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遠い記憶 =そのヨン=

前編『...その三...』からの続き


四年生の時は、イイダ先生。
一年担任のエンドウ先生と二〜三年担当の三善先生の中間くらいの世代。この先生は、普段はとても静かな先生という印象しかない。四年生というと、自分が活発に動き出した歳頃、故に遊びの記憶が多くて、先生の事、忘れていたかも。


五年と六年生の時は、榎田先生
それまでの中でいちばん年齢は上だと思うが、剣道の高段者で他の若い先生から、尊敬・あこがれにされていたていた。自分は剣道にはあんまり興味がなかったので、そちらよりおっかない先生の記憶が強い、とにかく怒ると鬼の面ような顔になる。普段は眼鏡の奥に細い目で笑うのに怒ると形相が一変するいう感じ。📺TV番組だったかな大魔神とかいうキャラがいて、その時の怒った顔と先生の顔が重なる👹
この先生は、とても達筆な方で提出したノートに何か書いてくれる時はいつもすごく綺麗な字で書いてくれた。そうそう,何回かやりとりいただいた年賀状が達筆すぎて読めず困ったこともあったなあ😅
この頃、習字を習ってたこともあり、綺麗な(大人の)字に憧れていたんだと思う
今も、字が綺麗な人が羨ましい。。

 自宅から一人で自転車に乗って、釣りに出かけるようになったのもこの頃。
親の影響で釣りが好きになり、最初は近所のお城跡公園の堀で鮒を釣り、叔父が海の近くに家を建て、釣りにおいでよと誘われたことをきっかけに、毎週末のように5kmくらいの距離を自転車で通った。
 土曜の午後に出かけて🕒くらいに到着,おやつを貰いながらおばさんとおしゃべり〜お手伝い。おじさんが帰宅すると,早速、翌朝の釣りの準備,釣りの話をしながら、針を結んだり道具の確認をする。夜は早々に布団に入り、翌朝3時過ぎには起床して,近くの海に向かう。
 夏の朝、まだ暗いうちに海に向かう時には『今日は何が釣れるか?』とワクワクがいっぱい‼️海岸では投げ釣りをした。キス、グチ(いしもち)、コチ、タチ、ワタリガニ、ギンダベラ(ひいらぎ)季節に応じていろんな魚が釣れた。決して数は多くない,釣れない日もある,でもそれはそれで思い出に残っている。夜釣りの時は,カーバイトと言ったガストーチを灯した。今はこんな道具を使っている人はいない

  今その海岸脇の通りは、自分のランニングコース🏃になっている
  (海岸の様相は信じられないほど変わったが、昔を知る人、変化に
   気付く人が少ないことに驚く海岸脇の潮流(沿岸流)の向きが
   変わっていることに気づいた時は,本当に驚いた‼️海岸侵食を
   止めるためテトラポットを沢山投入したので,砂地が増えたのは
   良いが海の潮流れも変えた釣れる魚も変わった様子。

で日曜の夕飯頃に父親に車で迎えに来てもらうのが,お決まりのパターンだった。
中学に入るまで本当によく通った。こんな話を書いていると、当時の叔父と叔母の顔が浮かび『しげ坊』(二人からの呼び名)声が聞こえて来そうだ。

 四〜六年生の時の同級生で遊び友達だったのは、正くんとイシイくん。二人とも、とても勉強ができてまた努力家だった。

 自分も二人と仲良くなるにつれて,負けじと勉強するようになった。生涯で、一番勉強が楽しかったのは、この頃かもしれない。漢字の書き取り1ページの宿題を出されても、正くんに声かけて何ページやる?って聞いて彼の答えた枚数を最低数にして提出したり、算数の宿題はといえば、正くんとイシイくんの探り合いを横で聞いて同じ量,同じページまでは進めるようにした。誰かから譲ってもらった分厚い百科事典を読み漁り、そこで得た知識を二人に披露するのが自分には嬉しかったし,また逆に彼らから新しい話を聞くことも楽しかった。

 でも遊び友達。正くんが『私は将来、総理大臣になるから私のことは「総理」と呼びなさい』と言えば、『じゃあ僕は大統領になるから、閣下と呼んで』と返すイシイくん、二人で(しげは?という顔して)こちらを見るから負けじと「じゃあ天皇陛下になるから,陛下と呼びなさい」とお返しした。以降,三人の間の呼び名は,総理,閣下,陛下になった。あの二人がその後、総理と閣下になった様子は聞こえてこない🤣 残念ながら、自分の「陛下」もあり得ない😱ことだと気付いたのは、彼らの転校で、二人と別れてからだったけど。
 当時三人で野球盤ゲームをした。正くんが持っていた。それぞれ推しのチームがあって、イシイくんはドラゴンズ、正くんはホエールズ(今のベイスターズ)、自分はジャイアンツ、とぶつかることなく別れていた(ラシイ。。🤣)それぞれが新聞に掲載されるチームの成績記事(打順・打率・投球回数とか細かく書いてある表)を切り抜き貼り付けたノートを持っていて,監督気分で打者やピッチャーを指名する投げて打って解説して盛り上がった。それもあってか父親とも一緒に、ナイター中継はよく見ていたなぁ

六年生の時、転校生が入った、イハラくん。
 なぜか彼とは気があって、それ以降はずーっと一緒だった。次回編でまた書くけど、中学で卓球部に入ったのは彼に引き連られてだし、この頃イハラくんと卓球で遊んでいたから。
 たらればだけど、イハラくんと合わなければ卓球🏓を知る事もなく、ソフトボールの延長で野球部⚾️か、元々好きな水泳🏊‍♂️を続けていただろうな🤔野球と水泳は、いろんなことがあって、その頃には自分で勝手に限界(続けでも、上には上がいて勝てない)を感じて、モチベーションを失っていたのかもしれない。

 そう言えば、従姉妹のお姉さん(既に免許持って高校の無線部だった)からの紹介に始まり、同級生イシイくんの影響でアマチュア無線の免許を取得したのも六年生だ。イシイくんが、BCL📻(ラジオの海外局を聞いてカード集める)に興味を持っていて、その延長でアマチュア無線に憧れ受験するか考えている時に、たまたま、自分が声をかけて一緒にアマチュア無線の受験の為の講習会に受講することになった。たしか、当時の最年少記録に近いと思う。大人が使う講習会でのテキスト、工学編と法規編のほぼ全文を丸暗記して、過去問の問題と答えも丸暗記した。
 自分の記憶エネルギーの半分はあの時に消化して、以降の学生生活に支障を着たすことになったと確信している😂

こうして振り返っても、この小学校後半が一番いろんな事に興味を持ち、そして手を出し、行動した。今までの生活を振り返ると、この頃の出来事が大きく道を決めている感じがする。なので、もし自分の人生やり直したいと思ったら,ここまで遡らなければいけないと思う🤔 今はその気は全くないが。。

まだまだいくらでも書き出せそうだがストーリー性が全くないことが恥ずかしくなってきたので一旦終わりにしようと思う。

次回は中学編,ここでもいろんな人と出会った。お楽しみに🤗

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