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天国からの「年賀状」

「もうあの年賀状は届かないんですね」

 父の急逝は家族のみならず、父を知る多くの人も驚きだったようだ。通夜や告別式にきてくださった方々が口を揃えて仰ったのは、父からの年賀状が途絶えることの残念さだった。

 父といえば年賀状。多いときにはおそらく1000通は超えていたろう。表書きは毛筆。裏書には共通の文言のほかに、一人ひとりに合わせた内容がぎっしりとペン書きされていた。数年前からさすがに表書きが辛くなったようで、パソコン教室に通いプリンタ出力に代ったが、裏書は直筆。年賀状を準備する父の姿は、我が家の年末の風物詩だった。

今回は喪中葉書ですが…

 父が亡くなったことを親交のあった方々に伝えなければ…。今回は年賀状でなく喪中葉書となったが、息子として、母に代わり準備することになった。父のパソコンから昨年の名簿を探し当てたところ、およそ700名分。90歳を超えてなお、これほど書いていたのかと改めて驚く。

 ひとつ気になっていたことがあった。几帳面で、時計のように正確なスケジュールで生活をしていた父のことだ。もしかしたら、もう年賀状の準備を始めていたのではないか。亡くなったのが9月2日の夕方。前日、9月になったことを機に、年賀状準備を解禁していたのでは…あり得る。家族でそんな話をしていた矢先、母が「下書きが書斎にある」という。やっぱりだ。

 1枚のメモ用紙に残されていたものは、見慣れた父の字ではなかった。弱々しく震え、誤字もある。もう本調子ではなかったのかもしれない。
 近況として、3月に倒れたこと、リハビリを頑張っていること、曾孫が生まれたこと、元気になって曾孫と歩きたいこと、などが記してあった。初曾孫を抱いたのは8月29日。この時が最後の写真。そして、その後のメモが、父の「絶筆」となった。

天国からの年賀状

 せっかくだから、父の最後のメッセージを、年賀状を楽しみにしてくださっていた方々に届けたいということになった。メモを画像化し、娘が二次元バーコードにしてくれた。喪中葉書の最後に、父の年賀状下書が見つかったことと、バーコードを添え、約800通を投函した。

 当然のことだが、例年のような多くの年賀状は届かない。しかし、寒中見舞いをくださる方があった。その中に「思いがけず、下書きを読ませていただき感激しました。先生からの年賀状をいただいた気分です。」と記してくださっていた。同様のハガキやお手紙、電話も多くいただいた。

 喪中葉書で、亡くなった本人からの年賀状が届くなんて不思議なことこの上ないが、父が最後に準備したサプライズを楽しんでもらえたらと願う。

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