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回想録:はちゃめちゃで渡航したボリビアでのこと

実は7年前、4か月ほど南米のボリビアに住んでいた。そう、たった4か月。何をしてたのかと言うと、国際NGOから派遣してもらい政府の運営する乳児院で孤児の面倒を見ていた。

当時私は、21歳、単身で、ほぼ初の海外、そしてボリビアの公用語であるスペイン語は全く話せなかった。「こんにちは」や「ありがとう」でさえも。

アンデス山脈にある国、ボリビア。私が住んでいた首都ラパスは標高3800mくらいで、日本が誇る明峰、富士山の頂よりも高い場所に住んでいた。空の青さがとても感動的だった。本当に大好きだった。でも、アンデス山脈から引かれている水が日本の下剤に含まれるミネラルより多い量を含んでいる超硬水のお陰で水あたりしぶっ倒れたことはいい思い出。みなさんもお気をつけて。

ボリビアについて早々、自費で3ヵ月間語学学校に通った。英語でスペイン語を習った。まじでしんどかった。スペイン語より英語を理解することが。でもこれで、語学なんて良くも悪くもその場で何とかなることが分かった。ボリビアにいた4か月間、ヨーロッパから派遣されていたボランティア仲間、乳児院のコーディネーター、マミータ、メルカドのおばちゃん、駐在の日本人の方々からたくさんのことを学んだ。ケニアでの経験と圧倒的に違うのは、現地人にとても支えられ助けられた、ということ。本当にみんな優しかった、温かすぎてやけどしそうなくらいに。ボリビア人の友人は、7年経った今でも繋がっていて、本当にたまに連絡を取り続けている。掛け替えのない縁にとても感謝している。

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ボリビアでの経験があったから、ケニアでの2年間を過ごそうと思ったのかと言われたらそうではない。ボリビアでの経験は4か月のち日本に帰国した時点で完結した。日本に帰国後は、落としまくっていた大学の単位の取得と卒論に忙殺され一気に現実に引き戻された。自業自得です、完全に。はい。

結論として、ボリビア、行ってよかったと思う。渡航費とか全部自費だったけど。何もできないことに対して不甲斐なく思って泣いたこともあったけど、何かをする・残すというよりかは、途上国で暮らす、ボリビア人と一緒に時間をともにするということが分かったのは大きかった。のちに、ボリビアはボリビアであって、他国と同じものさしでものごとを測れないということに気づくのだけど。

後悔するくらいなら、突っかかっている一歩は踏み出したほうがいい。踏み出してみればそれが100歩、1000歩と前進するかもしれない。そうなるように考えながら行動することも大切。

是非、アンデスの国、ボリビアへ。

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チチカカ湖、めちゃくちゃ素敵です。


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