ぼくは気まずい二人を共演させる

 ぼくは大学の放送サークルで音声ドラマを作っている。「音声ドラマ」。別名「ラジオドラマ」または「オーディオドラマ」。放送系サークルでいうところの「音声ドラマ」っていうのは、事前に収録して編集して完成させておくタイプのやつと、発表会でお客さんの前で上演する朗読劇みたいなタイプのやつの二種類がある。ぼくが普段力を入れて作っているのは朗読劇タイプのほうだが、収録タイプのやつだって作ったりする。なぜって、発表会が開かれるのは年にせいぜい数回なのに、ぼくのシナリオ作りの才能は24時間365日ほとばしっているからだ(発言に注意)。

 去年の暮れ、ぼくはサークルの連中を集めて音声ドラマを収録した。ぼくが原案・脚本・演出を務めるオリジナルの音声ドラマだ(逆にオリジナルじゃないドラマなんて権利関係がめんどくさそうで作る気もしないが)。出演者はぜんぶで10人ぐらい。これまでぼくの作品には出演してもらってこなかった部員たち(要は「キャスティングしてこなかったひとたち」)にも声をかけて、これまでのぼくの作品とはちょっと雰囲気の違う作品にしてみた。ここで物語のあらすじを書いちゃうとぼくがどこの大学の誰だかバレてしまうのでそれはさすがにやめておくけど、まあ、クリスマスに多少関係があるお話ですよっていうことと、その音声ドラマはいまもオンライン配信されていますよっていうことだけはこっそり明かしておく。

 これまで絡みがなかったひとたちとの仕事は新鮮だった。絡みがなかったといっても、これまでぼくの作品とは直接関わりがなかったというだけの話で、同じサークルの人間として幾度となく一緒に飲みに行ったり、あるいは自宅にお邪魔しに行ったりもしているのだが、それでも、一緒に作業をしたことがあるかどうかの差っていうのは大きい。出演のオファーをして、台本を当て書きして、出演者とミキサーに台本のファイルを送って、改めて紙の台本も渡して、スケジュールを調整して、顔合わせして、空き教室か部室に集まって練習して、微修正を重ねつつ本番に臨む。その過程を通じて、「同期」「後輩」から「身内」へと関係性が変わっていく。そういう経験をぼくはこのサークルで積んできた。まあ、サークル活動にどこまで真剣に取り組むかはひとによってまちまちだろうけどさ、でもぼくは「作品づくり」「番組づくり」っていうのは本来そういう濃密なものだと思っている。

 ぜんぶで10人(約)の出演者のうち、主人公の男子高校生役の岩下、うさんくさい研究者役の堀切以外は、ぼくの作品では「初顔」の出演者だった。逆に言うと、岩下と堀切はぼくの作品の常連俳優である。岩下はぼくの一学年後輩の男で、サークルの副会長を務めていて、次の年度に会長になることが確定している。ぼくに言わせると「フツーの男の子」役が上手いやつだ。老け顔だけど、まあまあハンサムなほうじゃないかな。ぼくのタイプってわけじゃないけど(注:ぼくはゲイです)。こいつがサークルに入会してきて以降、ぼくはぼくの作品の主人公をだいたい岩下に演じてもらっている。えっと、あり得ないほど傲慢不遜な喩えだけど、ぼくと岩下の関係は「黒澤と三船」みたいなもんだと思う。つまり、人間としての相性はほとんど最悪に近いんだが、ぼくは岩下のことを理想の主演俳優として頼っているし、岩下もぼくの脚本と演出には全幅の信頼を置いてくれているってことだ。

 ヒロイン役には多田野という子を起用した。岩下と同学年で、岩下と付き合っていて、本来は技術部門の人間だ。過去にドラマ作品(映像・音声問わず)に出演したことはほとんどないし、本人も「演じること」に関心はないと思う。とはいえぼくは多田野に演技の才能があることを知っていて、それが活かされる場がないことを勝手にもったいなく思っていたから、ここでそのカードを切ることにしたのだ。こういうのは収録ドラマだからこそできることだ。発表会だと技術部門のひとたちは機械の前につきっきりにならざるを得ないから、生ドラマのキャストには起用しづらい。主人公とその相手役に実際の恋人同士をキャスティングしたら部内で物議を醸しかねないとも思ったが、まあ、そこを「仕事とプライベートは別物なんで!」と押し切れるのがぼくのいいところだろう(自画自賛)。この配役が内輪ノリの悪ふざけではなくあくまで「いい作品」づくりのためなんだってことを理解してくれたから、岩下も多田野も出演オファーを受けてくれたんだろうし。

 主人公の友人役には梶を起用した。普段はDJ番組(ラジオのトーク番組的なやつ)でしゃべっている後輩の男だ。いつも部室にいて、なぜかどの飲み会にもいて、ぼくの日常的な雑談相手でもあるが、ぼくの作品に出てもらうのはこれが初めてだった。はっきり言って梶は演技が上手くない。「光化学スモッグ注意報」を「こうかがっく・すもっく・ちゅょいほう」と発音したりする。ただ、ぼくはそんなことで役者の価値が決まるとは思っていない。いや、異論があるのは分かっている。そっちの異論のほうが「正しい」かもしれない。でも、ぼくにはこの役は梶がふさわしいんじゃないかっていう直感(ないしは直観)が働いたんだ。それで梶を想定しながら当て書きを進めたら、自分で言うのもなんだけど、「ちょうどよく面白い」キャラクターが書き上がった。実際、やらせてみたら想像以上にいい感じだった(梶の発音のせいで何度も録り直ししたけど)。だから、もしこのnoteを呼んでいるひとの中に放送研究会界隈のひとがいたら言っておく。あんまり「正論」ってやつに流されすぎないほうがいいぜ。特にきみが音声ドラマの作り手ならなおさらだ。この世にはきっと発音よりも肝心なことがある。

 このほか、同期の笠間、宇佐見、若林といった連中にも初めてぼくの作品に出てもらった。これまで何度も酒を酌み交わしてきた連中で、気心の知れた仲のようにも思っていたけど、やっぱり一緒に作業をすることで関係はより深まったような気がする。ただ、ドラマの冒頭でナレーターをやってもらった河村との関係性にはあまり変化を感じなかったな。これはぼくが河村に「出演者」としての役割、つまりは「一緒に作業をする」という機能を求めていなかったことに起因するんだと思う。どういうことかというと、ぼくが河村にナレーターを頼んだのは、この音声ドラマでの共演をきっかけに、サークル現会長・河村と次期会長・岩下の関係が改善してくれたらいいなと思ったからだ。河村の演技力どうこうは関係ない。そもそもあのナレーションはこのドラマにいらない。河村と岩下の関係改善のためだけに、ぼくは「劇作においてはナレーションに頼らない」という自分のポリシーを折り曲げ、不要なナレーションをドラマの冒頭にくっつけたんだ。

 河村と岩下は仲がよろしくない。たぶんそれは、多田野が岩下と付き合う前は河村と付き合っていた件が原因だと思う。現夫と前夫の気まずい関係、的な。これのせいで去年のある時期以降、部内の空気はちょっとだけ悪くなっている。たとえば河村が部室にやってくると岩下は部室を出ていくし、飲み会でも周囲は気を遣って二人の席を離さないといけなくなっている。二人が会話を交わす光景はもう長らく目撃されていない。まあ、早い話が二人は「共演NG」になってしまっているのだ。現会長と次期会長がこれではサークルの行く末が思いやられる。ただ、ぼくはサークルの将来を心配して二人の関係改善を望んでいるわけではない。サークルの将来なんて知ったこっちゃない。単純にぼくがその空気の悪い現場に居合わせるのが嫌だから、それでぼくは二人がせめて目と目を合わして挨拶を交わせるぐらいの関係には戻ってほしいと思っているだけだ。さっき「岩下と多田野を起用したのはあくまで『いい作品』づくりのため」とか偉そうに言っておきながら、この私的な思惑は不純すぎるよね。自分でもそれは分かっている。でも、ぼくとしてはふしぎと自分で自分の作品を汚したとは思っていない。

 結論を言うと、ぼくのドラマで共演したからって、河村と岩下の関係は別に改善していない。そりゃそうだ。ぼくはドラマの冒頭にナレーションをくっつけただけで、劇中に二人が会話を交わすシーンを設けたわけでもなんでもないんだもの。中途半端だよな、ぼくのやることって。そりゃ、あの収録の時に岩下が「……座りますか?」と言って河村に椅子を譲ったとか、完成品を聴いた河村がぼくに「『これがぼくの隣人愛だ!』っていうガンちゃん(岩下の愛称)の台詞は笑ったよ」って言ってきたぐらいのエピソードはあるけど、二人の関係改善につながり得る何かがあったとしてもせいぜいその程度だ。あれから半年が経ち、いまだに河村と岩下の気まずい関係は続いている。でも、近頃のぼくはそれならそれでいいじゃないかと逆にこの状況を楽しんでいる。飲み会に遅れてやってきた岩下に向かって「ガンちゃん! 河村の隣の席空いてるよ!」とか呼びかけたりして(実際には空いてない)(本当にぼくは性格が悪い)(そういう時の岩下は「はぁ?」と言ってぼくをにらみつけてくる)。不仲、確執、上等じゃん。人間、仲よくなるだけが能じゃない。仲が悪くいられるのは生きている人間同士の特権だ。どっちか片方でも死んじゃったら、「二人は仲が悪い」とも「関係が気まずい」とも言うことが許されなくなる。仲がよくても悪くてもいい。ただそこに仲があってほしい。存在だけはしてほしい。仲が存在さえしていれば、あとは色々楽しみようがあるんだからさ。近頃のぼくはそういう風に考えている。

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