見出し画像

言葉の重さ

気づけば夏休みも終わり、9月も半ば過ぎ…。
2学期に入り、いよいよ6年生の場面緘黙症をもつ娘、最大の課題となるメイン行事、それは修学旅行。夏休み前から色々先生と相談し合い、学校側の意見も取り入れたうえで話を進めてきたつもりではいましたが…。ここにきて本当に支援級の先生と普通級の先生との連携がとられていないことや配慮の点に関しての互いの相違が明らかになり、加えてここ最近、その修学旅行に関しての話で、正直学校側といえばいいのか担任とのやりとりに疲弊を感じている日々。

修学旅行に向けて色々と先生方も調整して下さって、我が子以外の事でも先生たちは頭悩ませたりしていることは重々承知なんです…。私も娘も修学旅行に関しては色々悩んだり不安もあったりです。
じゃあやめれば?と簡単に言えないし、言われたくもないし、第一そんな簡単なことじゃない。
昨今「無理をさせない教育」が主流となっているけれど、勿論心身を壊すまでの無理はさせれないけれど、どこまでが限界点なのか、どこまでなら頑張れるのかそれを見極め、させること、社会人となってから本人が困らない程度の社交スキルを身につけるためにも、私としてはある程度の『やれるかも』という可能性を『無理させない』ということで全て無しにはさせたくないし、経験させたいと思っている人間だ。

ただ先生方が【合理的配慮】(こちらに関してはInstagramにてストーリーズ並びに投稿で述べさせてもらったので割愛致しますが)の話以降、いちいち「配慮しましたので」のアピール(に感じるほどの)台詞と、「○○ちゃん(←娘のお友達)にも負担がかからないように様子をみながら…」という台詞にかなり悶々としております。

負担】というものを何かしらの行事やら学校生活やらで、誰かにかけてしまうことは、当事者の娘も私もいつだって申し訳なく思っています。
娘の友人やその保護者様にも気遣っているつもりだし、都度何かしらの行事で娘のそばについててもらう度に、負担になっていないか確認もさせてもらっています。ありがたいことに、お友達側から「娘もこはるちゃんと一緒だと安心できるし嬉しいから大丈夫だよ」「お友達同士なんだから気にしないで大丈夫だよ」と言ってもらってます。

お友達側から〖負担になる〗と言われるならばわかるけれど、よく遊んだりするプライベートを知らない先生に「○○ちゃん達にも負担がかからないように…」と言われることに哀しみというか苛立ちというかとにかく悶々としてしまいました。

『それってあなた達先生が負担に感じているから、そういう言葉が自然とでてくるのではないですか?』
とも思ってしまいました。そういうつもりはないのかもしれません。言葉って受け取り側のメンタル状態にも良くも悪くも作用してくるから、私のメンタルが今疲弊しているからこそ、そんな風に受け取ってしまったのかもしれません。
でもね、先生が負担だと感じていないならばそんな風に「負担」という言葉は自然に口から出ないものだとも思ってます。

最近こんな感じで疲弊中⤵
いかんですね⤵

読んでくださった方、どうもありがとうございます。
ここに吐いたらさあもう終わり。
あとは気持ちを切り替えて、今日のお休みを満喫したいと思います( *´艸`)

https://www.instagram.com/p/CxHTeAzvhX_/?utm_source=ig_web_copy_link&igshid=MzRlODBiNWFlZA==

https://www.instagram.com/shiba_tan0716/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?