柴田秀一郎<シリーズ「バス停探訪の旅」アーカイブ編> バス停名称「西原」 初訪2009年3月・再訪2018年3月 地名  沖縄県うるま市与那城(よなしろ) バス運行会社  沖縄バス・琉球バス

このシリーズのNOTEでの連載をスタートさせた。既に講談社「バスマガジン」4年間連載しているシリーズの撮り下ろし&書き下ろしだ。ちなみにバスマガジンのタイトルは、「バス停のある風景」だから、改題している。以下本文をどうぞ!

<初訪>
この時期は会社員だったので、短い休暇の中で効率よく撮影しなければならなかった。現地にきてみて休暇を延長するとか?全くもって不可能だった。この時期は絶対に台風が来ないと見通して沖縄の地を選んだ。このうるま市を取材したときに、沖縄2日目だったが、ずっと小雨が降っていて、自分は日頃の行いが悪いのか?と思って考えたら同居している父親に感謝の言葉が無かったと思いついた。そこで電話して感謝の気持ちを伝えたところ、急に晴れ間がさしてきた。天候と気分回復して世界文化遺産であるうるま城を天守閣の台座まで登ってみたいと思いながら、断念して取材に励んだ。なぜならばこの日は取材先多数で時間がない、まさに強行軍だった。このバス停を見つけときにバックのコンクリート建築が沖縄の特徴だと思って惹かれて撮影した。

<再訪>
沖縄の中心を走っているところから、ここにやってくる間はしばらく車の両側が米軍基地を通ってきた。まさに沖縄は、米軍基地だらけだ。その昔沖縄の著名政治家の瀬川亀次郎が「沖縄の中に基地があるのではなくて、基地の中に沖縄がある」って言っていた意味がよく理解できた。
今回はなんとしても、うるま城も見学すると決めてやってきたが、城の下に立ってみると少しおじけづいた。家族も連れていたから、妻と小学生の娘が先にすいすい登っていたから、追いかけた。登ってみてその光景がすばらしくて本当によかったと思った。ここを登るのに約10年かかったことに笑えた。お城の頂上から周囲を俯瞰して自分がこれから取材するべき地点の方向を確認してから取材先に向かった。行ってみると、さすがに歳月が経過していたことが明確にわかる作品になった。左のテーラーの店舗の「MSテーラー」が営業していたから声をかけた。短い時間だったが、会話させてもらった。名前は真栄里貞範さん(69歳)で、右の酒屋は確かに初訪の日時は営業していたと証言してくれた。そして今回はお店の標記も消されていた。考えてみると、酒屋と紳士服の仕立て屋は、どちらも絶滅寸前の業種だと思った。

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