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羹に懲りて膾を吹く

 世の中はなんて無情だろうか。こうもうまくいかないことが多いといい加減嫌になってくる。なんてひどい世界だ、願わくばもっと住みよい、都合のいい世界に生まれ変わってはくれないだろうか。

  家の鍵を失くした。

 生れてこの方、これだけはしないように気を付けていたつもりだった。財布、スマホ、家の鍵。3大落としてはいけない所持品。その1つを落としてしまった。
 たしかに惰性であった。これまで、何百何千回と鍵を閉め、持ち歩いてきた。落とすことはなかった。きっとこれからも落とすことなんてない。この慢心が此度の失態を生んでしまった。

 映画「スマホを落としただけなのに」において、現代社会のスマホ絶対性が風刺された。スマホを落とす、というよく起こりそうな場面からその危険性に触れている。
 それでなおスマホを絶対落とさんとする備えをするわけでもない。代わりにさっと取り出してすぐ使えるところにしまっておく(ポケットに入れるなどがそう)という利便性にプライオリティーを与えている。

 スマホは確かに、すぐ使えた方がいいのはわかる。財布もまぁ、取り出しやすいところに置いておきたい。落とすリスクを負ってでもそうしておきたいところではある。
 じゃ鍵は?すぐ取り出せる必要があるだろうか、いや無い。一回使えば、その後数時間使う機会がない。だったらそんな落とすリスクが少しでもあるような場所に置いておく必要はまるでないことになる。絶対落とさない、無くさないような持ち運び方をしてしまえばいいではないか。

 私はもう、鍵を失くすなんて懲り懲りだ。もう2度と、絶対に無くさないようにしなくては。
 そうだ!これから鍵はダイヤル式の金庫に入れよう!小さいとどこかに落としそうだからホテルにあるくらいの大きさのやつ。でもそれだとそれを置いてきてしまうかも…じゃぁそれを縄でぐるぐる巻きにして首輪をつけてそれに繋げればいいんだ、そうすれば常に肌身離さず持ち運べる!

よし、そうしよう!

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