ぼくはお酒に酔えない

 お酒はひとを開放的にする。お酒を飲むと、ついつい自分の秘密をしゃべりたくなる。言ったら面倒になりそうなことも明かしたくなる。たとえば「ぼくに姉がいるっていうのは嘘で、実はひとりっ子なんだ」とか。まあ、その話ならまだいい。「ぼくはゲイなんだ」なんてうっかり漏らしてしまったら大変だ。だからぼくはお酒に酔えない。大学のサークルの連中と一緒によくお酒を飲みに行くし、その時はだいぶ飲むほうだけど、ぼくが酔っ払ってべろんべろんになることは絶対にない。絶対にだ。

 みんなはぼくのことをお酒が強いと思っているみたいだけど、それはちょっと違う。まあたしかに「強い」ってことではあるんだろうけど、それは先天的な体質というよりは後天的に手に入れたスキルという感じがする。他人とお酒を酌み交わす以上マスターせざるを得なかった生存術というか。いくらお酒を飲んでテンションが上がっても自分を客観的に眺めているもう一人の自分がいるし、これ以上飲んだら調子に乗っちゃうかもという時は自分を制してお冷やを頼める。そういう意味で、ぼくはお酒に酔ったことがない。お酒の場で楽しい時間を過ごしてはいるけど、みんなが「酔っ払う」と呼んでいるような経験をぼくはたぶんしたことがない。

 でもこの前の晩、早瀬と飲んだ時はようすが違った。あれは完全に「酔っ払った」って呼んでいいやつだと思う。早瀬というのは同じ学部の一個下の後輩で、新歓時期にうちのサークルに(間違えて)見学に来た男だ。結局サークルには入らなかったんだけど、同じ学部だから授業の時間割を組むのを手伝ってやって、それ以来たまにサシで飲むようになった。早瀬は大学では何のサークルにも入ってないけど、高校時代の友人と4人組のアマチュアバンドを組んでいて(早瀬はVo.&たまにGt.)、自分たちでお金を払ってライブハウスの対バン的なやつに時々出演している(ぼくも2回見に行ってやったことがある)。念のため言っておくと、早瀬はぼくのタイプではない。中丸雄一に似ていなくもないが、ぼくのタイプは明るい感じの爽やかな長身イケメンなので要素は真逆である(中丸ファンの方がいたらごめんなさい……いや中丸さんもイケメンだと思いますよ……)。

 ぼくがどうして早瀬と飲むのが好きなのかってというと、一緒にいて気が楽だから。話しやすいから。心を許している相手だから。なにしろ、早瀬はぼくが男の子を好きになることを知っているのだ。ぼくに由梨という彼女がいることも知っている。由梨の誕生日プレゼントに何を買ったらいいか相談したこともある。ぼくがなぜ同じサークルのひとにはぼくの性的指向を明かしていないのに早瀬にはカミングアウトできているのかっていうと、こういう言い方でいいのか分からないけど、早瀬とは直接の「利害関係」がないからかもしれない。ただしぼくは早瀬に対しても自分はバイセクシュアルだと説明していて、その部分ではやっぱり心を許し切れていない。だってそりゃそうだろう。「ぼくはバイじゃなくてゲイなんだけど女の子と付き合っている」なんて真実を明かしてしまったら、「それは相手にも自分にも不誠実だからいますぐ別れるべき」と説教されるに決まっている。最悪の場合、ぼくは「そんなひとだとは思ってませんでした。がっかりだわ。二度と会いません。さよなら」と宣告されかねない。それは嫌だ。ぼくは早瀬に見捨てられたくない。まあ、早瀬のことだから「だったらそのひと紹介して(笑)」って笑い飛ばして終わりかもしれないけど(紹介はしません)。

 いつもはぼくが「話を聞いてくれ」って言って早瀬を誘うことが多いんだけど(とか言っておいて大した話はしないのだが)、その日は早瀬のほうから誘われてのサシ飲みだった。高校時代から付き合っていた彼女と別れたという話だった。別にいつものろけ話みたいなのを聞かされていたわけじゃないけど、早瀬にとってその彼女は大切な存在っぽかったから、別れたと聞いてぼくはちょっとショックだった。でも早瀬はやけにテンションが高くて、とはいえ空元気を出しているだけなのは明らかだったから、ぼくもそれに呼応して「こりゃ飲むしかないな!」「飲んで忘れよう!」「飲み足りないぜえ!」みたいな感じで次から次へとお酒を注文した。

 一軒目はまだよかったんだけど、二軒目に入ってからの記憶はほぼない。どうやって帰宅したのかの記憶に至っては完全にない。気付いたら自宅のベッドの上で翌朝を迎えていた。ぼくはお酒に酔えない。ぼくはずっとそう思ってきた。でも人生で初めて「酔っ払う」と呼んでいい経験をして、それは間違いだと分かった。お酒はひとを開放的にする。でもそれはきっと「お酒を飲むとひとは開放的になる」というより、「開放的になりたいときにひとはお酒に頼る」ということなのだと思う。意識的にか無意識的にかはともかくとして、開放的になりたいと心が願っているときに。ぼくがあの日酔っ払った(酔っ払えた)のは、早瀬のほうから飲みに誘われたからなんだろう。早瀬のほうから彼女との別れを打ち明けられたからなんだろう。早瀬がぼくに心を開いてくれたから、ぼくのほうも早瀬に対してもっと心を開きたいと感じたからなんだろう。ということは、本当のところ、「酔っ払う」ためにお酒の存在は必須ではない。本当に必須なのは人間の心なんだろう。

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