ぼくは中学生5人組に遭遇する

 ぼくは普段、JR京浜東北線とJR中央線を利用している。ぼくの自宅が蒲田地域にあって、ぼくの大学が中央線沿線にあるからだ。念のため言っておくと、ここで言う「ぼくの大学」とは「ぼくが在籍している大学」という意味であり、「ぼくが経営している大学」とか「ぼくがオーナーとして保有している大学」という意味ではない。この文章を読んでいるひとの中にまさか誤解するひとはいないだろうが、全国大学経営者組合(?)みたいな組織から「あなたはどこの大学の経営者なのですか」というコメントが寄せられたら面倒なのでここで念のためおことわりしておきます(ぼくは親切)。

 ただ、ぼくはJR京浜東北線とJR中央線しか使わないというわけではもちろんない。高校生の時は東急多摩川線と東急目黒線を使って通学していたし、いまでも乗ることはある。先日も学校帰りに自由が丘のヴィレッジヴァンガードとブックオフへ寄ったので(サークルの後輩の村井への誕生日プレゼントと映画の中古DVDを買うため)、東急線経由で自宅へ帰ることにした。

 自由が丘駅で東急東横線に乗り、多摩川駅で東急多摩川線に乗り換える。東急多摩川線というのは多摩川駅と蒲田駅を結ぶ路線である。駅は7駅だけで、各駅停車のみで運行している。車両も3両しかない。都内随一のローカル路線である。始発駅から終点まで片道10分ぐらいなので、これぐらいの距離なら歩いていけないこともない。実際、ぼくは蒲田エリアの自宅から沼部駅前の大田図書館までなら自転車で行っている。

ジョルダン「東急多摩川線の路線図」

 さて、自由が丘からの帰り。東急多摩川線多摩川駅のホームで電車が来るのを待つ。平日の夕方なのでホームは混んでいない。ぼくが岩波文庫の『アンナ・カレーニナ』中巻を読んで待っていると、蒲田方面からの電車が到着した。乗客が降り切るのを待って電車に乗り、ガラガラの座席に座る。発車の時刻まではあと5分ぐらいある。最近寒くなってきたよなあ、などと思いながらぼくが『アンナ・カレーニナ』の続きを読んでいると、中学生ぐらいの制服姿の男女5人組が車両に乗り込んできた。男子が3人、女子が2人という構成である。彼らはぼくの座っている向かい側の席に座った。かばんとかに学校名が書かれていたわけではなかったので断定はできないが、どうやら特別支援学校に通う生徒のようだった。

 ぼくから見て左側に女の子が二人並んで座っていて、右側に男の子が二人並んで座っていて、あと一人の男の子は顔に笑みを浮かべながら車内をちょこまか歩き回っていた。まあ、車内はガラガラなので誰の迷惑にもなっていない。だが、真ん中に座っていた男の子が「おい、(下の名前)! 座れ!」と厳しく注意していた。マスクをしているので顔の上半分しか分からないが、間違いなくイケメンである。まあ、いくらぼくがゲイだからって、相手は中学生なので欲情はしないけどね。どうやらこの男の子がこの5人組のリーダーというか、引率の役割を担当しているようだった。

 リーダーみたいな男の子(以下:リーダーくん)に注意されると、車内をちょこまか歩き回っていた男の子(以下:ちょこまかくん)は、座っている4人の前に来た。相変わらず笑顔だ。そして、リーダーくんの隣に座っている女の子(以下:ヒロインさん)に「おばさん!」と笑いながら言うと、また4人のところを離れて向こうのほうへ行った。その「おばさん!」という悪口はぼくには中学生らしい他愛のないものに思えたけど、だから問題ないって第三者のぼくが決めていいものではないよな。『アンナ・カレーニナ』の文庫本越しに観察した感じ、ヒロインさんは少し顔を赤らめて「もう!」みたいな感じで恥ずかしがっていた。

 すると、リーダーくんが「(ちょこまかくんの下の名前)! (ヒロインさんの下の名前)に謝れ!」とちょこまかくんを叱った。しかし、ちょこまかくんは動じない。リーダーくんの呼びかけを無視して歩き回っている。リーダーくんは立ち上がって、ちょこまかくんのほうにサッと近付く。そしてちょこまかくんの頭を軽く叩くと、「ほら、(ヒロインさんの下の名前)に謝れ!」と再び注意した。

 ちょこまかくんは相変わらず笑顔だ。ヒロインさんの前に行って、笑顔で「ごめんなさい、おばさん!」と言った。リーダーくんはサッと立ち上がり、ちょこまかくんの頭をさっきより強く叩くと、「おい、(ちょこまかくんの下の名前)、そういうことを言うのは悪いことだぞ。きちんと(ヒロインさんの下の名前)に謝れ!」と厳しく叱責した。隣のヒロインさんは「いいよ、放っておこう」とリーダーくんに言ってその場を収めようとしていたが、今度はちょこまかくんも反省したようで、ヒロインさんに向かって「ごめんなさい」と素直に謝った。

 念のため言っておくけど、ぼくの目の前ではバイオレンスな光景が繰り広げられていたわけではないよ。リーダーくんの声もちょこまかくんの声も声量的にはふつうだったし、ぼくの目の前で起こっていたそれは、雰囲気的にも「中学生的ふつうの光景」でしかなかった。強いて言うなら、中学校の教室内で起こっていそうな日常風景が電車内でも繰り広げられていたということでしかなかった。実際、周りの乗客(といっても数人しかいなかったけど)も「中学生的ふつうの光景」としてスルーしていた。あと、中学生5人組のうち、ちょこまかくんとリーダーくんとヒロインくん以外の2人(左端の女の子と右端の男の子)もこの状況に無反応だった。

 ただ、ぼくはこの光景を目の当たりにして、ものすごく感動していた。というのも、リーダーくんのあの叱責からは「本気」が伝わってきたからだ。あの時、リーダーくんは、ちょこまかくんがヒロインさんを傷付けたと本気で認識し、ちょこまかくんの行為を本気で注意していた。ヒロインさんのために本気で怒っていた。第三者のぼくが「おばさん」という悪口を他愛のないものとして片付けようとしていたのとは対照的だ。まあ、ちょこまかくんの頭を叩いたのはよくないことだったかもしれないが、しかしあの時のリーダーくんの態度は誠実で立派だった。

 考えてみれば、近頃のぼくは「本気」でひとと接していない。ひとと衝突しないこと、気まずい空気を作らないことに気を取られて、ぼくの信じる正義や道徳を隠したりしている。なんなら、目の前で友人・知人が不正行為をしていても見て見ぬふりをする。少し前のことだが、他大学の発表会に向かうため、サークルの後輩の藤沢と一緒に路線バスに乗っていた時、藤沢の携帯にバイト先かどこかから電話がかかってきた。当然、バスの車内は通話禁止だが、藤沢はふつうに電話に出てふつうに会話をし始めた。周囲の乗客は「おい、ルール違反だぞ」という目線を藤沢に向け、藤沢の隣にいるぼくにも「知り合いなら注意しろよ」という無言の圧力をかけてきた(ようにぼくには感じられた)。この時、ぼくは藤沢に「通話はダメだぞ」と注意しようかどうか悩みながらも、結局、窓の外の景色を眺めて見て見ぬふりをした。藤沢が通話を終えてからも注意しなかった。「今回は仕方なかったけど、次回からは気を付けような」と先輩らしく優しく叱るみたいなことすらしなかった。それはなぜか。藤沢に嫌われたくなかったからだ。めんどくさいやつだなと思われて、その場の空気を気まずくされたくなかったからだ。この時のぼくは惨めだった。正義でもなければ悪でもなく、ただ、自分の弱さに怯えているだけの物体だった。

 東急多摩川線の5人組はあのあと、基本的には「4人は座って、1人は歩き回る」という構図を保ったまま、ぼくが降りる駅の前の駅で揃って降りていった。ぼくがあの日、東急多摩川線の車内で遭遇したのは「中学的ふつうの光景」にすぎなくて、わざわざnoteに3,000字以上も費やして書くまでもないことかもしれない(本当は1,500字ぐらいでまとめるつもりだった)。でも、ぼくは、あのリーダーくんの「本気」で誠実な態度に接して、「人間っていいな」と感じたのだ。

 いまのぼくが日常的には東急多摩川線を利用していないということもあって、ぼくはあれからあの少年少女たちと遭遇していない。だが、彼らはたしかに実在する。もしかしたらぼくはそのことにいちばん感動したのかもしれないな。おそらくあの5人は学校生活をいつも一緒に送っていて、一緒に下校していて、いつもあんな感じの関係性で過ごしているのだ。そこには紛れもなく「日常の物語」がある。ぼくが妄想力豊かであることを別にしても、東急多摩川線で遭遇したあの5人組からは日常の世界が透けて見えた。そしてその日常の一コマとして、ちょこまかくんの「おばさん!」と、リーダーくんの「謝れ!」と、ヒロインさんの「いいよ、放っておこう」と、あとの2人の無反応がある。本来、こんな光景はnoteに書くまでもない「ふつうの光景」だ。ぼくはいつだってこんな「ふつうの光景」に胸を打たれる。遭遇するとうれしくなる。どんなひとにも日常の小さな一コマがあるんだなと分かって、少しだけ優しい自分になれる。

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