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72候【花鳥風月】霜降の候

葉守の神

ハーブに親しむようになると四季折々の四大元素の活躍は、植物たちと不可分なものと気づき、民族特有のカウント、時代ごとの変遷など、いろいろな暦に興味が湧くようになりました。

日本の二十四節気七十二候はカウントというより、外界の変化を花鳥風月で表す情緒あふれるものです。
四季折々の植物の変容を見ていると「みんなちがってみんないい」はふつうのことで、いのちを循環させるために多様性は必須であり、それぞれにちゃんと決まった役割分担があるんだなぁ、と感じ入ります。

二十四節気七十二候、今年は10月23日から、霜降そうこうの候に入ります。

しも始めて降るー霜が降りる頃
小雨時々降るー時雨が時々通り過ぎてゆく
紅葉蔦こうようつた黄ばむー楓や蔦が黄葉しはじめる


「色づいた葉が落葉し、大地に敷きつめられると、お山のふもとから頂上、そして元素界へつながる道しるべができて、四大精霊の帰り路ができる」
前回の記事では水の精霊たちを循環させる植物について所感を綴りました。
今回は森の番人、柏の木と、日本古来には依り代だった、香りあるクロモジの木について綴ってみたいと思います。

誰もが気安く往来できないよう、結界を守るのが森の鎮守のお役目。
柏の木は、古くから「葉を守る神」が宿るといわれています。
黄葉終わり、葉は枯れてカッサカサ、茶褐色になっても落葉せず、春頃までこらえているのが柏の葉です。

柏餅に使われる、手のひらみたいな葉っぱは、次の春がきて、新芽が芽吹いて押しだされるまで、乾ききった枯れ葉を茂らせたまま、ある種地獄の門番みたいな様相で、見る人をぎょっとさせます。

「枕草子」清少納言 より
「柏木、いとをかし。葉守の神のいますらむも、かしこし。兵衛の督(ひょうえのかみ)、佐(すけ)、尉(ぞう)など言ふも、をかし」

とくべつな、なにかがある柏の木。葉守の神がいらっしゃるような、畏敬の念をいだく木です。兵衛の督、佐、尉などの異名として、柏木が用いられているのも感慨深い。


「源氏物語」紫式部 では、亡くなった柏木のことを葉守の神と表現しています。

「ことならば馴らしの枝にならさなむ葉守の神の許しありきと」
できることなら連理の枝になりたい。葉守の神がお許しくださったという気持ちで枝を交わし合いたいです。

「柏木に葉守の神はまさずとも人ならすべき宿の梢か」
柏木にたとえ葉守の神がいらっしゃらないとしても、ほかの人を近づけてよい梢でありましょうか。


葉守の木、葉守りの神が宿る木として、柏は神が宿る縁起木とされてきました。
系譜が代々続き、柏のように、強くたくましく育ってほしいと願い、端午の節句に使われるようになりました。

柏木

英語名はジャパニーズ・エンペラー・オーク、カシワオークと表記されます。

柏は耐火性があり、山火事でも生き残る率が高いことや、寒さにも強く、大きな葉を茂らせることから防風林として活用され、北海道の石狩海岸には、柏の防風林が現存しています。

柏の原生林といえば北海道の中札内美術館も有名です。
蝉やカエル、小さな生き物たちが、大きな葉に守られるように生息し、観光地なので人の手が入っていることを差し引いても、「鎮守の森」はほんらいこんな風で、ヒト以外の生命種が活発に蠢く、常世と現世の端境だったのだろうと想像できます。

夏の原生林では、この世の中から蝉の声以外、いっさい消失してしまったのではなかろうか、というほどの、すさまじい大合唱を堪能できます。
一瞬にして、トランス状態に入り、見ている風景がにじみはじめて、森ほんらいの姿が、垣間見えるような気がします。

こんもり、うっそうとした森は人を寄せつけない畏ろしさがありますが、なかでも柏の木は、枯葉を鎧のように身にまとい恐怖心をかきたてるオーラを放って森への侵入を阻む、葉守りの木。

「指輪物語」に描かれるオークの醜悪さは、ちょっとやりすぎなのでは?と感じることもありますが、結界をまもる門番は、そのくらいじゃなければ務まらないのかもしれません。

ほんらい「かしわ」は、かしぐ葉といって、調理に使用されている植物の葉、全般を表す言葉でした。
ホオノキやオオシマザクラ、ナラガシワの葉も、炊ぐ葉として使用されてきた歴史があるので、「かしは」と呼ばれていましたが、次第に「かしわ」の呼称は柏の葉に集約されていったそうです。



香りある植物は邪を払う


老舗の和菓子屋さんで一服するときにでてくる、黒柄の爪楊枝。
それが日本に古くからある落葉樹、クスノキ科のくろもじ(黒文字)であると知ったのはハーブの勉強をしてからでした。
楊枝をクロモジと呼ぶ風習も知りませんでした。

くろもじ

花のような柑橘のような、柔らかい香り成分をもつくろもじの枝を、古くから爪楊枝として活用してきた日本人の感性は、すばらしいなと思います。

香り成分には殺菌作用、抗ウイルス作用があり、枝葉を煎じて飲むクロモジ茶や、肩こり腰痛、関節痛によいとされる入浴剤は、おばあちゃんの知恵袋のひとつです。
くろもじは油分が多いので、水をはじく性質を利用して、かんじき(いまで言うスノーシュー)の材料としても使われてきました。
もちろん燃えやすいので、火おこしにも便利だと思います。


香りのある植物を伝統的な儀式に用いてきた民族といえば、ネイティブ・アメリカンやチベット人などが思い浮かびますが、日本でも、もちろん植物は神事に欠かせない、神の依り代であり代理役です。

正月の門松、餅花、橙
神社のシメナワ、祓のチガヤ
お月見のススキ
神棚のサカキ etc...

神木としてのさかきは、ほんとうはくろもじだったんじゃないか?
と提唱したのは、民俗学者の柳田国男(1875年 - 1962年)です。

「神樹偏」より
東北地方では、山中に榊を祭る木として(くろもじが)用いられている。
狩りの獲物の一部をこの木に刺して、山神に供える習慣があるだけではなく、その名を鳥木、鳥柴と呼んでおり、この木に鳥をつけて人に贈り、神社の祭りにも捧げていた。
正月の餅花をこの木(くろもじ)の枝に刺し、餅花の木と言っているのも、祭木のひとつのかたちといえる。
***
榊葉の香をかぐはしき云々というような
この木に香氣があるという古歌の多いことで
今ある眞榊は葉の艶が美しく形もけだかいけれども
これには少しも香がない。

柳田国男先生著作集. 第12冊 (神樹篇) - 国立国会図書館デジタルコレクション

神樹偏では、さらに

古人の自然観察はいたって親切であって、同時にその判断は簡単であった。
樹は上空に近いから神の宿り、枝の下へ垂れた木は地上に降りるために、特に選定せられた梯子。

天地をつなぐ梯子として、植物を見ていた古人の感性の片りんは、現代社会にも、門松や鏡餅などに継承されています。
門松は神さまの依代(よりしろ)、神さまが訪れるためのしるし、
という意味と同時に、お供えものを供して感謝をささげます。
鏡餅はお供えものでありつつ、ご神体でもあります。
その上に鎮座する蜜柑は、マレビトたちの出入り門、ということではないかな、と。

オレンジ(蜜柑)の物語はこちらの記事でも紹介しています。


現在市場に流通している榊としてのサカキは、ツヤッとして立派ですが、枝が香ることはありません。
さらに北国や雪国には生育しないので、古典に詠まれた香氣ある「榊」は別の木だった可能性があるのだろうな、と。
神事における今昔共通認識として、香りのある植物は邪を払うという定説にも、沿っていないわけです。

榊については、いつ、誰がどのように、香氣のない現代のサカキを流布したのかはわかりませんが、香りがつなぐ記憶というのは、いつでも人知をひとっ飛びする、妙薬だと感じています。


竹や松、橙はそのまま縁起物として継承され、くろもじだけが入れ替えられたとするなら、くろもじが放つ香りというのは、日本人にとってなかなかに重要なマレビトの梯子なのかもしれないな、と考えてしまいます。
日本人の古い記憶を呼び覚ます、妙薬なのではないかな、と。



魔道具としての黒文字


植物が香気成分をもつ理由は、誘引効果、忌避効果、種が発芽できるまでの成長を守るため等々、現代的学術見解は出揃ったものの「植物の香気成分は、依り代としての神々の梯子でありお座布団である」なんて研究発表をしようものなら、ローカル社会からはすぐにはぶられてしまいます。

この香りはこの神様
あの香りはあの神様

なんて研究を堂々と発表するには、合意的現実である同調圧力が大きな壁になっていて、代償が大きすぎるんだろうな、と。
エビデンス最優先の学術界では、四季折々にしみじみと感じ入る、その感性云々といっても通用しないので、全くの別モノ社会と考えた方が合理的だし、双方にとっても幸いなるかな、と。

黒文字という呼び名がついたのは、若い枝に黒い藻類が付着して、黒模様が文字にみえるから、という説がありますが、「文字」というものも、線と線の組み合わせなので、エーテル体を表現するもの、と考えています。
くろもじ/黒文字という名前には、エーテル体を集める神木という意味が込められているのではないかと思っています。

北海道にはオオバクロモジという近縁種があり、この枝で作ったかんじきを友人に見せてもらったことがあります。
道央の山野を一緒にかんじきで散策した時、積雪が多い年で肩くらいまで積もっていたこともありますが、以前訪れた初夏のころ目にした風景とはまったくちがって、少しだけ空に近い視点は、雪がなければ味わえない特別なもの、と感じました。

土元素界から浮きあがって、水元素界の上に立っている感触も、かんじきがなければ味わえないもので、神の依り代である樹木は、空に近づく魔道具にもなるんだなぁ、と思いました。



太陽はさそり座に入ります


樹々が黄葉すると、葉脈が透けて見えるようになります。
夏のあいだは見えなかった、骨子が浮き彫りになる時期です。
さそり座は冬に向かう区切りの時節にあり、冬枯れた柏木のように、おそろしい毒針をかざして、自分の領域に入るもの入らないものを選別し、あちこちにクラスターを林立させてゆきます。

境界線をこえてきたものとは、真剣な態度で、信頼を求めあう関係性を築きたい、深い感情を共有したい、と願います。
対象となるのは人、仕事、自分自身など、さまざまなパターンがあると思いますが、青々とした葉の葉脈も透かし見るほどの集中力で、深くしずかに、断固たる意志をともない、たんたんと行動する心理傾向が強まります。

さそり座の鋭い毒針は、内面の内奥にまで作用するので、体臭が一変するほどの、底深い変化を経験することもあると思います。

微生物が繁殖してクラスターをつくるように、そしてクラスターをつくれば他の雑菌が繁殖しにくい土台ができ、さらに内部で発酵菌が増殖すれば、後から腐敗菌が入ってきても増殖することはできないように。

クラスターの土台から見直して、具合のいいようにすべてをつくりかえる。
いちど結界をこわして、世界線を引き直すのもいとわない。

内奥からの圧の高まりは、気づかないうちに進行することが多く、晩秋に降る秋時雨あきしぐれのように、晴れた空が急に曇ったかと思うと、雨ともいえぬような霧雨に包まれ、傘をさすほどでもないと濡れ歩いているうちに間もなく晴れて、西の空から射す陽がまぶしいほど輝いたかと思うと、やがてまた黒雲が頭上に垂れ込め、今自分が立っている場所には米糠のような細かい雨が降りそそぎ…

定めのない時雨よろしくジワリと影響が積み重なってゆきます。

クラスター内部は一心同体、いつしか発酵が完了して、葡萄がワインになってしまうように、樽のなかで変性をともに体験します。

芳香というものは目に見えないですが、言動や姿形とは別次元で、絶えず自己表現をしています。
さそり座心理が強まると、自分のなかにある葉守の神を浮き彫りにして、香氣を頼りにクラスターを形成します。
発酵・熟成したらワインになるか、日本酒なのか、味噌か醬油か、ヨーグルトなのか?

今年の仕込み具合がどんな風に熟成するのか、まいとし霜降そうこうから立冬りっとうの候は、手づくり味噌を仕込みおわったあとのような達成感、出来上がりの待ちどおしさでココロ踊ります。

発酵食品と同じでオカシナものに仕上がることもありますがw、香りはうそをつかないので、熟成期間中は自分の香氣成分がどのようなクラスターと縁を結び、どのような植物・動物・鉱物たちと縁深かったのかを整理しては思い出し、マインドマップづくりにも精が滲み出ます。

☆☆☆

お読みくださりありがとうございました。
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