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刈られた稲の展示、展示室に生きる稲

ヒートアイランドを感じる街、雑踏をかきわけ、エアコンが効いたビルの3階、白い四角い空間に刈りとった稲穂の展示。
穂先に籾がついたままの稲。
農村のあの匂いが展示室に充満している。

どうですか?

コンクリートジャングルの地元にいながら自然の中の暮らしの手触り感を忘れたくなくて、ギャラリーに足を運んだ。


けれどこの展示を前に、また都市や都市生活者とつくり手のあいだの、たしかなる断絶を感じてしまった。
でもそんなことはだいぶ前から分かりきっている。農村と都市と、生産者と消費者とそれぞれにそれぞれの機能や役割がある。
そうした状況に何らかの問いをなげかけるための展示でもあるはずだ。
そしてこの場でつくり手の存在を明示することが、新しいつながりを生むきっかけになる、そういったことが期待されているはずなのだ。
実際にとても前向きな内容だったと思う。遠くにあるもの同士を結びつけることを可能にしそうな明るい雰囲気や、洗練された手仕事を誠実に表現している感じがあった。

それに、都市的な性格を集約する展示室という空間が断絶をどうしても助長してしまう側面がある。おそらく農村や伝統的な生活様式の中には白い壁に囲まれた場所はない。

だから今更、断絶自体を嘆いている場合ではないし、それに感情を揺さぶられるなんてナンセンス。
(以前岩手のおじいちゃんにこの世の理について嘆くことほどナンセンスなことはないと断言された。忘れていないよということをここで強調しておく。)

しかしながら、自らのリアリティを都市にも農村にも持つことになっているわたしにとっては、身が引き裂かれるような思いだ(言いすぎか?)。
それぞれでの生活や経験はひとつひとつまるで趣が異なるが、自分の中では自分という軸の元に統合に向かっているからである。

こうなったらとりあえず、農村に行ったら気合を入れて稲刈りを手伝うしかない!と思った。
至って前向きである。



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