ぼくの彼女はお酒が飲めない

 ぼくの彼女はお酒が飲めない。これはぼく自身は全然憶えていなくて本人からあとで教えられた話なんだけど、首都圏の放送サークルの学生が集まった懇親会でぼくらがたまたま同じテーブルになった時、由梨は一杯目にジュースを頼んだらしい。それでぼくはこの子はお酒が飲めないんだなと察したらしく、由梨のグラスが空になったのに気付くと、「二杯目どうします?」と言ってお酒のメニュー表ではなくソフトドリンクのメニュー表を差し出したらしい。由梨はその時、このひとは自分がお酒を飲めないことを分かってくれているんだと感激して、ぼくのことを好きになったんだそうだ。せっかくのご好意に水を差すようで申し訳ないけど、いくらなんでもひとを好きになる動機としては弱すぎるんじゃないかと思う。でもこれが由梨からの一応は公式の説明で、ぼくは彼女のその言葉を信じるようにしている。

 もしぼくが異性愛者だったら、ぼくのその行動から下心を読み解くことも可能だったかもしれない。でもあいにくぼくはゲイで、由梨にその時ソフトドリンクのメニュー表を差し出した(らしい)のは、よく知らない他大学のひとに気を遣った結果にすぎない。目の前にグラスが空になっているひとがいて、そのひとがアルコールを飲めないっぽいなら、ソフトドリンクのメニュー表を差し出すのは人間として当たり前のことだ。当たり前のことをしただけなので当然ぼくのほうは何にも憶えちゃいない。そしてもっとぶっちゃけたことを言うと、そんな当たり前のことで異性に好意を持たれたところでぼくとしては迷惑だ。爽やかな長身イケメンからならともかく、異性から好意を寄せられたところでぼくは困ることしかできない。

 これもあとで本人がちらっと明かしてくれた話なのだが、懇親会でぼくのことを好きになった由梨はさっそく親友の子に恋心を相談し、「相手のサークルの発表会が終わったタイミングでお茶に誘ってみてはどうか」とアドバイスされたんだそうだ。そしてまさに発表会が終わった日の翌日、由梨はぼくにLINEのメッセージを送り、ぼくは会うのを断る適当な理由が思いつかず(だって向こうは「付き合いたい」ではなく「デートしたい」ですらなく「お茶でもいかが」と言ってきているだけなのだ……)、日曜のお昼にJR横浜駅の中央南改札前で待ち合わせることになったのだった。

 由梨の実家は桜木町のほうにあって、そこで由梨はお父さん、お母さん、高校生の弟さんと一緒に暮らしている。由梨にとって横浜は小さい頃からの「勝手知ったる庭」だ。ぼくは当時まだ横浜にほとんど行ったことがなかったから、由梨に連れられるまま横浜駅周辺を散策した(させられた)。一緒にお昼ご飯を食べると、その後はみなとみらい線に乗って(乗せられて)赤レンガ倉庫に向かった(向かわされた)。なんかめっちゃ定番のデートコースを歩まされてるなって感じはしたけど、その間、ぼくらの会話は意外と弾んだ。話題は主に放送サークルでの作品づくりのこと。ぼくは音声ドラマ、向こうはアニメを作っているから、お互いの制作秘話はとっても新鮮だったのだ。ぼくはゲイだが女性と仲よくなるのが嫌なわけではない。ぼくは由梨とはいい友達になれそうだと思った。赤レンガ倉庫のグッズショップではクリアファイルがいっぱい売られていて、由梨は「これかわいい」と言いながら、外国人の赤ちゃんの笑顔が大写しになっているクリアファイルを手にとった。このひとはこういうモチーフが好きなんだ、とぼくは思った。同行者が何か買うならぼくも何か買わなきゃいけないような気になって、ぼくは同じ棚にあった別のクリアファイルを手にとった。サンフランシスコかどこかの港が写っているやつだ。パッと選んだわりにはデザインがイケてる。自分の商品選びのセンスのよさに気分がよくなったこともあって、ぼくは小手由梨というひとと一緒にいるのが楽しくなってきていた。

 赤レンガ倉庫の外に出るともう日が落ちてきていたので、晩ご飯も一緒に食べようということになった。いつもチェーンの定食屋(具体的には松屋かやよい軒。はなまるうどんを定食屋と呼んでいいのかは微妙)に行っている学生にとってはちょっとお洒落なレストランに入って、由梨はオレンジジュース、ぼくはジンジャーエールを頼んだ。ぼくは結構お酒が強いほうだが(少なくとも友達からはそう評されている)、由梨と一緒にいる時はお酒を飲まない。それは交際から一年が経ついまでも変わらない。由梨が飲めないと分かっているのに、ぼくだけ一人で飲むのは違うと思う。でも、それはぼくにとって由梨が特別な存在だからじゃない。ぼくは誰と一緒にご飯を食べる時でも、相手がお酒を飲まないなら自分もお酒は頼まない。それがぼくにとってすっきりするルールなんだ。ぼくは由梨を特別扱いしていない。由梨はお酒のことがきっかけでぼくのことを好きになってくれたし、自分の前でぼくがお酒を飲まないのは自分を大切に思ってくれているからだと思い込んでいるかもしれないけど、実際にはぼくは由梨の気持ちなんてこれっぽっちも考えてなくて、むしろ由梨がお酒をめぐるあれこれでぼくを愛してくれているのを迷惑に思ってるぐらいなんだ。

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