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オウトロシャブツ

日常の中で、負の言葉や感情を飲み込む。

ときに、飲み込んだはずのそれが、喉につっかえて息苦しくなることがある。

ときに、飲み込めたはずのそれが、消化されず気持ちが悪くなることがある。

それらは、時間をかけてゆっくりと消化されることもあるが、そこにそのまま残り続けたり、腐敗して、精神や身体をジワジワと蝕んでいくこともある。

消化されないままでは苦しいから、どうにかこうにか吐き出す。
いわゆる、吐露というやつだ。
でも、吐き出したからと言って、楽になれるとは限らない。

吐き出した事実にまた苦しみを覚えたり、吐き出したときの周囲の反応により、違う苦しみを経験することもある。




最後に嘔吐したのは何年も前だ。

胃が気持ち悪くなり、トイレに駆け込んだのを覚えている。

お酒を飲み過ぎた気持ち悪さは、嘔吐をすることで解消されると聞いたことがある。

確かに、吐きたい気持ち悪さは、嘔吐することで解消され、身体的に幾分か楽になる。

だが、吐瀉物の味や感触は不快だし、胃酸と食物が逆流することによる喉へのダメージもある。

嘔吐することで得られる、身体的な不快感の解消と引き換えに、また別の身体的な不快感がそこにはやってくる。



吐露と嘔吐、吐き出されるものは、結局どちらも、不衛生極まりない吐瀉物でしかないのだろう。

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