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日本一の内輪の中に居る

先日、オードリーのオールナイトニッポンin東京ドームを見てきました。

感じたことをどうしても文字に残しておきたくて、ここ数日家にいる時間はほとんどnoteと向き合っているのですが、どう書いても劇的になり過ぎてしまう、もしくはその逆でチープになり過ぎてしまう。

数年前にふと生活の中で自分の感じたことの鮮明さを保存するためには文字に起こすしか方法は無いと考えていたのがきっかけでこのnoteを始めました。

とはいえ、僕はただのコックです。構文のプロというわけでは無いので、いつもリアリティを100で伝えることができない自分をもどかしく思うのです。

でも、あのライブを見た後なので。根拠の無い勇気が湧いています。

とても長くなると思いますが、若林さんが言うところの"勇気を持って”素の自分を信じてみようと思います。





ライブの感想を語る前にまず自分のことを少し話したいと思います。

僕は、独りになることがいつも怖い。
すごく臆病な人間なのです。

小さい頃から自分の考えてることと他の人が考えてることが合致しないなぁと思う経験が多く、その度に世の中と隔離されたような気持ちになり疎外感を感じるのです。

いつもなんか違うなぁと思いつつも周りに合わせて生きてきたので、いつからか自分の気持ちを人に話すことに臆病になってしまいました。

更に、小さな田舎で生まれ育ったということもあって同調が持つ見えない大きな力を幼い心ながら確信的に感じながら生きてきました。多感な時期には多数に属していないと不利になるという世の中の構図そのものを恨んでいたこともあったのを覚えています。

そんな僕にも楽になれる時間があります。それは一人の時間です。

これは言葉の誤りではなく、独りと一人は似て非なるもので。
前者は「孤独」の「独」であり、それのみが独立して存在していることを表しているという解釈で、後者は「人」が「一」と書くので二にも三にもなり得る可能性を示唆してると解釈してます。

一人じゃないことを感じられる時間。その時間は僕にとってラジオだし、音楽だし、純文学だし、ドラマだし、映画だし、料理なのです。

それらと向き合ってる時は一人じゃないとダメなことをなんとなく体が覚えている。二人や三人の時ですら孤独は襲ってくることを知っているから。

二人のラジオはしかしまぁ、面白くて。彼らはずっと身の上話ばかりしています。可笑しくて、ヘンテコで、面白い。

僕は若林さんが以前ラジオで自分が周りと同じ感性だったことが少ないから常に自分の感性を疑いながら生きてきたという話をしてくれたことがずっと忘れられないのです。その言葉を信じて今日までオードリーのラジオを聴き続けています。

人と違うことで失敗したこと、恥ずかしかったこと、どうやって乗り越えるのか一生懸命考えて空回りしてしまうこと。その様子が不格好なのにあまりにも楽しそうに話すもんだから、なんだか面白くて、その様がなんだかかっこよく見えて、大好きになりました。

一緒だ。

この人は僕だ。

人と比較して得られる安心感を抱いく人間にいつも疑問を感じます。「〇〇よりはマシだよね。」「〇〇みたいにならなくて良かったわ。」他人と自分を優劣で判断する行為自体がそもそも苦手です、なぜならその基準を当人の背景を無視して感性のみで決められているような気がするからです。

でも、人と同じであることで得られる安心感はこんなに心地良いのかと感動したのです。優劣を問われない、内容の無い、内輪ノリのくだらないが全てを凌駕することがあることを知っている。そんなオードリーのラジオにいつも救われる。






当日、僕はソワソワしていた。知らない魂が体の中にいるような感覚がありました。

その現象に名前がついてしまうことがなんとなく嫌でしたので、あえて探ることはせずにこのお祭りに乗じて心身を任せてみた方が良いと直感で思いました。

朝起きてすぐシャワーを浴びた後に、グッズのトレーナーに袖を通し、LTロゴのついてるスタジャンを着て家を出る。京王線に乗り、総武線に乗り換え、水道橋。

驚いた。周りを見渡すと自分と同じ服を着た人がゾロゾロといる。きっとこの人達も独りの時間の辛さを一人の時間に替えて、縋りながら乗り越えてきた人達なんだろう。そう思うと胸が熱くなりました。

ガチャガチャブースに移動し、上限いっぱいの5回転ガチャを回した。若林さんの「世の中かよ!」のキーホルダーがどうしても欲しかった。
若林さんが春日さんにこのセリフを言ったラジオの回が面白すぎて運転しながら大爆笑したのを覚えていたのでどうしても欲しかったのです。(欲を言えば「和風ではやらんだろ!」もあればよかったなぁ。)

出なかった。出てきたのはグレゴリーボム、ユニフォーム、バット×2、味玉は趣向品。

本当に欲しいものほど手に入らない。世の中かよ!

そういえば以前夏フェスの会場でガチャガチャのグッズの交換をSNSで募って現地でそれを行う人々がいたのをハッと思い出したので、バットとユニフォームとグレゴリーボムのキーホルダーをその場で写真に撮ってXでポストしてみたらすぐに反応が返ってきた。
バットとユニフォームのキーホルダーと交換してもらえた。(グレゴリーボムだけは最後まで交換したい人が現れなかったのが少し面白かった)

ライブの前も凄く楽しい。こんなに真っ直ぐに何かを楽しんでいるのはいつぶりなんだろう?

同時に気づく。そうか、これが意図せずとも多数に同調していることで得られる安心感か。

なるほど、これは生きやすいわけだ。

マジョリティ側の人間が普段見てる世界。周りには自分と同じ感覚を持った人間がいて、それは大多数が共通である事を知っている世界。決して独りだけになることがない世界。なんて羨ましい。

でも、マジョリティに属する人は常日頃からマジョリティだから、きっとこうしてスペシャルな日として特別に思うことも感謝する行為も恐らく無いんだろうな。幸せのハードル、感謝のハードル。自分はずっと低いままで生きていこうと改めて決心する。

15時半になり、開場してゾロゾロと人が入っていく。

席は2階のスタンド席。会場を一面見渡せる。こんな大きな会場をオードリーが埋めたのかと感慨深い気持ちになり少し涙。

電波の先にこれだけの一人一人がいて、きっとそれぞれが少しだけ違う人間一人。楽しいな。こんなにも一人なのに安心できる空間があるなんてすごく変な感じだ。オードリーはこの場所でどんなライブをやるんだろう。

自分の席まで行くと右隣にはすでに女性のLTが一人で座っていた。

悩んだ。せっかくだし、祭りの雰囲気に乗じて喋った方が良いのかな。と。

ただ、このラジオのイベントということは、この人が自分と似た人間であることも知っているのです。今ここで喋ってしまうとこの先も喋りかけ続けなきゃいけない雰囲気になって逆に気を使わせてしまうのでは無いだろうか。(実体験済みであるからこその思考)大切な時間をとことん一人で噛み締めたくなる気持ちを僕も知っている。

話しかけなかった。

するともう少しして、女性の右隣の席に年代が上のおばさまが座った。

「この場所でも結構見えますねぇー!」

開口一番。
そりゃあまぁ、こういう人もいるか。だって今日はお祭りだし。

女性LTはやはり見ず知らずの人と喋るのが苦手そうだった。よかったちゃんと考えて、話しかけなくて。

ライブは楽しめたかな?と途中で頭がよぎったけれど、ライブ中おばさまは夢中になって笑ったり泣いたりしていたので特に会話をしてる様子が無かったように見えたので安心した。女性LTも笑ったり泣いたりしていた。

ライブが終わった後に、感極まりすぎて泣き面の僕をみて一言だけ「良かったですね。」と女性LTから話しかけてくれた、嬉しかった。

「言葉にできないです。最高でした。」とだけ返した。
それ以降喋ることはなかったが、それが苦痛じゃなかったのが嬉しかった。

ライブの内容はオープニングトーク、二人のエピソードトーク、ラジオの定番コーナー、春日さんと若林さんそれぞれにフォーカスを当てた企画、漫才。

どの企画も輪郭だけ用意はされてるけれど、蓋を開ければラジオを普段から聞いてるリスナーとの内輪ウケ。春日さんお馴染みの「暇じゃねえわ!」若林さんの好きなフィールドオブドリームズのオマージュ動画、学生時代通ってた街中華の味を春日さんが練習して若林さんに食べさせる件。泣きそうになる若林さん。

全部尊い時間に見えるのになんだか笑ってしまうのです。

ラジオモンスターと自負する理由はおそらくこれだ。これだけで成立してしまうのだ。この二人は。すごい、本当に。

次のコーナーでは春日さんの洗車したばかりのゲレンデに、若林さんが大きくて且つ時代に配慮されたボールを時代に配慮された強さで投げている様子が狂気と優しさのとっちつかず感で大爆笑してしまった。僕は春日さんが本気で焦っている様子が好きです。

春日さんとフワちゃんのプロレスも面白かった。ラーメンに味玉を一生付ける権利を賭けて戦う馬鹿馬鹿しさに対して本気で挑む様子がなんだか笑えて、個人的にはクミさんが普段ケチな春日さんのせいで我慢してたエアコンの風量を強にしているところが一番笑ってしまった。

次の企画は若林さんのDJ。

これが、本当に良くて。もう今でもなんて言語化したら良いのかわからないのですが。

ゲストで登場した星野源さん、この二人は以前Light Houseという番組でお互いの悩みについて語り合った戦友なのです。

僕がLight Houseに救われたエピソードは若林さんの言うところの"話せば長いのよ”といった感じなので、過去の自分のnoteに任せます。




二人がorangeを歌っている時に。自分の傷と向き合い、傷ついていた日々の中でこの二人に救われたことを思い出しました。

過去の苦しかったことを度々語ってきた若林さんが過去のことを歌ってるのに楽しそうにしていたことにもグッと来てしまい泣いてしまった。

二人を見てると、負けを経験したことがあること、闇を受容できることも強さなのだと思わせてくれるような気がするのです。

エンディングが始まり、二人がトロッコに乗って東京ドームを一周する。漫才はやらないのかな?と不安になった。

漫才を待っている自分がいた。

誰目線なのかは分からないけどこの2人が5万人を漫才で沸かせでるところを見たかった。

暗転して無音でセンターステージにマイクが登ってくると高揚した。

analog fishの「SHOWがはじまるよ」が流れて二人が歩いてくる。

僕は人生の中で一生覚えているだろうなぁと思うシーンがいくつかあって、生活の中で辛いことがあると、それらを思い出して勇気をもらい乗り越えてきた経験がいくつかあります。

この二人がいつも通り時差で歩いてくるのを見た時、この瞬間はきっと一生覚えているんだろうなと思いました。若林さんが信じてきた漫才。ステージの大きさが変わっても、二人のライフスタイルが変わっても、軸だけはずっと変えずに歩いてきた二人の歩みのように見えて、それは二人の漫才の歴史であって自分の好きなことを信じる気持ちの体現のようにも思えてきて。そう思うとただ歩いているだけなのに二人がとてもかっこよく見えたのです。

いつも通り春日さんの「トゥーーース!!」を皮切りに、若林さんがオードリーの漫才の代名詞でもあるトーンの低いツッコミで笑いを取る。

これだ。なぜだか自身があって偉そうな春日さんを熱を持たずに冷静に突っ込む若林さん。この歪さがこの二人の漫才の面白さなのだ。

僕が更に痺れてしまったのはこの大舞台で若林さんが選んだ漫才のテーマが「自分への感謝」だったことです。自己否定を繰り返してきた彼がそんな自分を武器にしてそれを受け入れてくれた人達のおかげで東京ドームまで来たことをミスチルに乗せて歌うというものだった。本当に最後までずっと面白かった。なのに泣けた。感無量だった。




ライブが終わって、放心状態。終わってしまった寂しさはあるが、満足感が一番強く残った。

一番自分の心に残ってるのはどこかなと考えた。

きっとあそこだ。すぐに分かった。

若林さんがUber eatsをしたエピソードトークの時に話していたこと。

「行きたい場所があると、街がキラキラして見える。」

本当に素敵な言葉だ。

まだ26年と半年しか生きてない自分が何か結論めいたことを書くのはやはり怖さがあるのだけれど勇気を持って書こうと思います。

少しずつ理解されてきてはいるけれど、きっと僕のような人間はこの先も世間から理解してもらいづらい悩みを抱えながら生きていくような気がしているのです。

コックの仕事も続けると思う。けど、この世界は体育会系という程の良い言葉に守られた、いわゆるエネルギーの強い人たちの巣窟。
そこに身を置く以上はやはりどこかでアジャストして行かなきゃいけない、その事案は先にも後にも既にあり。けれど、全てを譲り切ってしまうと僕は息ができないのです。

大好きなことで息をし続けるためには、どうしても目指したい場所、行きたい場所が必要なのです。

過去にトラウマがあっても、エネルギーが強い人間に勝てなくても、簡単に人を傷つけることができる人間に傷つきながらでも、誰しもが行きたい場所を夢見て良いのだと若林さんに言ってもらえた気がした。

本当に嬉しかった。

正規の道とは言えないかもしれないけれど、僕はやっぱり暴力やモラハラや圧力によるコントロールが無くても良いレストランができることを証明したい。いろんな色でラスタカラーのように多様な色で輝けるレストランをやりたい。

何度も挫けると思うけれど、土曜の1時になるとまた大好きなラジオモンスター二人が待っている、笑わせてくれる。

長々と5000文字以上語ってきたれど、結局僕が言いたいのは一つだけです。

本当に、本当にありがとう。
性懲りも無くまた今日もオードリーに救われた。

最高にトゥースな時間でした。


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