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緒世置(おせち)

おせちを描いたこともあった。今見せて、ギリ間に合うかなあ。

おせちの意義も、原始からは変わったと思う。
当初の意義は、正月くらい主婦が料理をしなくていいようにする”日持ち”。
でも、冷蔵庫や保存技術が充実している現代、年賀状同様、失われていくのが自然かなと思っていた。子供の頃は「なんてつまんない料理なんだろう」って思ってたし。手はかかるわ、味は地味だわ、と。

実家でも、そのうち曾祖母や祖母がいなくなったあたりから、三が日が静岡おでんとかカレーになっていったけど、今はよーくわかる。母がどう思って作ってたか。

で、もはや忘却の彼方…
と思ったら、酒飲むようになって、年一くらいで食べたいなあと感じるように。ていうか、ほぼ酒の肴詰め合わせなんだよな、アレ。
かといって、一人で作るなんて絶対嫌。
面倒だし虚しいし。

だから、店の閉まる正月は、作り置きの食べ物で正月を過ごすことになるかと予想してたんだけど、多くの友人のお陰で、実に4つの家のおせちを楽しむことができた。
ありがたいことです。どれもおいしかった。

面倒でも、残るものは残る。
そしてそういうものは、いつだって誰かの幸せになる。

年始におせちから学んだのが、それ。

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