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専門学校を甘く考えないで

専門学校を甘く考えないで

(前号からのつづき)
師走のある日、しまい込んであった生徒会誌「からっかぜ」創刊号(1967年2月創刊)を取り出し、当時を思い出して懐かしさを再認識しました。

機械科3年1組のクラス紹介原稿は私が書いたもので、タイトルの 「空に星があるように」は、荒木一郎が、深夜放送で唄い流行った歌のタイトルを借用したものです。

教科担当の先生が入れ替わるごとに、授業開始と同時に、当時発生した航空機事故の推定原因について「先生の考えを聞かせてください!」と質問して、授業の進行を止めたことなど、愉快な思い出として記憶されています。
そのことは「からっかぜ」創刊号の、クラス紹介ページに掲載し、今でも、見ると思い出し笑いとなります。

校章は生徒から作品を募って選び、校歌は生徒の意見を聞き、「いかにも校歌」といったものを避けて、「校歌っぼくない校歌を」との発想で作って頂いたように記億しています。

また、1966年4月1日に、熊谷商工高校から分離独立して、熊谷工高とはなりましたが、学校施設は建設途上にあり、卒業式は1967年3月に、熊谷商高の体育館で行われました。
その卒業式に、私は入院していた深谷赤十字病院から出席しましたが、それも今では懐かしい思い出となっています。

私は現在、県立熊谷高等技術専門校に勤務しています。
担当クラスの生徒には、熊谷工高機械科の出身者が数人おりますが、高校生当時の私の姿を現在の生徒にオーバーラップさせると、一致しない点が多いことに気付きます。
もちろんそれは、熊谷工高の出身者に限ったことではありません。
また、30年の開きがある世代を重ね合わせることは、無理なことであり、それだけ私も古い人間になってしまったのかと、認識させられています。

年代差を考慮してもなお、指導者として、仕事をとおして見る高校生は、専門学校(高等技術専門校を含む、以下同じ)をよく理解されていないように思います。
大学進学と就職の間での妥協点として、あるいは、進路についての安易な考えから、専門学校に進む生徒が多いことを危惧しています。
途中で挫折する生徒の多いことが、そのことを象徴しています。

私は自動車整備科(高卒2年コース)を担当していますが、難関な試験をクリアして人校したにも拘らず、途中で退校する生徒が毎年います。
そこで、公立、私立を問わず、専門学校を目指す後輩の皆さんに、専門学校の指導者サイドの立場からアドバイスさせていただきたいと思います。

専門学校は、学校教育法で定められている学校(小学校、中学校、高等学校、大学等)以外の教育機関です。
その存在は、高校から企業への橋渡し役として、職業教育体制のなかに完全に融け込まれ、社会人育成に大きな役割を果たしていると自負しています。

ところで、時代の変化は速く、企業をめぐる環境も急速に変化しています。
しかし、社会人に求められるものは、基本的な事柄において変わることはありません。
実行報告、事故報告、業務連絡、事実と推定の区別、クィック・リズボンス、書く能力、相互補完、公私の別、服装や態度、言葉使い、時間や期限の厳守等、社会人としての基本動作の重要性は増す一方にあります。

そんな社会環境のなかにある専門学校には、特定の職業に必要な「知識と技能の習得」とともに、「社会人として必要な基本動作」を身に付けさせることが求められています。
また最近では、高レベルな付加価値の付与も望まれています。
(次号につづきます)

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