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スピリチュアルな誤解(4):人を「許す」なんて出来る訳が無い

 宗教やスピリチュアルな人が良く使う単語に「愛」とか「許し」という言葉があります。そして、「人を愛しましょう」とか「人を許しましょう」という文章も良く使われます。しかし、この概念も非常に誤った理解をしている人が多いと感じています。第一、本当の意味で、人が他人を許すことなど出来る訳が無いのです。
 なぜか、それは「許せない」と思っている対象が、あなたの中で作り上げた「相手のイメージ」でしかないからです。それは本当の相手ではありません。例えば、あなたが誰かに酷く傷付けられた、と思っていたとします。相手は傷付けたつもりもないかも知れません。だとしたら、相手は許してもらいたいとも思っていないはずです。
 こういう相手を許そうとしても無理な話なのです。あなたが許せるのは、「あなたを傷付けたと思っていない本当の相手」ではなく、「あなたの中にある、あなたを傷付けたと思っている相手」でしかありません。
 これは「許す」でも、「愛する」でも、全て同じ構造です。あなたは他人と付き合う時に、自分の中に勝手に相手のイメージを作ります。そうしないと人間関係は構築できないのですが、そのイメージと本当の相手の行動や言葉が異なった時に「そんな人とは思わなかった」とか「裏切られた」という事になります。これは相手そのものというより、自分の中での他人のイメージの作り方に起因します。
 ですから「相手を許す」という行為を正確に表現すると、「自分の中に作り上げている相手のイメージを修正する」みたいな表現になります。そういう意味では「人を愛する」も同じですし、もっというと他人に対するアクション全てがこの概念に当てはまります。この原理を知らずに「人を許す」とか「人を愛する」とか言うから、誤解と混乱が生じるのです。
 もちろん他人と良いコミュニケーションを取ることは大切です。その為に本当の意味での「許す」とか「愛する」という行為も大切です。しかし、それは現実の他人をどうこうするという話ではなく、自分の中に勝手に作り上げている相手のイメージをどうするかという話なのです。
 もう一つの話があります。頭の意識と心の意識の分離の話です。人は自分が一つの人格だと思い込んでいますが、自分の中には多数の自分がいます。そしてその複数の自分の意見が一致している訳でもありません。
 頭では「許したい」とか「許せた」と思っていても、心、感情としては許せないとか、許したくないと思っていたとします。そうすると自分の中に捻れが発生して、強力な負のエネルギーを発生してしまいます。このエネルギーというのは想念エネルギーと思ってください。頭でも「許せない」と思っていた方が、捻れは起こらず、負のエネルギーはあまり貯まりません。
 宗教とかスピリチュアルな本とかを読んで、分かったつもりになって、怒らないようにしたり、自分が許せないと思っている相手を許そうとしたりすると、返って悪い状態を作り出してしまいます。これも良くあるパターンです。

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