<シリーズ「バス停探訪の旅」アーカイブ編> 新潟県上越市清里区(撮影当初の地名中頚城郡清里村) 運行会社「くびき野バス」 <初訪2004年12月・再訪2015年11月>

このシリーズのNOTEでの連載をスタートさせた。既に講談社「バスマガジン」4年間連載しているシリーズの撮り下ろし&書き下ろしだ。ちなみにバスマガジンのタイトルは、「バス停のある風景」だから、改題している。今回は過去に誌面で発表した号を掲載させてもらいます。以下本文をどうぞ!

営業マンとして2002年まで、通ったので取材先に選んだ。年末休暇を早めに取って夜行バスで早朝到着した。レンタカーの営業時間まで、2時間弱ある。飲食店なども時間外なので、予約していたホテルのロビーで時間を潰してから出かけた。雪がずっと降っている中、積もった雪道に慣れていない運転なので、おそるおそる20Kmぐらい歩を進めた。終点の一つ手前に見事に雪で埋もれた「青柳下」のバス停を見つけた。フィルムカメラ向けるとちょうど雪が止んでいた。「中頸城郡」の地名の表記が翌月から無くなることに思いをはせながら、撮影したことは言うまでもない。

2015年の取材は、12年ぶりだった。なんとこの年から新幹線が開通したので、早速利用した。上越妙高駅から在来線乗換高田駅で降りた。スピードと便利さを実感したが、街中の活気は減っていた。一方私はフリーランスになって、おともはミラーレスデジタルカメラになっていた。
高田駅前のバスセンターからバスで向かった。当初数名乗客居たが、路線の半分くらいで私一人になった。運転手に声をかけたら「僕の写真集を見た」と、言うので驚いたのと、嬉しかったので、話が弾んだ。現地に到着したところ、バス停の待合が真新しく建て替えられていたのと、隣の屋根付き駐車場が壊されていたから、趣が全然違っていた。復路のバス運転手に声をかけたら「バス会社の社長が、自社のバス停が写っているから、本を購入して社内で回覧をしてくれた」ことが判明して、大変うれしく思った。

<余談>2004年12月の取材は、その翌月に上越市に合併されることが、判明していたので、旧地名時代を撮影しようと、思って意気込んでいた。

この記事を掲載してもらった講談社「バスマガジン」通巻76号、2016年3月号の表紙

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