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定年教師の独り言vol.1「子どものため」は魔法の言葉?悪魔の囁き?

 37年間勤めた学校を定年で辞めた。教員不足のこのご時世、多くの同期が再任用教員として現場に残る中、わがままな辞め方をした。

 定年で辞めることは、数年前から決めていた。自分の年代は65歳からしか年金は出ないので、全く働かないわけにはいかない。それでも、「学校」には残らないと決めた。

 現役中は、全力で職に向き合った自負はある。夜であっても土日であっても、「子どものため」とあれば懸命に対応をした。学校で朝を迎えたことも何度かある。そのこと自体に悔いはないのだが、少しずつ違和感を覚え始めたのも事実。

 「子どものため」 
 教師という生き物は、この言葉に弱い。もちろん鼓舞されたり背中を押されたりする前向きエナジーでもあるが、多くはこの言葉に縛られて、自分の生活まで侵食されてしまう。我が家でいえば、よそん家の子どものために時間を費やしている父親の傍で、じぶん家の子どもは置き去りにされていた時間が長すぎた。そうこうしているうちに、我が子たちは、父親の手を借りずとも自立してしまった。

 「学校は『ブラック』」と言われるようになった。もちろん厳しいのは学校だけではない。しかし、100時間を超える時間外が毎月発生しても受け持ちの子供の対応で家に帰れなくても、残業手当なしで働かされっぱなし、という現実にようやくメスが入り始めた。そしてそれは、自分にとっては少し遅すぎた。

 「子どものため」は魔法の言葉。受け持ちの子どものためには寝食を削り、昼夜も問わない。それはそれで教師としての働き甲斐だったし、北野広大先生も金八先生も、GTOだってそうだった。一方、そうでなければ「熱心ではない先生」にカテゴライズされるかもしれない。それが怖くて、自分の生活を犠牲にしてでもそちら側を選んでしまう先生も少なからずいるはず。定年間際になって、自分もそうではなかったかとの思いにじわじわと苦しめられ始めた。まさに、悪魔の囁き。

 結果、定年で教師を辞めた。37年間を否定したくはないが、自分に嘘をついていた時期があったのも事実。これからは、自分にできるだけ正直に生きたい。時間を、自分と、できれば家族のために使いたい。車 木工 革細工 キャンプ ギター 映画など、自分の好きなことに時間を使おう。時々は、自分の37年間も客観的に振り返ってみたい。そしてこのnoteで発信する。
 退職したから生まれた余裕。それも自分の時間だ。

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