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転妻図鑑vol.7「転勤があったからこそ掴めたHAPPY!」転妻歴11年目七転八起の場合

はじめまして七転八起です!私が転妻図鑑に投稿するきっかけは、れみふくさんのスタンドFMをきいて、転勤族の妻のエピソード集の存在を知ったことです。エピソード集を読んでみて自分も自分の転勤族の話を書いてみたくなりました!
なぜなら、転勤が決まったときに「子供の学校は?」「仕事は?」「自分と似たような境遇の人はいないか?」など、不安な気持ちを解消するような転勤情報がものすごく欲しかったし、転妻情報に助けてもらったからです!!なので自分の体験談も誰かに役に立てればと思って書かせてもらいました!

①七転八起の転勤歴


七転八起の転勤歴ですが、結婚前も仙台→山形→仙台→神奈川→東京→山形→埼玉となかなか移動の多い人生でした。結婚後は、埼玉→札幌→北海道の僻地と引っ越しとなってます。
自分自身も中学生の時に1年間、仙台から山形に引っ越しをした経験があり、引っ越し先でとても楽しかったので転勤は悪くないと思っていました。しかし、結婚、出産をしてからの引っ越しは、仕事のこと、子供の学校のこと、不安なことが多くて本当に嫌でした。

②夫の転勤と妻の仕事


七転八起の場合、ちょっと変わった家庭環境で、なんと夫が仕事をやめて、大学に入り直すというライフイベントがありました。そして夫が入り直した大学が札幌にあって、このことで私も札幌に引っ越すことになりました。その当時、子供はいませんでしたが、働き手は私一人だったので、仕事を辞めるわけには行かず、埼玉で働いていた私ですが、転職か異動かで頭を悩ませていました。
 当時は、転職サイトに登録して転職も視野にいれつつも、やはり今の仕事は辞めたくないという気持ちが強くありました。しかし、札幌は人気の赴任地なので多くの社員が異動を希望しているということも知っていました。でも諦めずに上司や、周りの人たちに、退職せずに転勤したいということを周囲に訴え続けてました。その結果、半年もたたないうちに札幌への異動が叶いました。
 このことからも感じたのですが、やはり叶えたいことは口にだすことが大事だなと言うことと、周囲の人たちへの感謝は忘れないようにしなくてはと思いました。
 夫の転勤で帯同する場合、妻は仕事をやめなくては行けない場合もあるかもしれませんが、もし、今の仕事を辞めたくないなら、辞めるという結論は急がず、異動ができるよう、できる限り訴え続けるべきかなと感じます!最近ではリモートワークも盛んに行われているので仕事によっては、日本中、世界中で場所を選ばずできることも多いのですから!!!

③仕事の退職と二度目の大学受験


 そして、札幌に越してきて3年が経過。その頃、長男を妊娠。そして育児休暇にはいりました。その後立て続けに第二子も妊娠。育児休暇を延長し、慣れない育児に翻弄されながらも充実した毎日でした。ただ、この時期は子供の可愛さを感じてはいたものの、働くママさんがとても輝いて見える時期でもありました。この時期を通じて、「私、子育ても好きだけど、やっぱりお仕事をしたいんだ!」と再確認し、改めて仕事を続けることに対して意欲が芽生えました。
 ただ、その頃には、夫の職業は医療職で卒業後、僻地でお仕事をすることが予め決まってました。夫に帯同することになった場合、転勤先には、自分が勤務してた会社の支店や営業所はなく、仕事を続けることは不可能でありました。夫に帯同する未来を想像したときに、なにか帯同先でも働ける手段を作りたいと感じるようになりました。そこで、早速、夫に相談し、情報収集を始め、僻地でも働ける職業はないのか模索しはじめました。 
 
 そこで選択肢にあがったのが医療職でした。医療の分野は僻地でも求人が多いことを知り、医療職に就けるように大学に入りなおすことにしました。中でも私が選んだ医療職は薬剤師の職種でした。看護師、PT、栄養士、様々な職種の中でなぜ薬剤師だったのかというと、今まで働いていた会社が製薬会社だったので薬の業界に馴染みがあったということが大きな理由です。実際には馴染みがあったとはいえ、この経験はほとんど大学生活では役に立たなかったのですが・・・・・。 
 決断してからは、育児をしながら久しぶりに高校の数学や化学の勉強をしつつ過去問を解く毎日でした。そして努力の結果、編入試験を通過して合格通知をいただきました。そして、その春、夫が大学を卒業し、私も薬学生3年生のスタートをきることができました。

④学生生活と育児の地獄


 いよいよ始まった大学生活は、本当にハードな生活でした。夫も大学生だったので子持ちの大学生の状況は、ある程度、想像していたのですが、私が通学していた大学は、夫が通っていた大学よりも出席日数やテストが本当に厳しくて、欠席もほとんどできないし、定期テストを落としてしまうとたやすく留年してしまうような大学でした。 
 そこで覚悟を決めて、全ての誘惑を遮断して勉強に邁進してました。そんな中、3歳、4歳だった子供たちは本当によく発熱、風邪をひいてました。子供が病気になどなった時は本当にいろいろなサポートを活用し綱渡りな状況でなんとか乗り越えていっている状況でした。
 なかでも国家試験の前は、勉強する時間を捻出するため、本当にギリギリの睡眠時間、スケジュールの中で生活をしていました。今でも思い出すたびに本当に地獄のような生活だったなーと感じてしまいます。

そんな中でも、夫は仕事をしながらも育児を全面的に協力してくれて、土日に勉強する時間を作ってくれました。本当に夫には感謝しかないです。夫のおかげで子供たちもすくすく育ってくれました。そんな綱渡りな生活を4年間過ごして晴れて薬剤師としてデビューすることができました。

⑤予想外な田舎暮らし


 晴れて薬剤師になり1年が経過した頃、いよいよ僻地へのお引越しがきまりました。引っ越し前からエージェントを通して転職活動を始めました。コロナ渦ということもあって、面接もオンラインで行われ、帯同する前に内定をもらうことができました。やはり資格職は転職に有利ではありました。地獄のような4年間でしたが、その分様々な場所で仕事に就きやすいことを実感でき、あの4年間を納得できた部分もありました。ただ、仕事のことは安心できていたものの、心配、不安なことが山積みな状況でした。例えば子供たちが新しい環境に順応できるか、習い事の選択肢、生活環境が180度違う場所で生活の不安など、多くの転勤族の人たちが抱える問題をいだきながらの新生活がスタートしました。
 
 ファミリーレストランも本屋も電車の駅もない、小学校も学年に1クラスしかないような場所ですが、住んでみると本当に楽しい生活が待っていました。夫も以前より職場が近くなって家族で一緒に過ごす時間が増えたり、大自然の中、子供たちも周りを気にすることもなく野山、海を駆け回り、大声をあげて喜んだりの毎日。公園も順番を待つことなく、遊具で遊べたりと。子どもたちは、ダイナミックに体を動かして遊ぶことができる環境に大満足な様子でした。
 さらに、周りの方々も家族で転勤してくる人の少ない場所なので、とても気にかけてくれて、連日お野菜をもらったり、食事に誘ってもらえたり。時には、自分の畑の収穫作業を体験させてくれたりと、本当に感謝を感じられる毎日です。田舎暮らしを心配していた過去の自分に本当に言ってあげたいです。「子供が小さいときは田舎でくらすことは本当に大正解な選択だよ!」と
 習い事の問題や、買い物に関しては選択肢は確かに少ないけれども、不幸中の幸いで、コロナの影響でオンラインの習い事が増えたこともあり、勉強に関してはオンラインで対応できたりもしてます。
 土日の習い事ならば家族で遠出して買い物ついでに習い事に送迎したりも可能であることもわかりました!さらにはやはり田舎ということもあって、習い事の費用も格段に安いことなど、とても助かってます。

 とにかく、田舎への引っ越しは想像してものを良い意味で見事にひっくり返してくれました。

⑥転勤があったからこそ掴めたHAPPY


最後に、転勤族の奥さんは、転勤のたびに人間関係をリセットしたり、職場を退職せざるをえなかったり、子供の進学、マイホームの問題、定住先など頭を悩ませられる問題に囲まれながら生きていることが多いと思います。時には転勤のない友人の生活環境や安定をうらやましくも思うかもしれません。(ちなみに、私がそうでした!)

 でも、いざ、転勤族の奥さんになって過去を振り返ってみると、もし転勤族でなかったら、薬剤師の国家試験をうけようとも思わなかったし、夫の帰宅が遅くてワンオペ育児に追いやられただろうし、子供たちには集合住宅の中で走り回る毎日に怒りの連続だったかもしれません。
 
もちろん、全部全部が良い場所ばかりではないとは思います。でも、そこは転勤族!もし、自分とあわない環境ならば期間限定の場所だからという気持ちにも持っていけます。
 
 幸せの形は人それぞれだと思いますが、定住先があるのも1つの幸せだし、転勤した先々で新しい人間関係、新しい経験ができるのも1つの幸せです。
 都会の生活、田舎の生活、それぞれ好みがありますが、もし、都会が好きだけど田舎暮らしをしているのならば、DUALライフ(二拠点生活)のように週末に都会に繰り出すことで気持ちは落ち着くでしょうし、逆も然りです。
 
 したがって転勤がきまったならばその場所を思いっきり楽しみ、足りないものは何かで補って、「転勤族だからこそ」の「何か」をみつけて自分らしいHAPPYライフをおくってほしいです。

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