小説 介護士・柴田涼の日常 150 タナベさんの転倒事故、悪運の強い真田さん

 翌日は夜勤。お昼まで寝て、それから寝転がりながらゲームをする。そんなに疲れないので悪くはない。

 夜勤では、明け方の五時五十分にタナベさんの転倒事故が発生した。タナベさんは以前にも朝方になってカーテンを開けようとして転倒した事故を起こしていたが、ついに僕のときにそれが起こってしまった。タナベさんのベッドには離床センサーがついていて、ベッドから起き上がったらコールが鳴るようになっているが、そのコールが鳴ったとき、僕はセンリさんの離床介助をしていた。しかもPHSをリビングに置きっぱなしの状態だった。ついさっきヤスダさんの咳き込みが聞こえたから、ヤスダさんがトイレ誘導してほしいとコールしたのだろうとばかり思い込み、それなら少し待たせても平気だからこのままセンリさんを起こしてから行こうと思ったのがいけなかった。センリさんを起こして居室から出るとドンと大きな物音がした。ヤスダさんが転んだのかと思い部屋をのぞくとまだヤスダさんはベッドの中で寝ていた。じゃあ誰なんだと思い、PHSの表示を見るとタナベさんの離床センサーが鳴っていたとわかる。急いで訪室したが、すでにタナベさんは転倒していた。扉を開けると窓際でカーテンを手に持ちながら尻もちをついて倒れているタナベさんを発見した。靴は左ははけていたが、右は足が半分しか入っていなかった。そのため、カーテンを開けたときにバランスを崩したのだろう。すぐに当直リーダーの種村さんに報告する。本人はどこも痛くないし、頭も打っていないと言われる。バイタルに異常は見られず、種村さんがタナベさんの臀部をテェックすると目立った外傷はなかった。オンコールすると様子観察の指示だった。早番の青山さんが来たら全身のボディチェックをするようにとのことだった。タナベさんは認知症がだいぶ進んでいるので、気をつけるようにと言われていたが、元マラソン選手だったらしく、動きが素早い。しかし今回の事故は僕の方にも責任がある。PHSを持っていなかったことがそもそもいけなかった。タナベさんに怪我がなかったのは幸いだが、大いに反省する。

 そのタナベさんは、二十二時と二時に横漏れのため、二度下衣類とラバーを交換した。ナミノさんも五時に横漏れのため下衣類とラバーを交換した。

 今日は早遅対応だったので、少しサービス残業をして真田さんを助けることにする。真田さんは「柴田くんは若いから元気だろうけど、わたしなんか、今日もこれから母親のところに行かないといけないからへろへろですよ」と言われていた。イマイさんは、五時に少量の軟便が、六時に中等量の泥状便が出ていたが、朝食後、自分から車椅子をこいで何かを訴えていた。真田さんが「トイレ?」と訊くとどうもそうらしい。トイレ誘導すると、水溶便がズボンを伝って靴下まで到達していた。陰洗をしたが股を大きく開けないためキレイに流せなかったと真田さんは言った。立ち上がりが出来ないので僕も手伝う。「二人のときで良かった。わたし悪運は強いのよね」と真田さんは言った。

 朝食の準備をしていたとき、「柴田くん、今年は飛躍の年だったね」と真田さんに言われた。「車は買ったし、金運、仕事運、対人運、どれもいいじゃない。あとは奨学金を早く返しちゃってくださいよ。あっ、そういえば、これオフレコだけどね、青山さん辞めるみたいだよ。代わりにHユニットのリーダー酒井さんが移ってくるみたい」

「えっ、酒井さんって、健康診断の血圧測定のとき緊張して血圧が高くなっちゃって毎回測り直しをしてる人ですか」

「うーん、いつもバンダナ巻いてる人かな」

「あっ、そうです。そうだったんですか」

「これでFユニットも変わってくれるといいんだけど」

「ホントですね。今の状態はひどすぎますよ」

 そのとき青山さんが、お湯を汲みにやってきた。電気ポットは二つのユニットで一つのものを使うことになっている。僕は今の話が聞かれていなかったかと内心ヒヤヒヤしていたが、どうやら聞こえていなかったようだ。壁に耳あり。気をつけないとと思った。

 朝食の片付けやら、イマイさんの介助やら、ヨシダさんの排泄介助やらを手伝ったあと、ハットリさんに呼ばれ、「令和5年 2023」と毛筆で書いた紙を壁に貼ってくれないかと頼まれた。「おたくしか頼める人いないからさ」。今年のものをはがし、来年のものに貼り替える。頼られるのは嬉しいが、サービス残業はほどほどにしたいなあと思った。結局一時間も残ってしまった。

 家に帰り、夜勤明け定番となった部屋の掃除をしてから一眠りする。明日は早番だ。ここのところシフトがキツイ。しっかり休むようにしよう。

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