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ライトオタクというアイデンティティ

僕はアニメ、漫画、ゲーム、アイドルなどのオタク文化が大好きだ。
物心ついた頃には、プレイステーションのコントローラーを握ってテレビの前に張り付いていた。中学で深夜アニメにハマり、大学時代はコンカフェや地下アイドルのライブに足繁く通った。
傍から見たらどう見てもオタクだし、長らく僕自身も自分がオタクであると認識していた。
しかし、心の底では本当に自分はオタクなのだろうかいう思いも持ち続けていた。

オタクになりきれない自分

僕はアニメで言えば『魔法少女まどか☆マギカ』は観ているが『ドラゴンボール』や『新世紀エヴァンゲリオン』は観ていないという、そんなオタクなのだ。
アニメオタクと言うには中途半端な感じがする。
非オタクからすれば、まどマギを観ている時点でオタクだと思われるだろうが、オタクからすればオタク的熱意が足りないように見えるのではないだろうか。

ドラゴンボールやエヴァ等の作品を観ていないということはオタク同士でのコミュニケーションにも違和感を発生させていた。
オタクの会話は、アニメや漫画から引いて来た言葉を多用するが、オタク仲間が例えば「ヤシマ作戦を再現しよう!」などと発言した際に、僕はエヴァを観ていないので心から一緒に盛り上がることができないでいた。

今はネットで調べれば大体どんな言葉でも詳細に調べることができる。だから、オタク仲間が何を言っているのかは理解はできるし会話にもついていける。しかし、自分が視聴していないアニメや漫画の言葉を使って会話をする度に、どうしても元ネタを観ていないのに知ったように語って良いのだろうか、という後ろめたさに似た気持ちが湧き起こった。
この気持ちがやがて自分は本当にオタクなのだろうかという思いに繋がっていった。

オタクになろうと努力するも……

そんな後ろめたさを払拭するためにオタク文化を勉強しようと思った時期もあった。
オタクとしての最低限の教養と思い、TUTAYAで『機動戦士ガンダム』のDVDをレンタルしてきて一気観をしたのだ。しかし、これが中々に気力と体力を要した。
結果として作品は結構楽しめたし、あの名台詞の数々に直に触れることができて満足感があった。目の疲労に耐えながら作品を通しで観たことも良い思い出になった。
しかし、義務感でアニメを観るという行為は結構辛かったので、それ以降は義務感での鑑賞はやめてしまった。

自分は何者なのか

そんなこんなで、自分はオタクともまた違う存在なのではないかと思うようになった。非オタクでもなければオタクにもなりきれない。何だかよくわからないモヤモヤとした存在になってしまった。

自分が何者であるのかが分からないというのは大変な問題だ。自分が何者であるのかということは、その人の生き方にも関わってくるからだ。
アニメオタクはアニメに熱中し、ゲームオタクはゲームに熱中する。では何者でもない僕は何に熱中できるのだろうか。

普通は自分の好きなものを追求していれば自然にその道のオタクになるのだろうが、広く浅くオタク文化を楽しんでいた僕は、いつしか自分は何が好きなのかが分からなくなってしまっていた。
強いて言えばオタク文化全般が好きなのでオタク文化オタクか?とも考えたが、オタク文化オタクを名乗れるほどオタク文化に精通しているわけでもなかった。

一時期、自分は何が好きなのかを探してみようと思い秋葉原のコンカフェ巡りをしたり、地下アイドルのライブに行ったり、カードゲームをやってみたり、格ゲーや音ゲーをやってみたり、電子工作をやってみたりと色々なことに挑戦したのだが、それでもこれぞというものが見つからなかった。

たどり着いた答えはライトオタク

そんな時、ライトオタクという言葉に出会った。
このライトオタクという言葉を知った時、現時点での自分のあるがままの姿をそのままに表してくれているように感じた。

ライトオタクは極端にのめり込むことなく、軽度にオタク趣味を楽しむオタクだ。正に自分のことだった。
今まで僕は何かのオタクになろうとしていたのだが、それは間違いだった。自分をカテゴライズする言葉を知らなかっただけで、元からずっとライトオタクだったのだ。

僕はその時々では何かに熱中していたことを思い出した。
それは、まどマギであったりモンハンであったりオタ芸であったりと全く統一感が無かったために、自分が何のオタクであるのかが分からなくなってしまっていたのだ。
しかし、自分がライトオタクであるということが分かったことで、無理をして他の何かになる必要はないことに気づいた。

また、オタクなのだから何でも知っていなければならないという強迫観念は消え、そのままの自分で良いのだと思えるようになって救われた気がした。
「オタクとはなろうと思ってなるもんじゃない、気づいたらなっているものだ」というセリフをよく聞くが正にその通りだと思う。無理して何かのオタクにならなくてもいいのだ。
あるがままの自分でいいのだ。

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