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四畳半の人魂

たしか、小学2~3年生の頃の夏のこと。
普段は姉とふたりで使っている部屋で寝ていたけれど、その日は、なぜか同居している祖母の部屋で寝ていた。
理由は覚えていない。
たぶん、姉とけんかでもしたのだろう。

祖母の部屋は四畳半の仏間だ。
部屋の西側に押し入れと仏壇、東側の壁沿いには引き出し式の箪笥が2竿。
押し入れと箪笥の間のスペースは、2組の布団でぴったり埋まっていた。
そういえば、あのときの布団は北枕で敷かれていた。
……いや、正確にいえば、祖母はいつも北枕で寝ていた。
細かいことにはこだわらない人だったのだ。
 
気持ちよく眠っていた私は、夜中に目を覚ました。
胸のあたりに軽い圧迫を感じたのだ。
私は薄目を開け、次の瞬間には全力で目を見開いていた。

仰向けで寝ている私の体の上を、小さな炎が横切っている……。

テレビドラマでは、恐ろしいものを見た人はもれなく絶叫している。
でもこのときの経験は、私に「テレビはうそつきだ」と教えてくれた。
右から左へゆっくり動いていく炎を見ながら、
私はただ目と口の両方をポカンと開けていることしかできなかった。
憑依型の女優さんがあのときの私の顔をリアルに再現してしまったら、
ルックスと演技力の両方に問題アリとみなされ、二度と仕事のオファーが来ないはずだ。
 
体感ではたっぷり1分、実際にはたぶん1~2秒後、やっと頭の働きが戻ってきた。
小学校低学年の子どもに思いつくことができたのは、ただひとつ。
おばあちゃん、起きて! だった。
隣で寝ているのだから、声を出せば目を覚ますはず。
大きな声など出せそうにないけれど、とにかく何か言わなければ……。

「おばあちゃん」と言いたかったけれど、言えそうになかった。
長すぎるし、口がまともに閉じない状況で「B」の発音は無理だ。
でも、私は頑張ったと思う。
何とか声を出すことに成功したのだから。
たった2文字、自分で聞いても小さすぎると思うような声で言うことができたのだ。
「だれ?」
 
本気で「あなたはだれですか」と尋ねたわけではない。
だって、「あ、失礼。幽霊です」なんて答えが返ってきたらどうするのだ。
「だれ」はたぶん、そのとき思いついたもっとも短い単語だったのだと思う。
でも意外なことに、この問いかけは適切だったのだ。
 
一拍おいて、部屋の明かりがついた。
そこには、右手に火のついたマッチ棒をもち、左手で天井からぶら下がる照明のヒモを引っ張っている祖母がいた。
混乱する私に、祖母はのんびりと言った。
「ああ、踏んづけちゃったか。
 蚊取り線香が消えたから、つけ直そうと思ったんだよ」
そして、祖母は私の体をひょいとまたぎ、箪笥の上の蚊取り線香に火をつけた。
 
どうやら祖母は、蚊に刺されて夜中に目を覚ましたらしい。
そして、蚊取り線香が消えていることに気づいた。
祖母はよっこらしょと起き上がり、まず仏壇においてあるマッチをする。
そして箪笥の上の蚊取り線香めざして部屋を横切る際に、隣で寝ている孫を踏んづけたのだ。
真相がわかるとアホらしいが、私にとってはこれまでの人生でもっとも恐ろしかった経験だ。
 
空中を漂う炎を見たとき、私が何を連想したか。
「人魂」だ。
今のように子供向けの娯楽が充実していなかった時代、
私は退屈すると祖母に「お話」をねだった。
そして、祖母がもっとも得意としていたのが「人魂を見た話」だったのだ。

自宅の前で人魂を見た、畑で人魂を見た、竹やぶで人魂を見た、井戸の近くで人魂を見た……。
今思うと、アレンジされているのは目撃した場所だけなのだが、子どもにはそれで十分。
人魂の話を聞くたびに、私や姉はギャーとかヒーとか言いながら怖がった。
祖母からは「19歳になるまでに見なければ、一生人魂を見ることはない」と聞いていたため、姉と私はそれぞれが19歳になったとき、人魂を見ない人生が約束されたことを喜び合った。
 
私が祖母の部屋で見たものが人魂でなかったことはめでたいが、正体が「火のついたマッチをもった祖母」だったことには、やや問題があるような気もする。
だって暗闇でつまずいたり、手がすべったりしたら、孫の上にマッチがポトリ。
まともな大人なら、そんな危険なことはしないだろう。
祖母は、とことんものごとにこだわらない人だったのだ。
 
私が「祖母が大好きだった」と言うと、多くの人がいわゆる「いいおばあちゃん」を連想するようだ。
いつもやさしくにこやかで、物腰はおっとり。
孫と過ごすことを至上の喜びと感じ、孫のためなら時間もお金も惜しまない……。
残念ながら、祖母とは正反対だ。
でも、私は知っている。
こんな「いいおばあちゃん」を評価するのは、本人と周りの大人だけだ。
子どもが好きなのは、短気で料理がヘタで口が悪くて、お話をせがめば5回に4回は人魂の話をするようなおばあちゃんだ。
寝ている自分の上にマッチを落とされ、燃やされるリスクがあっても、そんなことは減点の対象にならないのだ。
 
Sミットストアでなすを買っているとき、ふと祖母のことを思い出したのはお盆の時期だからだろうか。
たまには実家に、お線香でもあげに行こうかな。
祖母が使っていた四畳半の部屋は、今でもほとんどかわっていない。
そうだ。次に帰ったときは箪笥の上でお線香に火をつけて、部屋を横切って仏壇まで運ぶことにしよう。

↓ 祖母の料理ベタの話はこちら ↓


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