東京八景(苦難の或人に贈る)


【タイトル】東京八景(苦難の或人に贈る)

【概要】

太宰治が東京で過ごした生活を短編として綴った作品。
病死した兄と過ごした日々、共産運動、心中未遂、画家の友人と妻Hの不倫、パビナール中毒、井伏鱒二の助け、再婚、そして現在。
走馬灯のように駆け巡る東京の風景を青春の訣別として描く。


【感想】太宰治のイメージである自堕落で退廃的、まさに人間失格という烙印が出来上がる過程が描かれている作品だと思った。

年齢、戦争、歴史観の動揺、怠惰への嫌悪、文学への謙虚、神は在る、などといろいろ挙げる事も出来るであろうが、人の転機の説明は、どうも何だか空々しい。その説明が、ぎりぎりに正確を期したものであっても、それでも必ずどこかに噓の間隙が匂っているものだ。人は、いつも、こう考えたり、そう思ったりして行路を選んでいるものでは無いからでもあろう。多くの場合、人はいつのまにか、ちがう野原を歩いている。

現在就職活動をしていて過去の自分の選択を振り返ることが多い。その時に思うのは「いつのまにちがう野原を歩いている」ということである。
つまり、行動理由の多くはほとんど後付けであるということだ。雰囲気が面白そうやかっこよさそうという定性的なふわっとした感情から興味を持って行動していた。その結果、触れたものにたまたま強いエネルギーがあって引き込まれていくことが多かった。
この文章は多くの人が自分の人生を振り返った時に当てはまるのではないかと思う。

ここから学べることは「なにをしていいか分からない」や「モチベーションがない」という人は「なにもしていない」人だということだと思う。何かを始めたことによって責任感やら時間をかけた分取り返そうという気持ちが出てくる。その結果モチベーションが生まれるのではないかと思った。

人間のプライドの窮極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。


死ぬほど苦しんだ経験はないが雰囲気は掴めた。色々な成功者の自伝が出版されているがそこに書かれているストーリーに苦しんだ経験というものが必ずといっていいほど登場する。苦しみというものは誰かと比べられるものではない。しかし、自身が死ぬほど苦しんだと思う経験やそこから立ち上がった経験はプライドの根拠になるというのは納得できた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?