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展覧会レポート 吹けば風 対話的鑑賞初体験 豊田市美術館 

会期 2023年6月27日(火)〜9月24日(日)

会期終了ギリギリで滑り込み、ガイドボランティアによるギャラリートーク(対話型鑑賞)に初参加。

結果からいうと、作品数も多くもなく少なくもなく、気力が乗ったまま見切ることができたかなと思う。なんで今までギャラリートークに参加しなかったんだろう・・・と悔やまれるほど、今までとは違う深い鑑賞体験を得られたように思う。

ギャラリートークは、1時間程度で2名のガイドボランティアと対話をしながら、鑑賞していくプログラムだった。
若き30代アーティスト4名による現代アート展覧会ということで、絵画から、インスタレーションまで様々。作品にはキャプションがついていないため、より想像を掻き立てられる。
ボランティアは作品の意図を引き出すような問いかけや声かけを苦労しながらされている様子だった。慣れてくると、ボランティアガイドが【教えてあげたい!】気持ちがあふれてくるようで、様々な情報を教えてくれた。

そもそも、なぜ【吹けば風】なのか。
詩人の高橋元吉の詩編に、ちなんでいるとのこと。

『なにもそうかたを……』

なにもそうかたをつけたがらなくても
いいのではないか

なにか得体の知れないものがあり
なんということなしに
ひとりでにそうなってしまう
というのでいいのではないか

咲いたら花だった 吹いたら風だった

それでいいではないか

高橋元吉 なにもそうかたを・・・

なにもそうかたを・・・がすんなりと腹に落ちていく。
全ての事象はどんなにこうありたい、こうあってほしいと願い努力して固めようとしても、思い通りにいくものではない。流れるままに、そうなってしまったこともある。なんだか救われるような気分になるもので・・・。しんみりとした気持ちで会場への階段を昇って行った。

さてまず最初に強烈なインパクトを持って出迎えてくれたのが関川航平氏による作品。

ちょうどパフォーマンス中だった

木でできた斜面の上を不規則で不可解なゆっくりとした動きで登ったり動き回ったりしていて、見るものを翻弄。

斜面と向き合うようにある壁面には不可解な文字。

横軸には、どくんどくん と・・・・縦軸には、育って・・・・・腐って・・・と書かれている。

現代アート作品と対峙していると、自分が探偵になったような気分になる。作品の意図や思考をたどりながら、作品の真意を探っていく。なぜ、斜面なのか。なぜそこで不可解な動きを続けているのか。
斜面と向き合う壁には、なんとも素朴な文字が。横軸の延長上の上部には、
【光 かたむく このひとなつも】と書かれている。

見逃してしまいそうなほど上部にあった

斜面横の階段を上りきり、ゆるやかなスロープ沿いを歩いていくと、
ボランティアが斜面についての話を参加者に振っていく。
「このスロープの斜面と先ほどの斜面と比べてどうでしょうか?」
「斜面の角度とか気になりますよね?」
その後突き当りを曲がると出てくる光景におや?っと

この窓枠、斜面と同じ傾斜じゃね?

なんと、この枠の斜面は、この作品のために、作られたものだとか。すごい。

つまりは・・・窓枠の斜面の角度は23.4度なんだとか。
私、これでピーンときました。地球の傾きだと。
この傾斜は四季、つまりは【夏】を表しているとのこと。パズルのピースがぴたっとはまるように、目の前ですべての言葉に意味が宿っていく。
作品名は【夊(なつのあし)】。作者はこの会期中、ようするにこの夏中、ずっとこの斜面に向かってパフォーマンスをし続けていた。見れば、手首にはテーピングが。この夏の間のパフォーマンスの苛烈さこそがこの作品のキモなのかなとも感じた。

さて次の作品は、川角岳大氏の作品。

淡い色が印象的。なんとなくぼやっとしている

「この作品って、何が描かれていると思いますか?」の問いに、参加者が口々に自分の思うものを話していく。飛行機の羽のように見えるけど、羽に乗っているものは何だろう?とか、そこから伸びるコードのようなものは何?とか、Xのようなものは、染色体のように見えるとか、様々な意見が出た。

この作家は、自分のあいまいな記憶を絵にするという試みをしている作家とか。

旅行に行った時の写真を見て描くのではなく、自分の薄れていく記憶を描く。なんとなくぼやけた画面に納得する。

キャンバスの布を濡らしてアクリル絵の具を塗っていくことにより、にじむような画面となっているのかな。

すりガラスに直接展示された川角氏の作品類

部屋を出ると、たくさんの川角氏の作品が。
本来この展示室は、彫刻や立体物を展示する場所なんだとか。
自然光が入る素敵な展示室だが、すりガラスに直接展示することは、作品保存の意味でもあまりよくないが、今回は特別にこのような展示を行ったとのこと。とても印象的だったのが、この作品を見た参加者の一人が、この展示方法により、作品裏から光が差し込んでまるでステンドグラスのように、作品自体を浮かび上がらせているように見えると言っていたこと。

側面が気になる

かくいう私は、作品の側面の絵の具の垂れ方から、この巨大なカンヴァスを平置きして描いているんだーと思っていた。作者が広いスペースでのびのびと描く様子を想像したりするのも楽しい。

作品は様々な視点があり、斜めだったり、さかさまだったり。にじんでぼやけたやわらかい色彩の画面を眺めていると、夢かうつつかそんな気分になってくる。


次は澤田華氏の作品。「漂うビデオ」は、時間と場所の都合で解説はなし。
穴が空いている紙が漂い、そしてそこに向かって投影される映像。
紙が影となり、ふわふわと漂う。映像として流れている時間と、こちら側にある時間が融合し、紙を介して時間をつないでいるかのような感覚に陥る。

漂うビデオ
ビューのビュー

モニターに映る手の位置に、とても不思議な気分になる。
スマホの映像内に映る手。そう、このスマホの上からなぞるはずの手がスマホの中にあることに、何の違和感も持たずにいた私。
指摘されて理解。そういうことってあるよね。

次は船川翔司氏の作品スペースへ。

双子の歌・天気のリボン・ビーズ・・・・天気に関わる小さなインスタレーションが無造作に設置されている。
通常は、降ろされないブラインドのようなものが、時間になると、上下する。こちらも船川氏の
作品「ストームグラス」が設置されていることによる、作者のこだわりだとか。
ストームグラス

天気によって、球の中にある水上の中に、結晶が変化。
がらくたのようなものは、作者の船川翔司が住んでいた(いる?)島で拾ったものだろうか・・・。

船川氏の気象に関わるインスタレーションは、美術館の屋上に設置された観測機のようなものと連動していて、外の気象により、動きが変化する。

今ここで感じていることは、すぐに過去になる。周りに起きている事象は、刻々と変化していく。流れるように、まるでなかったかのように、消えていく感覚と思いと記憶は、大切にしたいと思っていても、薄れていく。
人の記憶や身体的な衰え。その時にどれだけ苦しくて、張り裂けそうな思いがあっても、信じられないくらいの歓喜も。それは時と共に薄れてぼんやりしていく。時も歪み、どれだけの長さだったのかもあいまいになる。だからこそ、今のその思いや痛みを。喜びを。
全ての五感を持ってして、感じる。それが生きるということなのかなと。
写真や映像にどれだけ残しても、その時に見た色と思いそのままは残すことはできないのだから。
だから、私は一瞬一瞬を痛いと思いながら、涙を流しながら生きていこうと思う。

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