見出し画像

千と千尋の神隠し


昨日、金曜ロードショーで千と千尋の神隠しが放映されていましたね。

わたしが1番すきなジブリ作品は、千と千尋の神隠しです。ほんとうに、小学校に入学する前からだいすきで、これがいちばんすきだ!と初めて思った時には人気の作品であることを知りませんでした。
幼かったわたしは、あの映画の魅力を理解できるのはわたしだけだ、みんな訳の分からない映画だと思っているだろう、と思っていました。わたしも全然深い意味は分かっていませんでしたが、わたしの周りにいたのは同い年の幼稚園児だったので、みんなわからないだろうと思っていました。
その魅力が世間に既に知れ渡っていて、そしてそれが“興行収入”というすごく夢のないランキングで1位を取っていることで世の中で人気だ、とされているのを知った時、なんとなく寂しかったのです。

もう両手をおって、片手をもう一度開き直しても数え切れないくらいの回数見ているのですが、中学生で何度目か見た時、はじめてカオナシは千尋に恋をしているのではないか、と思いました。わたしは明確に言葉にされていない間接的な恋の表現に弱いです。なかなか気づけないし、確信が持てません。でも、これは単に気が付かなかったというより、それまでのわたしは得体の知れないバケモノが人間の千尋に恋をするという思考を持っていなかったのでした。ちなみに、千尋とハクの関係性については、わたしは小学校高学年くらいでハクがイケメンと騒がれていることを知るまでハクは女の子だと確信していたのでなんとも思っていませんでした。(今この発言をすると怒られそうですが、全く悪意はありません、むしろそういうのすきです、とても)お互いに大切な人なんだな、と。今もそれはあまり変わっていません。女の子の可能性も、全然捨てていません。

恋と愛の違い、などとよく話題になりますが、カオナシが周りの人間(ではないなにか)を飲み込み、料理を蹴散らし、千尋がいらない、と言っている金や御札を押し付けてしまうのは、愛でしょうか。その形を愛と言うとなんかしっくり来ません。ただ、カオナシが千尋を愛していないかというと、迷ってしまいます。
でも、千尋はハクを間違いなく愛していると思います。ハクが千尋を、ももちろん。釜爺が「わからんか、愛だ、愛。」というシーンがものすごくだいすきなのですが、あれは紛れもない愛という感じがします。でも、恋かはやっぱりわかりません。わたしが間接的な恋愛描写に鈍感だからなのかもしれません。

ハクが、八つ裂きにすると湯婆婆に言われてでも、千尋に振り返るなと言って見送ったこと、千尋が決して振り返らず帰っていったこと、このあたりが、なんかすごく愛という感じがしますよね。どちらかがカオナシだったら、2人はいつまでも離れられない気がします。でもそれは、恋だからという訳ではないと思うのです。だってもし千尋が、ハクが、お互いに恋していたとしても、きっと2人は離れていくと思うから。

話は変わるのですが、幻のラストシーン、なんなんでしょうね。とっても不思議です。たしか、公式は存在を否定してましたよね?そこまで含めて演出でやはり存在していたにしても、存在していなかったにしても、不思議な話です。あんなに多くの人が同じ架空の記憶を持つものでしょうか…。誰かがあると言ったからあるような気がしている、にしても、にしても、、という感じがします。

特にこの投稿でなにを伝えようという意思はないのですが、千と千尋の神隠しがだいすきなわたしの独り言でした。
ちなみに好きなキャラクターはリンです。わたしが大人になったら、相手に気を遣わせず、働き者で、優しくて明るくて人の気持ちに寄り添えるリンのような人間になりたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?