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思いこみを手放す

note185日目。
今日は思いこみを手放すについて。

私たちは沢山の思い込みを抱えて生きている。
でもそれは自分では気づかないし、人から指摘されても、なかなか受け入れたり、認められるものでもない。

だからこそ、この思い込みを手放すというのはとても難しい。
そもそも思い込みに気づいていないことも多いから手放そうと思えなかったりもする。

最近、一つの思い込みを手放した。
それは「私は忙しくて大変」という思い込み。

書いてみると、自分のことを忙しくて大変と思っていて、それを手放すのに勇気がいったの?と笑えてくるのだが、本当は大して忙しくないのにずっと気だけは忙しくて、いろんな理由をつけて「私は忙しくて大変」を握りしめてきた。

ところが最近、ある出来事がきっかけで、「私って別に忙しくも大変でもないな、、、」と思うようになった。腹落ちしたというか、そんな感じ。

そしてその見込みを手放した。

おそらく子どもが生まれてから10年以上、この思い込みを持ち続けてきたのだが、それがなくなると、なんというか虚しさというか、さみしさというか、心に穴が開いたように感じる。

ああ…。私は忙しくも大変でもないんだな…。

思い込みを手放した後、その空いた空間はどうなるのだろうか?
また別の思い込みが必要になるのか。
それとも単に思い込みが少なくなるのか。

たぶん誰も考えなさそうなことを、一人でぐるぐると考えながら忙しくない自分と向き合っている。


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