どん底からはじめる、幸せ引き寄せ実証実験【其の一】

前書きの部分はとりあえず今は置いておこう。

というのも、なぜ引き寄せなんていう言葉を使っているのか
(私はスピリチュアルな人なんかではない!そういう偏見で見ないで!否定しないで!という内側の私の叫びのあらわれw)、
そこへ至る経緯のようなものの説明がないといけないのではないかと思ったのだが、、
長くなるし今思い付きで書いてしまうと支離滅裂で繋がらない感じになってしまうと思うので、ちゃんと後でまとめて書きたいのでここでは省くことにした。

元々スピリチュアルとつながりの深い「引き寄せ」について知っていたし在るのかもなとは思っていたが確信はしておらず、スピリチュアルな世界というのはどこか別世界というか、あるんだろうけど神様ってwwとか、宇宙ってwみたいな自分がいたのが事実だった。

そんな状態から、本当に存在しているなら信じてみたいし、理解して実感してみたい、と思うようになったのは何故なのか、どうしてそういうことに意識を向けるようになったか、というようなことは、今度書く。うん。


とりあえずタイトルは
私のベースがそもそも「どん底」状態であるということ、そこからいわゆる「引き寄せ」などと言われる万物におけるエネルギーの性質を利用して、「幸せ」を引き寄せてみようという実証実験をやってるのだよということが分かるようにした。

どん底がどんな状態か、なんて主観的な部分も大きいわけだし、人によっちゃあ「私の方が」なんて言いたい人もいるだろうが、そんなことは主観的だからこそ個々人のモノサシではかればいいわけで、個々人の感性で、裁量で、見て聞いて感じた結果の「どん底」という結果や状態、それでいいではないか。と思う。
私のどん底レベルを、誰かと競い合うつもりは毛頭ないので、初めに言っておく。笑


そして更新頻度や、何曜日何時に更新します、なんてことも言わない。
エネルギーの性質を利用して人生をよりよくしていこうとするにあたり、自分に制限をかけることは全く理にかなっていないからだ。特に私には。
※これまで、物事の継続ができないから「どん底」だったのであるし、まあ継続ができないというのもエネルギーが関係しているので全く悪いことではないのだが、世間的には継続こそ美、約束を守り続け破らない真摯さこそが美、がスタンダードなので一応はじめにこうしてことわっておく。

私は初めから、約束はしない。未来にどうなるかなど今予測を立てることはできても、その通りに行く確証もなければ、確約も出来ない。そんな儚いことに意識を持っていかれるくらいなら、今思い立ったが吉日、で動くことを望む。

とはいえ【其の一】だなんて書いてるのだから、これからも書き続けるんでしょうね。って話なんだよなw
うん、継続して書くつもりがあるから、ナンバリングをしている。

ひとまずこの記事の役割は、私の「引き寄せ」のための一助として使えるということ。というのも、気付きや感じたことなどを書き残しておくことで、自分の頭の中だけで思っているだけとは一線を画すのだと信じているから。

思考や感情だけでは把握しきれないことを
①文字に起こすことで目に見える「文字」にする
②言葉にすることで耳に聞こえる「音(声)」にする
内面で思っている思考や感情とあわせて、それぞれエネルギーとなる。
思うこと、見ること、聞くことの3拍子揃えば、その分のエネルギー量を受け取ることができるはずだ。※ただし、自分がそれを受け取れる状態であれば、の話だと思うがw

実験の過程で起きた出来事や、それに対して思ったこと、それによって気づいたことなどを書いていこうと思うが
日記のように書いても良いし、小説のようにストーリー仕立てにしても良い、エッセイ風でもいいし、好きなように書けばいい。

とにかく今考えていることは、最終的にこの実験を成功させて、kindle出版をするということ。それを現実のものとするためにも、この雑記はきっと役に立つ。
紙のノートに書き出すことも、ツイッターにつぶやくことも並行してやっているので、総合的に編集したものを作成するとは思うが、、

私のようにどん底で苦しみ続けている人間は腐るほどいると思う。
良くなりたいと強く願い続けた結果、私はこの情報に出会えた。この情報が真実だと確信するに至るまでにはおよそ3年ほど時間がかかってしまったが、それでもちゃんと出会っていたし、気付くことができた。

今はぼんやりとだが私は必ず良くなると信じられる。
いや、前々から、私の人生は右肩上がりだ、ということは漠然と根拠のない自信を持っていた。それにそぐわないほど、ネガティブ傾向の強い人間だったがwww

今すでに良くなりつつある。それに気付けている自分がいる。
今も、未来も、きっと明るい。

とにかく。だ。常にその時々の信条に基づいて書き残していく。
実験であるので、都度都度調整しながら望ましい「幸せ」を「引き寄せ」ていければいいのだから。



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結局、前置き的なものを書いていたことに気付いて笑うww

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うーん、書き出しに迷う私。

何か、毎度のことながら『ちゃんとした文章を書かなければ』
という気持ちがとても強い。

しかし、ちゃんとした文章などという立派なものを書けた試しはない。
起承転結で書くといいのよ、オホホ、とか、いやいや守破離だね、とか(いやちゃうやろなんだっけ)、、
あ、←ここまで書いて思い出したら書き続けようとしたのに、まったく出ないから、別のタブを開いて検索。

「🔍起承転結 似てる」……「序破急」。

ああw守破離と序破急www
音とつくりが似てるわねwwwww

さて、今起きた思考の動きと、現実に何が起きたかを書いてみた。
最近は、これを意識している。

はて、、「これ」とは?

「これ」とは、自分の内側で何が起きているのかを、しっかりと見つめるという姿勢を持つことだ。しかし姿勢だけ持ったって何も始まらないので、行動にも移す。

自分の内側を見つめるなんていったら、目に見えない世界の話なので説明が難しいけれど、とにかくどんな心の動きがあったのか、どう思ったのか、どんな感覚がするのか(これはオノマトペで表すと分かりやすい。モヤモヤとかシクシクとかぽかぽかとかキラキラとかね)、それをしっかりと感じ取ろうとすることだ。

その感覚を感じ取れないときもあるし、鈍く薄もやのかかったように感じるときも、反対に鮮明にしっかりと感じ取れるときもある。その差は、自分のエネルギー状態にとても依存していることが最近理解できた。


ちょっと一つ、感情を深堀りしていくワークをやってみようと思う。

感情が動くとき、たいていの場合人は心の中で何かつぶやいている。

私の目の前の現実に最近起きていることで言うと、「また独り言がはじまった、、嫌だな、気分悪いわ、やめてくれよ」である。嫌だな、と思い、心の状態が乱される感覚がする。
独り言を言っているのは、私が勤めている派遣先の会社の少し離れた席に座る正社員の某氏のことである。

「はぁあああぁ、、、」めちゃめちゃ深いため息をつく。
いつも。何度でも。(千と千尋ryですか?←)
「面倒くせぇなぁ、、」めちゃめちゃこっちまで聞こえてますけども?
〇〇さん、心の声が、漏れてます。かがみちゃん、心の一句。(´・ω・`)

そして別の正社員の方が席を立ち、周りに派遣社員だけがいる状態になると、この声が大きくなり回数が増える。それも何だか腹が立つ。
この人は、人によって態度を変える人なんだな(上司がいなくなると変わるので)、嫌なヤツ。最低だ。
そんなような気持ちになる。

もっと正しく言うのであれば、正直私の内心のつぶやきは、ここまではっきり言葉にはなっていないかもしれない。とにかく嫌~な気分になる。

「それ、気になるんでやめてくださいよ」とはっきり言ってやれればいいものの、面倒を起こしたり某氏が嫌な気分になるのも、そうした後で嫌な雰囲気になりそれが持続することも避けたい。だから言えない。

それに、言ったところで某氏のクソでかため息と面倒クセェな、などの独り言が止まるかどうかは分からない。某氏がため息と良くない言霊を放つ独り言をブツブツと言い続ける理由も、私には知ることもできないし、知ったところできっと理解することも出来ないだろう。

一発言ってやりたい!その行為は見過ごせない!嫌だ!許せない!
やや過剰反応かもしれないが、これが剥き出しの本音の部分だと思う。
しかし、それらの感情や思考というのは私がそう感じよう、思おう、として選択しているに過ぎない。
「『やめてください』は言わないでおこう」ということを選んだように、だ。

それが事実であるけれど、「いいや、そんなの選んだ覚えはないね」という言葉が返ってくる。だってそうじゃないか。一体、誰が進んで嫌な気分を選ぶというのか。望んでそんなことをするはずがないじゃないか。
気にしなきゃいい話だ、なんてことは、私が一番よく分かっている。(そう、理屈上はね)

それなのに、じゃあなんで気にしてしまうの?
なぜ、心は嫌だ!と言っているの?


その答えはこうだ。

『それ、ただのクセだからwww』


クセ。習慣というかね。つまり、無意識的な反応だということ。
こんな出来事ひとつとっても、その裏側には膨大な量の思い込みや、過去の記憶や、感情が存在していて、紐解いていけばどうしてそう思ってしまうのかが分かるようになる気がする。

まずひとつ「ため息」これに紐づいている私の感情や思い込みはなんだろう?
ため息、安心したり気持ちがいいときにも深い呼吸の結果として出るものだと思うけれど、私の中での印象は違う。(いい気分で出るため息は声の感じで分かるしねw)

「はぁ、、」誰かから深いため息が出たとき、思うことはこうだ。
『どうしたんだろう、何か嫌なことや思い通りいかないことがあったのかな』『悲しいことがあったんだろうか』『疲れてるのかな』
総じて、ネガティブなイメージを持つ事象に紐づいている。

心配や、不安や、不穏な感覚を思い出すようなことなのだ。
イラっと怒りのエネルギーを発することができたほうが、まだエネルギー状態が高いのでましなのだが、私はどうやらもう少し低いエネルギーを感じ取り発してしまうようだ。※エイブラハムの感情の22段階参照。

次に「面倒くせぇ」これに紐づいている私の感情や思い込みは何だろう?
面倒くさい→やる気がない→無気力→何で自分だけ→やりたくない→嫌い→量が多い→手一杯だ→無理→拒否→却下
連想ゲームみたいだけれどw、こんなような言葉が出てくる。やっぱりこれも、いずれも否定的でネガティブな感覚だ。



書いている中で、ふと今思ったけれど。

「面倒くさい」という感覚、そしてそこから派生する諦めや失望に似た自分に対する感覚は私もたくさん持っている。そしてそんな自分が許せない。ちゃんとしなきゃいけない。やれない自分はなんてダメな人間だろう。社会不適合者だ。そうやって自分を責め続けてきた。苦しかった。

歳を重ねていくごとに、生きていくのがずいぶん楽になっては来ているけれど、それでもやっぱり自分を信じるとか、自信を持つとか、自分は素晴らしいなんてことを純粋に信じられる状態が全くイメージがつかない。

もしかしたら、某氏のことをイラついてしまうのも、自分で自分を許してあげられていないからなんじゃないか。
自分が自分を許せていない、愛せていないということは何となく分かっていたしそうなれるように変わっていきたいと思っていたけれど。
ただ某氏は私自身の投影された姿で、気付きを与えるために存在してくれていたのではないか。。


(あぁ、、そう考えたら、ありがとうって言いたくなってきたな。私の癒しや幸福への道に貢献してくれたんだねって。ありがとうって)


『私だってつらかったけど、そんな風に声に出したりしなかった!ずっと我慢してきたのに!連発までして!何であなたは言っていいワケ?!』
そんな気持ちがあったりもするんだろうか。
某氏に対する(某氏に対してではなくても)不快な感情というのは、とても漠然としていて、言語化することはなかなか難しい。
けれど、きっと抑圧したり否定したりしてきた自分自身をそこに見るから、否定したくなるし許せないと思うんだろうなというのは分かる。

じゃあ、自分自身の根本に存在する否定的感情や、許せない様々な状態を受け入れて癒せたとき、某氏の振る舞いに対しても、愛を持って大丈夫だよと言えるようになるんじゃないだろうか。そうなれたとき、私はまた一つ買われるのではないだろうか。

嫌な気分になることや、否定や抵抗をしたくなる不安になる事象というのは、自分を癒すための気づきを得るステップなのかもしれないな。
やはり、エネルギーの状態が全てを左右しているんだな、、、と今日も思った。


少し読み返してて、また思った。
「人によって態度が変わる」某氏がムカつく理由。
自分がお人好しで八方美人になりがちな態度をとるからだ。まったく同じことでないとしても、それが良くないものだという思い込みがある。
誰かに指摘されたりしたことがあった気がする。
正直あまり覚えていないが、母親かな、それとも学校に通っていたときにあったかな。

例えば「裏表のある人」というのは結局、裏で何を言っているか分からない嫌なヤツという連想がされる。過去の記憶として、自分の前ではこう言っていたのに、裏では別の子に自分の悪口を言っていたとか、こんなことをしていたとか、知ったときに傷ついたりしたこともあったと思う。
ごめん、正直これもあまり覚えていないけれど、薄っすらそんな気がする。引っかかることには、そういったきっかけが必ずあるはずだ。

私の理想は誰に対しても真摯で正直でありたいということである。
(理想という言葉に思い出した、劣等感の強さというのは、理想の高さに比例するという話。私も薄っすら勘づいてはいたけれど、社会に刷り込まれた価値観や社会が要求する当たり前や常識、あるいはこうあるべきというものの多くが、かなり高度というだけなのだろうと思う。本来は、誰であっても自分のありのままで居て悪いことなど無いのだろうけれど、自分で自分にこうあるべきだという足かせをつけているのだ。)
裏表がある人だ、ということは、真摯でない、正直でない、と見受けられるということ。その某氏が即座に私にとっての否定対象になるだろうことは言うまでもない。

しかし、だ。
よくよく考えてみたら自分にもそんなところがある、、と。
つまり、上司だから部下だからってところで分けているところは違っても、根本的なところで「人によく見られたい」というところは私も某氏も同じなのであって、砕いていけば「人から認められたい」「否定されたくない」なのであって。
それを証拠に、聞こえよがしの嫌な独り言はしているが、直接声を掛けに行けば相当好い人の演出が上手いなと思う。

※独り言が聞こえていないと思っているのか、あるいは癖なのか、あるいは本当に聞こえるように意図しているのかは知らんが。

そんな風に勝手な推測しかできないが、そう考えると共感できるところを見つけられて、究極的に『ああそうか、某氏も愛されたい、認められたいだけなんだね。欠乏感が強い人なんだね、私とおんなじだね』って思えて
「何が何でもウザい!やめてくれ!無理拒否却下!」にはならないのではないかなと思った。「大丈夫だよ。いつもありがとう」ただそれでいいのではないかなとも。

※※いいえ、きっとまたため息と嫌な独り言を聞いたら、嫌な気分になるんじゃないのかしら。そういう不安は正直、あります。全然あります。笑※※

⇒ はい、きました、やっぱり良い気持ちはしません。笑
けれどまざまざ見せられているのだと思うようにしようと思う。まだまだ自分には許せていないところがあるのだと。そう教えてくれているのだと。

もちろん嫌な言葉なんて言わない人の方が良いに決まってる。
けれど私がそんなことをいう人がいる環境にいるということは
自分はその波動域と同調してしまっているということなのだから。
某氏は鏡。それを忘れないでいよう。その独り言は気分悪いけど、それはそれで存在するべくして存在している。起きている。必然の結果としての現実だ。まだまだ学べることがある。気付いて手放せることがある。もっともっとありがとうを言えることがある!ポジティブシンキング草wwwwwww


※※※そして正直、好い人の演出は思い切り私もやっている。だって好い人でありたいから。
ん、、て、あれれ?じゃあなに?私は某氏の一挙手一投足見張っててダメ出ししないと気が済まない人みたいじゃない?
だって、私の気づかないうちにやってるクセとか仕草とかに対して、別の人が見ていて、その人の価値観や感覚でそれをジャッジしたとき、同じように不愉快な気分にしてる可能性あるじゃないか。そんなこと、、、そんなこと、、、、、キリないじゃないか!!!
ふわぁああああああああごめんてぇええええ(ゲシュタルト崩壊※※※


さて、私。
嫌な感覚は少しゆるんだろうか。

それにね、超絶関係ないけどマスクを外した某氏の口元可愛いんだよwww
照れてんじゃないよ、本当のことだろw
恥ずかしくなっちゃう自分もかわいいねwwwなんつってwwwwwww
マスクは表情が見えないから罪だよね、余計に冷たい表情や嫌な雰囲気に見えたりすることもあるし。

きっと相手を受け入れる、許すっていうことは、
自分を受け入れて許せるってことなんだろうな。
まだまだ他人を受け入れきれずに否定してしまう自分(自分を否定してるから他人も受け入れることができない)は、伸びしろたっぷりなわけだ。

内観して見えてくることってたくさんあるね。


(手書きの方が脳みそ的に良い(より多くの神経を動かして使うので)と言われるが、思ったことをより早く書き出すためにはタイピングが良いな、と思った。書いている間に書こうとしたことを忘れてしまう、流れて行ってしまうことも多そうだからな)


それで、書いていないときにふと理解したことがあったので、ちょっと別の不快のことも考えてみた。
これも仕事のときのことだが、別の人で、同じ派遣社員の人について。
全体的に動きが遅く処理していないところが多いのでは?と疑問な人。
他人が対応を引き受けたり処理したりするのを待っているのではないか?人任せなんじゃないか?と思うことが多々あり、むぅっと小さく苛立つことがある。

だから、あえて私の方では対応しないようにしたり、彼女が対応にあたろうとするのを待ってみたりする。その行動の根幹に在るのは、彼女に対する疑いや責めの感情だ。『何をやっていたらそんなに遅くなるんだ』『やる気がないのか?』『同じ仕事内容で恐らくお給料だって変わらないだろうに、仕事量が違うのは解せぬ』『入社してもう1年もたつのに』なんていう気持ちだ。

しかし。彼女の仕事が遅い、と感じるのは自分のできるスピード感で考えているからそう思うだけであって。彼女のフィルターには引っかからなかったことが私には引っかかって見えているだけであって。
彼女は彼女なりに一生懸命生きているし、働いているはずなのだ。
そのたった一つの事実を無視して、彼女のやり方や在り方を否定するのは、なんでだと思う?

仮に、じゃあ多少面倒くさがっているところがあって、彼女自身の特性上、私が思うようなスピード感では対応できないところがあったとしても、私は自分の思うスピードで対応が出来る。
彼女が出来ないことは私が補ってあげればいいのではないか?そのための、チーム体制での仕事ではないのか?そうやって前向きで協力的な自分がいる反面、「でもそれは彼女を甘やかすことになるのではないか」そんな風に言う自分がいる。
何をもって甘やかすなどと言っているのか。できる人が、やればいいと思い言っているクセに。

彼女に向ける言葉や想いは、自分に向けて言っている思っているものと何ら変わらない。少し考えてみただけでも理解できた。
仕事が上手く早くできない、ミスが多い、そういうことは自分で自分にずっと思っていたことだった。「入社して4年目だというのに」正しく自分に思っていたことだった。

どんな風であれ、時間も体力も、たくさんのエネルギーを注いで頑張ってきた。その大切で尊い、素晴らしい事実を無視して、否定的なことばかり自分にぶつけてきたのだ。だから同じように上手くいっていない(そうやって私自身がジャッジした)人に対して、おんなじことを思ってしまう。

実際言葉に出して相手に伝えることはしなくても、思っていれば同じこと。自分には言っていないようでいて、相手に思うことや言うことは自分自身に対して強く言い続けていることなのだ。

ごめんね、そんなこと言ってきてしまって。
酷いこと言ったこと、してきたこと、許してね。
ありがとうね、今も、今までも一生懸命でいてくれて。
いつも私のそばでただいてくれて、ありがとう。
そうやって、認めて許してあげればよかったんだ。

否定は否定を生む、というのはそういうことだ。
自分の中で起きた否定は他人にも向いていく。他人への否定は自分の否定とイコール。
この負のループに気付いて変えていかない限り、永遠と自己否定は止まらず、「幸せ」を「引き寄せ」ることには程遠いのだと思う。

(((あ、そうか、某氏の嫌な独り言が出たら、同じチーム内の彼女に不快な思いや対応で動きそうになったら、こう言えばいいね
「大丈夫だよ」「がんばってて偉いね」「安心してね」「きっとうまくいくよ」「あなたならできる」「今日もそこにいてくれてありがとう」ってね。
だってさ、相手に与える否定が自分への否定なら、相手に言う言葉は自分に言う言葉だよ。相手が大丈夫なら私も大丈夫。そして、私が大丈夫になれば相手も大丈夫になるんだ。単純なことだったよ)))

それは無意識のクセであり、根っこをほぐせばほぐすほど、こうして内観すればするほど、新たな視点を持つことができる。新しい視点から見ることができると、同じことでも全く違う印象を受けたり別の見解を示せたりするようになる。
それは最近の、内側へ意識を向けるということによって、だんだんと分かってきた。いつも気分よく居るのがいい。落ち込むことは悪だ。というのも思い込み。両方あるのが現実。良いも悪いもなく、ただ存在しているだけの現実。これを腑に落とせたらいいのだよと思う。必ず腑に落とせるよ。大丈夫。



とにかく。
(よく使いたくなるなぁ、「とにかく」とか「結局」。
結論を焦らなくていいのではなかろうか?自分よ。
~だ。という文体を採用するのも、決めつけたがる私の癖が如実に表れているようで面白いな。

曖昧模糊としたものよりも、ビシッと分かりやすく、カラッと晴れたのが良いと思うのもありそうだが、これもまた理想の一つだなw
現実は、曖昧模糊としたものも多く、モヤッとした曇りの天気だってそれなりにあるのだから。この理想と現実のギャップが、そのまま劣等感や不足感に繋がっているんだろうな。特に私は「こうあるべき」を強く思ってしまうところがあるから。緩めて手放していくようにしたいね)

すべては考え方次第だ、とか、すべては自分で選択しているんだ、と言われるのだけれど、
そ~んなこと言われたって、嫌なもんは嫌だ!不快なもんは不快だろ!変われるのかよホントに!
とどこかで思っていた。いた、というか、現在進行形でまだどこかで思っている。理屈では理解していて、言葉ではそうだよね、と言っていても、心が追い付いていない。

考え方も、何を選択するかも、自分次第。これは、「自分の状態」次第ということだ。
自分が良い波動、エネルギー状態でいれば、自分の中で起こる感情や感覚、周りで起こる状況、周りの人間の状態や反応、なども相互的に変化していくのだ、という考え方。

相手は自分の鏡だとか、知覚の人があくびをするとつられてあくびが出るとか、生理周期は周りの人と同調してくるとか、100匹目の猿現象などなど、、
色々なところで言われていることだが、人は、周りの環境に必ず影響されるようになっている。それはエネルギーのことを知れば理解できることだが、そんな総じてネガティブなものを連想させるような行動をとる人が近くにいたら、あるいはポジティブな波動状態の人が周りにたくさんいたら、、自分はどうなるのか?それぞれ想像に難くはないだろう。

『それは分かってる!その状態を変える方法が分からないから苦労してんだろ!』という言葉が、自分の中で返ってくる。


ああ、だからさぁ、、うーん。そうか。
わかった。わかったよ。
それでいい。その気持ちも大切だよな。

分からない!できない!というのも、
逃げ場を作るためや、上手くいかない言い訳をするのには、都合の良い恰好の言葉だな。と思う。


言い訳をするのはやめたら?という提案。
どうだろうか。

あ、反論するようでアレだけど(アレとはw)
今日は結構言い訳を書かずに本音で書いてるよ。

別に支離滅裂でも関係ないねってな具合に、さらけ出している。


分からないならどうするのか?出来ないって何が?って、掘り下げていけば良いじゃん。なぜ?って聞いてみれば良いじゃん。心の奥底では、自分はよく分かっているはず。表層上に上がってきていないだけで。全部見てきたし感じてきたことだもん。封印したり、否定したりして来てしまっただけだから。

だからね、すべて大丈夫なんだよ。大丈夫で、うまくいくことは既に決まっているというか。

決まっているというよりも、自分で決めるんだよ。
上手くいくんだから私はって。

上手くいかない。分からない。どうしようもできない。ということも決められるけれど、というか、今まではそちら側ばかりを決めきってきてしまったけれど、
どうせなら見たい結果を決めてしまえばいい。
だって、上手くいかない現実も、何をどうすればいいか分からない現実も、どうしようもできない現実も、某氏みたいに面倒臭いと思ってしまう現実も、私は心から望まないし体験したくないから。

決めてしまっていいのだ、というのは、
つまり量子場、ゼロポイントフィールド、とか色々いうけどね、そこにはあらゆる状態のすべてが、あらゆる時空間において存在しているから。はい、これもまだ腑に落ち切れていない理屈での理解だけだけど。笑


あ、あと数分で仕事が終わる。(仕事中に書いてるんかいww暇かよwww)
そんなツッコミはさておき笑、

内観できる時間が持てるなんて最高。ありがとう。
という言葉で締めておくね。

また気づきがあったら書きます。内観したいときにも良さそう。

私は必ず大丈夫。上手くいく。

私は最高で、特別で、最強。



以上!w

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