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SNSは使うモノで使われるモノではない。酒や薬と同じなのだ。

『そしてもうひとつ、テレビのリアリティ番組に共通する特徴とは、「当事者と傍観者の完全なる分離」だ。当事者が苦しむ姿を傍観者はただ見ているだけだ。当事者が悲鳴やうめき声を上げるほど、傍観者は喜ぶ。こうした傍観者のサディズムについては、古代ローマ時代の哲学者、ルクレティウスが『事物の本性について』ですでにこう言及している。「風が水面を大きく波だたせる広い海で、他人が厳しい試練を受けているさまを、地上で見ているのは快いものだ。他人が苦しむのが嬉しいのではない。あれほどの苦しみを自分が受けずに済んだことが快いのだ」〜こうして見るように(余計な説明は不要かもしれないが)、投稿者とその動画は、ネットユーザーたちから「バカ」と裁かれ、悪意や女性差別(あるいは両方)の対象とされ、嬉々として侮辱され、見下されている。他人の「スペクタクル」がバカバカしく見えるほど、傍観者は大きな喜びを感じる。そして、自らの嫌悪感(このケースでは女性やフェミニズムに対して)や悪意を表明したり、罵詈雑言を浴びせたりすることに快感を覚えるのだ。さて、これまでSNSの三大特徴のうち「生活のスペクタクル化」と「何でも裁きたがる傾向」を見てきたが、あとひとつ、「有名になりたいという欲求」が残っている。確かに、勇気を出して冷たい水に飛びこむという「スペクタクル」にも、「有名になりたいという欲求」は含まれるだろう。そもそも、SNSを始める理由そのものが、「有名になりたいという欲求」であるケースも少なくない。〜こうした〈バカの先験的条件〉としてのSNSの三大特徴は、この記事で紹介した以外の多くのケースにも当てはまる。そう考えると、SNSというフィールド内で生まれて形成された「バカ」について、これら3つの特徴は「バカの定義」と言いきることができるだろう。』

SNSが普及する前もバカは沢山いたが経済とは結びつかなかったのでマネをするモノも少なかった。「見せたい」「裁きたい」を手軽にし「目立ちたい」が経済的に有効ならマネをして失敗るモノが多数出るのは明白だ。SNSは使うモノで使われるモノではない。酒や薬と同じなのだ。

SNSが「たくさんのバカ」を可視化してしまう3つの理由
「見せたい」「裁きたい」「目立ちたい」
https://president.jp/articles/-/37904

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