ぼくは幹部会で演説する

 ぼくは大学で放送サークルに所属している。この前の6月、内輪の発表会(いわゆる内部発表会)があった。5月の発表会は外部からお客さんを招待して開催されるものだが、6月の発表会は一年生が主体となって運営するものだ。この6月発表会から一年生は本格デビューとなる。二か月間ずっと先輩の下で修業的な講習ばかり受けさせられていた一年生が、ようやく自分たちの手で番組を作ることを許されるのである。

 ぼくはこのシステムはおかしいと思う。新歓イベントを兼ねている4月発表会は別として、一年生は5月発表会から番組に参加できるようにすべきだと思う。そして、仮に6月デビューになるんだとしても、一年生がデビューする発表会は外部からお客さんを招いて開催すべきだと思う。「6月になってようやく番組作りを許可します」「ただし外部にはお披露目しません」ってことじゃあ、一年生はまるでサークルの恥みたいな扱いじゃないか。そんなのおかしい。……ということを、ぼく(渉外副部長)はサークルの幹部会で訴えたのだが、「昔からの伝統なので」ということでぼくの訴えは受け流された。河村(サークル会長)は馬鹿野郎である。菅田先輩(前会長)の洗脳を受けて思考停止に陥っているアイヒマン野郎だ。

 幹部会の帰り。階段のところで、若林が「(ぼくの下の名前)くんの話、すごいよかったよ。テレビ放送開始の歴史から紐解いた演説でさ……ものすごく感動した」と言ってきて、そばにいた浅野も「うん、感動した!」と言ってきたが、だったら会議中にぼくに加勢してくれよって話である。まあ、ぼくだって分かってはいる。前例を破るのは難しい。しかも、当の一年生たちも大半が「それはそういうもんだ」とこのシステムを受け入れている。令和の日本にはアイヒマンしかいないのか。

 いや、そんなことはない。「5月の発表会から番組を出品したい」という一年生もいるのだ。だからこそぼくは「放送 歴史」で調べたりとかして、原稿代わりのメモを書いて、前日に一人でリハーサルした上で、幹部会で「ちょっといいですか」と挙手して演説をぶったりしたのだ。「(ぼくの下の名前)の言いたいことは分かるけどさ……」(河村)とか言われて聞き流されたけど。ぼくはむしゃくしゃする。いちばんむしゃくしゃするのは、自分の力のなさについてだ。ぼくは存在感と発言権はあっても現実を変えられない。「5月の発表会から番組を出品したい」という一年生の声(具体的には井上公輝とか井上慎作とか白川の声)に応えてやれない。

 やっぱりぼくは、後輩たちの「作りたい」という気持ちを尊重したい。ぼくは常にクリエイターの味方である。作りたいものがある人間は何でもいいから作るべきだと強く思う。二年の岩下(次期会長内定)は、他人の番組の批評はするが自分では番組を作らない。ぼくはこれが気に食わない。はっきり言ってムカつく。だって、岩下は作れる環境にあるのだ。パソコンを持っているし、部室には収録の機材や編集のソフトがあるのだし、声をかければキャストやスタッフを務めてくれる部員もいる。「あれはよくない」とか「ここはこうすべき」とかグダグダ言うなら自分で作ればいい。

 その点、藤沢(岩下と同じ二年生)は立派だ。あいつは人一倍口が悪く、他大学の発表会に行くと必ず他人様の番組を辛辣にディスるが、自分でバラエティ番組を作っている。そのシュールな(不気味な?)内容が部内で物議を醸すこともあるが、ぼくとしては発表会の度に毎回楽しませてもらっている。藤沢は自分のやりたい笑いを自分で形にしているのだ。ぼくはこれこそが放送サークルの人間のあるべき姿だと思う。大学の放送研究会は、放送の歴史を調査したりメディア批評をしたりするサークルではない。DJ番組だとかバラエティ番組だとか音声ドラマだとかを作って発表するサークルだ。ぼくはそのことを忘れて評論に専念している口だけ野郎が嫌いなんだ。

 もっとも、ぼくは岩下が自分で番組を作らない理由を察している。たぶん岩下は、自分が作った番組が「つまらない」とか「レベルが低い」とか批評されることを恐れているのだ。自分自身は普段、他人の番組を批評しているくせにね。いや、だからこそかもしれない。「普段は他人の番組を批評しておいていざ作ったらそんなもんかよ(笑)」と笑われるのがたぶん怖いんだろうな。そのことをぼくは、以前ぼくが「ガンちゃん(岩下)も自分で番組作ってみたらいいじゃん?」と促した時の岩下の反応から何となく察した。岩下はクリエイターとしての自分の才能に自信がないのだ。

 でも、ぼくに言わせれば、才能は誰にでもある。というか、才能があるかないかなんてことはそもそも大した問題じゃない。ぼくはたしかに日本の同世代の人間の中では最も面白い音声ドラマを作る人間だと自負しているが(自惚れかな?)、でも、そのことを知って安心しているからぼくは音声ドラマを作っているわけではない。自分が作りたいから作っているのだ。たぶんそれは藤沢も同じだと思う。もっと言うと、ぼくは「作りたい」なんてことすら意識していない。ただ作っているだけだ。当たり前のように作っているだけだ。「なぜ山に登るのか」と聞かれて「そこに山があるからだ」と答えた登山家の気持ちがぼくにはよく分かる。登山家は目の前に山があるから登るのだし、放送サークルの部員は目の前に番組発表会があるから番組を作る。そこに動機も才能も必要ではない。必要とさせてはならない。

 この前の6月の発表会の前、一年生の井上公輝がDJ番組(とバラエティ番組を融合させたような番組)を作ろうかどうか躊躇していたから、ぼくは「作りな、作りな! コウちゃんなら作れるって。ぼくですら毎回作れてるんだから」と言って番組の出品を促した。作ろうかどうか躊躇している時点で心の中に「作りたい」があるってことなんだし、作りたいものがちょっとでもある人間は「作るべき」だと思うからだ。

 でも、「ぼくですら毎回作れてるんだから」という励ましは的外れだったかなとも思う。ぼくは周りから「つまらない」と酷評されているのにめげずに作品を作っている人間ではない。その真逆だ(一部にアンチはいるが)。そういう人間が「ぼくですら~」なんて言ったのは、むしろ皮肉に聞こえたんじゃないかしら。まあ、ぼくのその励ましはともかくとして、井上公輝は6月の発表会で自分の番組を上演した。よかったよかった。内容もパワーポイントとか使ってて面白かったよ。もちろんまだまだ粗削りだが、番組は発表してなんぼだ。「まだ出品するレベルではない」とか言って寝かせておいても成熟しない。実際に作って発表することが何よりの修行になるんだ。満足したコメンテーターであるより不満足なディレクターであるほうがいい。せっかく登山部に入部したんだ、そこに山があるなら登らなきゃ。

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