ぼくと友人は極限下のエンターテイメント展へ行く

 ぼくと友人は『極限下のエンターテイメント』展へ行く。学校帰りに香川(学科の友人)と一緒に紀伊國屋書店新宿本店へ行ったあと、ぼくと香川は平和祈念展示資料館(総務省委託)へ行った。正確には、ぼくが「どうせこのあと暇なんでしょ? ちょっと付き合ってよ」と誘って香川を連れて行った感じである。香川は自分が興味がないことには興味を持とうとすらしないタイプだが、この誘いには「いいよ、行こう」と乗り気だった。

 ぼくが平和祈念展示資料館へ行こうと香川を誘ったのは、今年の1月に始まった企画展『極限下のエンターテイメント シベリア抑留者の娯楽と文化活動』がそろそろ閉幕しそうだったからである。ぼくは以前、由梨(彼女)と一緒に平和祈念展示資料館に行ったことがあるから知っているが、平和祈念展示資料館はこじんまりとした施設で、休日に予定を立ててわざわざ行くほどのボリュームがある施設ではない(例えば国立科学博物館とは違う)。ふらっと寄るならいいかもね、みたいな空間だ。……まあ、平和学習のための施設をそのように評すのは不謹慎というか非常識な気がするし、「これだから今時の若者は」と叱られそうな気もするが、博物館・美術館めぐりという観点からいうとぼくの言っていることはそう間違っていないはずだ。

 平和祈念展示資料館の『極限下のエンターテイメント』展は、シベリア抑留者(終戦後にソ連軍に抑留されていた旧日本軍の兵士)の娯楽や文化活動をテーマにした展示である。

 1945(昭和20)年の夏、長く続いた戦争が終わりを迎えました。ソ連軍と戦っていた日本の兵士たちにも、ようやく帰国の時が訪れます。「トウキョウ、ダモイ(東京に帰す)」と言うソ連兵を信じた彼らがたどり着いた先は、日本ではなく、シベリアでした。そこで待ち受けていたのは、過酷な強制労働、厳しい寒さ、慢性的な飢え。シベリアのラーゲリ(収容所)で生き抜くには、体力を保持するだけではなく、「絶対に故郷に生きて帰る」という強い意志と希望を失わないことが非常に大切でした。極限の状況下にあった彼らの心を慰め励ましたものーそれこそが、娯楽と文化活動だったのです。
 抑留者たちの娯楽と文化活動は非常に多彩です。手先の器用な者は麻雀牌や将棋の駒を手作りし、俳句を嗜む者は仲間を集めて句会を開きます。芸達者な者たちが集えば、楽劇団が結成されました。彼らは疲れている中でも稽古を重ね、そこにささやかな楽しみを見出しながら、同胞たちを励ます音楽や演劇を届けました。本企画展では、手製の娯楽品や、楽劇団で使用した楽器、抑留中に描かれた絵画などを展示し、抑留者たちの文化活動の一端をご紹介します。絶望のラーゲリで、抑留者たちに生きる希望を灯し続けた「エンターテイメン ト」の数々をご覧ください。

平和祈念展示資料館(総務省委託) 企画展「極限下のエンターテイメント」解説

 ぼくは大学の放送研究会で音声ドラマを作り、引退後もインカレの放送サークルで音声ドラマ(という名目の演劇)を作っている。麻雀牌や将棋の駒はともかくとして、抑留下の楽劇団には関心がある。極限状態の中で抑留者たちはどのような演劇を上演していたのだろうか。上演できたのだろうか。新宿に行く用事があったら寄ろうと思いつつ、ちょうど期末試験期間中・春休み期間中に開催されていたという事情もあって、ぼくはこの『極限下のエンターテイメント』展にはこの日まで行けずにいたのである。

 ……とまあ、前フリはこれぐらいにして、平和祈念展示資料館(総務省委託)へ香川と一緒に向かいましょう。紀伊國屋書店新宿本店はJR新宿駅の東口側にあるが、平和祈念展示資料館は西口側にある。紀伊國屋書店から平和祈念展示資料館へ行くには、新宿駅のトンネルみたいな地下道を歩いて都庁方面へ出る必要がある。この地下道には「動く歩道」があるのだが、この「動く歩道」は歩くとなぜか床がぶよんぶよんと揺れる仕様になっている。ぼくはこの新宿地下道の「動く歩道」が嫌いだ。それはぼくが子どもの頃から三半規管が弱いからでもあるが、それ以前に床がぶよんぶよんと揺れるのがふつうに気持ち悪いからである。その点、JR桜木町駅とみなとみらい線みなとみらい駅を結ぶ「動く歩道」は良いんだよな。床が揺れないし、眺めも良いし、通行人の顔も和やかだし。

 この日、香川と一緒に平和祈念展示資料館へ向かう時、新宿地下道の「動く歩道」が揺れない仕様に改変されていることを期待して試しに乗ってみたのだが、やっぱりまだぶよんぶよんと揺れる仕様のままだった。ぼくが香川に「これ、ぶよんぶよんって揺れて気持ち悪くなる」と言ったら、香川は「じゃあ普通の道を歩こうぜ。別に急いでないんだし」と応えて、横にある普通の歩道へとサッと移行した。ぼくは香川のこういう優しいところが好きである(注:ここでの「好き」は恋愛感情ではありません。ぼくがゲイであることをご存じの方のために念のため)。

 地下道を抜けて屋外へ出て、宝くじ売り場の前を通り、新宿住友ビルの33階へ。もちろんエレベーターの中で耳が詰まった感じになるので唾を飲み込みます。オフィスの一角としか思えない空間に平和祈念展示資料館(総務省委託)はある。100円入れないといけないけどあとで100円返ってくるロッカーに荷物を預けて(香川は「おれはいいよ」と言って預けなかった)、受付の職員さんからアンケート用紙を受け取り、まずは常設展のほうから見る。ちなみに平和祈念展示資料館は入場無料です。

 平和祈念展示資料館はシベリア抑留に関する展示がメインなのだが、太平洋戦争全般にまつわる展示もあって、旧日本軍の軍服だとか、臨時召集令状(赤紙)だとかも展示されていたりする。ぼくが赤紙を見るのはここに以前来た時ぶりだったが、香川は見るのが初めてだったらしく、スマホを取り出して写真を撮っていた(ぼくも負けじと撮りましたぞ)。

臨時召集令状(赤紙)

 抑留者たちが食事を分配する様子を再現したジオラマは、やけに細かく丁寧に作られている。抑留者の一人がパンを切り分ける手の動きが機械仕掛けで再現されていて、ぼくはこのジオラマを見ると、東京ディズニーランドのアトラクション(『カリブの海賊』とか)の動く人形を思い出す。あの動く人形は「オーディオアニマトロニクス」というらしい。オーディオアニマトロニクスは「人形のはずなのに生き物のように動いている」という点でだいぶ不気味だ。戦争関連の資料館で見ると不気味さがより一層増す。

ジオラマ「食事の分配」(全景)
パンを切り分ける抑留者

 常設展が終わると、いよいよ企画展『極限下のエンターテイメント』へ。といっても、企画展が開かれている部屋は一室だけなんですけどね。一室っていうか半室っていうか。常設展のほうにも抑留下の楽劇団に関する展示はあるので、その地続きになっているような感じもある。

 シベリア抑留者たちは当初は寒さや飢えや重労働に心身をすり減らすだけだったが、やがて抑留生活に慣れて少し余裕が出てくると、自分たちの手で娯楽活動や文化活動を始めるようになったらしい。コロナ禍ではエンタメ産業が「不要不急」と判定されて制約を受けた。エンタメ産業が「不要不急」なのは事実だとしても、人間が落ち着いて生きていくためには「不要不急」なモノ・コトが必要だということなのだろう。ひとはパンのみにて生くるにあらず。もちろん、パンがあった上での話ではあるけどね。

抑留者が描いたスケッチ(抑留下の演劇や展覧会)
抑留者が描いたスケッチ(演芸大会)

 この企画展でのいちばんの目玉は、抑留下の楽劇団で使われたギターとトランペットということになるのかな? 大塚旭というひとが使用していたものらしい。ソ連製の楽器だというから、ソ連側から貸与されたものなのだろうと思われる。抑留されている者たちが娯楽・文化活動で日頃のストレスを発散してくれることは、抑留する者たちにとっても好都合だったのだろう。

沿海州楽劇団で使われていたギターとトランペット
タイシェットの新声楽劇団(写真)
抑留者の娯楽・文化活動は各地で行われたらしい

 ちなみにこれは余分な話ですが、香川は抑留者たちが作った麻雀牌と将棋駒を熱心に眺めていました。麻雀と将棋にたしなみがあるためでしょうな。ぼくは将棋は小学生の時にちょっとやっただけで、麻雀についてはルールも牌の意味もまったく分からない。香川からは「(ぼくのあだ名)は麻雀強そうだからやればいいのに」と言われたが、ぼくのどこをどう見たら「麻雀強そう」という感想を抱くのだろうか。謎である。

抑留者が作った麻雀牌と将棋駒

 アンケート用紙に律儀に感想を記入して、100円入れなくちゃいけないけどあとで100円返ってくるロッカーから荷物を取り出して、平和祈念展示資料館を退出する。同じ階のトイレで連れションしたあと、耳が詰まった感じになる高速エレベーターで1階まで降りて、新宿住友ビルを出た。

 もう夕方。香川から「どっかで食べてく?」と誘われたので晩ご飯を食べていくことに。香川とはいつも学食でお昼ご飯を食べる仲だが、晩ご飯を一緒に食べるのは久しぶりだ。香川はお酒を飲まない(ほぼ飲めない)ので、ぼくは「中華はどう? ちょっと歩くけど」と言って、大阪王将新宿ワシントンホテル店を提案する。ぼくが大阪王将のしかも新宿ワシントンホテル店に香川を連れて行こうと思い立ったのは、さっきまでいた新宿住友ビルのオフィスビルな雰囲気に感化されて、「ぼくも大人の場所を知ってるんだぜ」と香川にアピールしたかったからというのもある。ただ、歩き始めてすぐに思い出したのだが、香川は春休みにも某一流ホテルでバイトしていて、ぼくなんかより遥かに「大人の場所」に詳しいのだった。そもそも「大阪王将新宿ワシントンホテル店」といっても、ホテルの中のお店というわけじゃなく、ホテルと繋がるビルの地下1階に入っている狭いお店にすぎないし。

 大阪王将新宿ワシントンホテル店に入り、二人で食べようということで注文した餃子を箸で切り分けている時、ぼくはさっき平和祈念展示資料館で見た動く人形(オーディオアニマトロニクス)を思い出した。ここでぼくの生来の不謹慎癖が発動する。ぼくは「さっきの抑留者のジオラマ」と言って、食事を取り分ける抑留者の人形の真似をしたのだ。そうしたら、香川は真顔で「それ面白くないよ」と注意してきた。ぼくは反省した。実際、ぼく自身も抑留者の人形の真似をしながら「これは全然面白くないやつだぞ」と思ってはいたのである。ただ、勢いでなんとなくやっちゃったのである。ぼくは香川に「……ありがとう」と返す。香川は「ありがとうってなんだよ(笑)」と言いながら餃子を口に入れた。

 ぼくはウクライナにもガザ地区にも住んでおらず、日本にいるが被災しておらず、「金がない」「万年金欠だ」と言いながらも副都心の真ん中で美味しい中華料理を食べることのできる環境にある。ぼくはいま、平和の尊さを訴えるための言葉を持たない。ただ、ぼくは平和祈念展示資料館の『極限下のエンターテイメント』展へ行ったことで、いや、むしろそのあとに香川から抑留者イジリをピシッと注意されたことで、自分がいま過ごしている環境が平和であることを実感した。ぼくは平和な世界を生かされていると思う。そして、友達にはだいぶ恵まれているほうだと思う。

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