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【暴論】資本主義社会での報道内容の商業主義

マスコミの報道の質の低下が目につく。
昨今の報道の傾向なのだろうか。底が浅い報道やどこかの団体から出てきた内容をそのまま報道しているような内容である。

報道について感じること

コスト意識、効率化の弊害なのだろうか。十分な裏どりや検証のないニュースが垂れ流されていく。このような報道でいいのだろうかと心配になる。

報道を商業主義で行うと、人気とりの為のポピュリズムな世論が形成されていく。目先の興味に先導される世論。テレビの視聴層により世論のワイドショー化である。

いわゆるマス、大衆層に影響を与えるマスメディアによる情報の垂れ流し。

欧米などはどのように機能しているのだろう。民主主義の先進国ではどのようにして報道の質を担保しているのであろうか。

国境なき記者団などの組織が相互監視しているのであろうか。

報道は権力に対応する手段

このような報道がまかり通るのは、やはり一般の市民意識の差ではないだろうか。
欧米の民主主義先進国では、民主主義や自由は自らが勝ち取った権利という意識が高いように思う。自由は権利の源泉なのだと思う。

そして報道とは、その自由の権利を行使する為の行政、国家組織を監視する為の重要な仕組みという意識が強いのではないだろうか

基準が変わったのにそれを明らかにせずに人の興味を引くような客観性に欠ける内容がまかり通るこの国の報道はどうなのかと感じる。

報道のあり方

興味を引くことに、視聴率をとることを優先して世論をミスリードする可能性を考慮しない報道は、どうなのだろうか。信用できないという気持ちになる。

だれもが発信する機会を持つようになったこの情報化社会では、他と差別化するには信用度が重要になってくるのではないだろうか。

既得権益を持つ既存のメディアは基本に立ち返る必要があるのではないだろうか。報道とは何の為にあるのか。社会に何をもたらすべきなのか。

変革期である今、ここに立ち返らないと淘汰されることになる。

内閣、財務省、警視庁などの政府側の主張やリークを検証なしに垂れ流。そう感じることがある。

御用メディアであることの弊害を考えるべきである。マスコミには国民、市民に対して事実を伝えるという重要な役割がある。

事実と主義主張をわざと混同し、事実であるかのような報道を行う。これが報道機関なのだろうかと思う。客観的事実と自らの主観はきちんと分けて報道すべきである。

ワイドショーを報道バラエティ的に扱うのは、意図的な誤解誘導だ。

また団体に対する利益誘導のような報道も、報道として流すべきではない。


コロナ報道

例えば、少し前の記事になるがこんな記事があった。

新型コロナウイルスの感染拡大に関する報道にしても、客観的な事実報道のように見えて、現実を視聴者の興味を引くような扇情的な内容になっている。

状況や基準などが変わっているのなら、まずそれがわかるように伝えるべきだ。
興味をひいて視聴率を稼ごうとする商業主義が見え隠れする。

基本は誤解をさせないことだと思う。誤解を誘導して興味を引くのは報道ではないと思う。

最後に

煽情的な報道、身内のマスコミに甘い報道。商業主義による報道。

どういった目線の誰に対するものなのだろうか。

いったい誰の為の報道なのだろうか。

私も少なからず、誤解を誘導されているとココ最近、特に感じる。

マスコミ自身に改善が期待できないなら、社会的な仕組みを考える必要があると思う。

AIによる、客観性判定、偏向性判定、利益誘導判定などができないだろうか

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