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相手を理解出来た方がいいという思い込み

note190日目。
今日は、相手を理解できた方がよいという思い込みについて。

私は職業柄か、相手を理解する(出来る)のがよいことだと思っていた。
だから、私の理解を相手に伝えて、そうじゃなくてね、と言われると、自分の能力が足りないように感じていた。

しかし、最近同じようなやり取りだったのに、自分の能力不足とな感じないことがあった。
むしろ相手から、こういうことなんだよね、と言われて、そうだったのかと相手への理解が深まった気がした。
と、同時に私は相手の言語化を手伝った(促せた)のだと感じた。

私が、〇〇ですよね
相手が、そうなんですよー

というやりとりが望ましいと長年思っていたのだが、もしかすると私が相手の代わりに言語化してしまっていて、実は相手が自分のことをしっかり言語化する機会を奪っていることになっていたのかもしれない。

と、ここまで書いてカウンセリングの基本は相手への理解を示すことではなく、相手の気づきを促し言語化してもらうことで改善への道を歩むのだと思い出す。

その基本が抜けていたと反省。

やり取りがあったのはカウンセリング内ではないが、いい気づきを得た。

相手から自分の相手への理解を正されることは、相手への理解を深めるチャンスであり、相手の言語化を促すことにも繋がる。

とても大事なことではないだろうか。

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