愛知県__1_

フィンテックの源流は愛知県?

 1年半ほど前、「フィンテックはどこからきたか」というテーマでブログを書きました。「シリコンバレーがやってくる(“Silicon Valley is coming.”)」という有名な言葉に象徴されるように、フィンテックはシリコンバレー発祥であり、米国の金融機関にとっても異質なものです。
 このブログを書いた後、当然のように次の質問が心に浮かびます。
 シリコンバレーのテクノロジー企業のやり方が、伝統的なアメリカ企業にとっても異質なものだとしたら、それはどこで生まれ、どのように発展したのか。
 そこでいろいろ調べてみて、私にとっても驚きであったのは、フィンテックの源流をさらにずっと遡っていたら、愛知県にたどり着いたということです。
 シリコンバレーがどのように誕生したかについては、すでにいろいろな文献で述べられています。スタンフォード大学などから産み出されるテクノロジー、NASAなどから流れ込んでくる豊富な軍事予算(後にはベンチャーキャピタル)、ヒューレット・パッカードやアップルなどの「ガレージでの創業」に代表される野性的な起業家精神により、世界的にもユニークなスタートアップとイノベーションのエコシステムが生まれたことは、よく知られています。

「日本の製造業から学んだ」

 さらにより深く理解するために、シリコンバレーを築いてきた人たちが何を言っているのかを調べてみました。すると、「日本の製造業から学んだ」と述べるシリコンバレー経営者の存在と、その影響力の大きさに気づき、驚くことになります。
 その中でも特に注目したいのが、製造業とは対極にありそうな、デジタル映画会社であるピクサーのエド・キャットムルです。ピクサーは、「トイ・ストーリー」や「ファインディング・ニモ」などの名作で知られるデジタル・アニメーション・スタジオです。生きているように動くキャラクターに知らず知らずのうちに感情移入してしまった経験もある方も多いのではないでしょうか。
 一見、製造業における「ものづくり」とは縁がなさそうに見える会社ですが、実は、コンピューター・メーカーだった時期もありました。その時期に、トヨタに代表される日本の製造業からものづくりの手法を学び、それを長編アニメーションづくりという、この上なくクリエイティブな事業に応用していきます。

「ピクサー創業当初からの最も価値ある教訓の一つに出会ったのもこの頃だ。それは、意外にも、日本の製造業の歴史から得たものだった。」
「デミングのアプローチも、トヨタのアプローチも、製品の製造に最も関わっている人々にその品質の責任と責任感を与えていた。作業者は、同じ作業をただ繰り返すのではなく、変更を提案したり、問題点を指摘したり、そしてこれが何よりも重要だと思われたのだが、壊れた箇所を直す役に立ったときに誇りを感じることができた。それが継続的な改善につながり、欠陥を洗い出し、品質を向上させた。言い換えれば、日本の組み立てラインは、作業者の積極的な関与が最終製品を強化する場になった。そしてそれがやがて世界中のものづくりを変えることとなる。」
「ヒューレット・パッカードや、アップルなどのシリコンバレーの数少ない企業が、1980年代にようやく取り入れ始めた。」
出典:エド・キャットムル『ピクサー流創造するちから』(ダイヤモンド社、2014年)

 さらに、この手法は思わぬ方向へ広がりを見せます。実はこの時期、上場前のピクサーのオーナーだったのは、当時アップルから追放されていたステーブ・ジョブズでした。

「スティーブは、ラセターとキャットムル、そして彼らの下で働く才能豊かな社員が魔法を編み上げていく様から多くのことを学び、人生が大きく変わった。映画制作を始めたあとを中心にピクサーでスティーブが吸収した経営手法こそ、1997年のアップル復帰後、彼が手腕を発揮できた源泉である。」
「この時期、彼の交渉スタイルは、勇猛果敢で押しの強いところを失うことなく微妙な駆け引きが可能なものとなっていく。先頭に立ち、やる気を引き出す能力を失うことなく、チームワークとは小さなグループを鼓舞して行け行けにする以上の、もっと複雑なことだとわかりはじめたのもこの時期だ。彼一流の鼓舞力を失うことなく、忍耐力を身につけはじめたのもこの時期だ」
出典:ブレント・シュレンダー、リック・テッツェリ『ステーブ・ジョブズ 無謀な男が真のリーダーとなるまで』(日本経済新聞社、2016年)

価値を創るのはエンジニア

 ステーブ・ジョブズが復帰した1997年以降、シリコンバレーはドットコム・バブルとその崩壊を乗り越えて、世界経済の先頭に躍り出ます。2017年末には、世界の上場企業の時価総額トップ5はすべてテクノロジー企業になりました。(上位から、アップル、アルファベット、マイクロソフト、アマゾン、フェイスブック。)
 これらの企業の価値創造に貢献したのは、サービスづくり、プロダクトづくりを担うエンジニアでした。経営陣がスーツを着て(ホワイトカラー)、プロダクトづくりの担い手は作業着を着て(ブルーカラー)、遠く離れた別々のオフィスに出勤するという、伝統的なアメリカ企業の風景はそこにはありません。
 緻密なマネジメント・スタイルで、日本企業の大攻勢に立ち向かったインテルのアンディ・グローブが経営書を出版したとき、ベン・ホロウィッツ(当時はベンチャーキャピタリストになる前で、シリコンバレーでスタートアップを経営していた)は驚きを隠せなかったといいます。

「表紙に驚いた。1995年版の表紙には大きなインテルのロゴに手をかけたアンディ・グローブが立っている写真が使われていた。私が見てきた他のCEOの写真とは違って、アンディはデザイナーズブランドの高級スーツを着ていなかった。髪もきれいに整えられていなかったし、攻撃的に腕を組むという、CEOによくあるポーズもしていなかった。腰のベルトからセキュリティ・カードをぶらさげているくらい普段働くとき、そのままのかっこうだった。あっけにとられて私は思わずつぶやいた。『セキュリティカードだって?本の表紙を撮影するというのに、ベルトからカードさえはずさなかったのか』」
出典:アンドリュー・S・グローブ『HIGH OUTPUT MANAGEMENT』(日経BP社、2017年)

 プロダクトづくりを担うエンジニアの力を最大限に引き出す新しいマネジメント・スタイルによって、シリコンバレーが興隆し、それが金融に広がることでフィンテックが生まれています。しかし、その源流をたどっていくと、その一つにトヨタをはじめとする日本の製造業が生み出した「ものづくり」があるようです。その本流がどこにあったのかについては、別の機会に掘り下げてお伝えしたいと思います。
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