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根無し草の憂鬱

夫婦であれば支え合って生きていこう、というのはよく聞く話である。
確かに、お互いが健康であれば可能だろう。あるいは、片方が常に健康であるとか、どちらかが調子を崩しても一時的に持ち直せるとか。

では、どちらも本格的に調子が悪いとき。
なおかつ他人に救いを求められないときには、一体どうしたらいいのだろうか。


何度も書いているが、私は双極性障害と診断されて休職中である。
当たり前だが、余裕があれば嫌でも仕事に行っているわけで、心身ともに余裕があるとは言い難い。

一方、普段の夫は心身ともに健康優良児である。
最近腹回りが気になるようだが、以前が鶏ガラのように細かったため「今ぐらいがちょうどいいんじゃない?」と内心思っているのは内緒だ。


しかし、半年前くらいからの数ヶ月間、夫の精神状態が危ない時期があった。
具体的な内容は伏せるが、仕事上のトラブルが原因だった。

とにかく私に話を聞いてほしい夫と、仕事の話を聞く余裕のない私との間で、何度も諍いが起きた。主治医から「受容してもらえれば満足するから適当にかわせ」との有難いアドバイスをいただいたが、本格的なアドバイスを求めている夫にその技は聞かず。
「友人に話せ」「職場の同僚に話せ」とお願いしても聞き入れてもらえず、「そんなことのために友人や同僚に声を掛けられない」とのこと。ふーん。お前、妻ならコスト度外視で何を求めてもいいと思っているのか。

「いいことあるかなあ」
それが夫の口癖になっていた。たとえその日いいことがあっても、彼にとっての望ましい状況にならなければ、それはすべて帳消しになってしまう。
「いいことあるよ」
機械的にそう返すと、夫はそうだといいな、と暗い顔のまま答える。そんな日々が続いた。


若干話が脱線したが、このように双方がつぶれそうな場合はどうしたら良かったのだろうか。

このとき、私はとにかく外部に頼ることにした。
幸いなことに、私には親身になってくれる友人たちがたくさんいる。実現こそしなかったが、「代わりに旦那さんの愚痴聞くよ」と言ってくれた友人もいて、その一言だけでも救われた。

物理的な距離も置くことにした。
一緒にいるのが限界だと思ったときには外泊したりもした。こういうときのビジネスホテルって、適度に無関心でいてくれるからかえってほっとする。

あとはひたすら、時が経つのを待つばかりだった。
幸い、夫がストレスを感じる状況はある程度経てば改善するものだった。最近の夫はだいぶ穏やかになってきている。どんなに辛くても、時間が解決してくれることは多いなあと実感した――もちろん、恒常的なストレスからはさっさと逃げた方がいいが。


それでも、あの時期は互いに傷付け合う、暗く苦しい日々だった。

ストレスの素が比較的短期間で解消されるもので、たまたま友人たちが親身になってくれたからよかったものの、どちらの幸運にも恵まれなかった場合はどうしたらいいのだろう、と今でも考える。
本来は夫婦で解決するのが望ましいんだろうけれど、今の私はそこに割けるだけのリソースを十分に持っていない。そんな私は妻失格なのだろうか。


しかし、夫の愚痴を聞いていると、自分とは全く違うタイプの人間だよなあとつくづく思う。
私が愚痴を零すときは、大抵自責だ。「私があのとき上手く出来なかったからいけないんだ」というようなものが多い。
しかし、夫の愚痴は圧倒的に他責だ。「あの人に仕事を押し付けられた」「あの人が上手く捌いてくれない」などなど。
愚痴の一つでも、情緒的に安定しているかどうかが透けて見える気がする。もちろん、他責の愚痴の方が心の健康度合いは上だ。
どうして私は愚痴を零すときでさえ、自責の予防線を張ってしまうのだろうか。

予防線を張らなくても、堂々と自分を労われる自分でありたい。そして、少しでもいい夫婦関係を築ける自分でありたい。
言うは易く行うは難しだが、心掛けるだけでも少しずつ変わると信じて。

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