という結果論たる事実のみを根拠にして #初日退職 に至った人々を叩き,非難することは失当です。そして,それは, #日本人 #日本的組織 の知性と品格のなさを物語っています。

わたしたちは,根拠・結果に至るまでの過程を無視して,結果としての事実のみを切り取って他人の行動を論評・評価します。しかし,このことが果たして正しいのか。私には甚だ疑問に感じられます。
その意味で,#初日退職 の事実のみを以って,#初日退職 した人を論難することに,妥当性を見出すことは困難だと思います。
結果論のみに依拠して他人を評価することほど,愚かなことはありません。

わたしたちは所詮「人間」に過ぎず,神様では決してないのです。そして,事象の全てを知ることなど,到底不可能なのです。#初日退職 した人にはそこに至る思いがあるはずです。そのことをわきまえたうえで,#初日退職 に至った人を結果論で叩くことを,わたしたちは厳に慎まなければなりません。結果論に依拠して他人を叩いている日本人の精神は,きわめて貧しいと言わざるを得ません。

ご清読ありがとうございます。

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