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からまったヒモをほどくように習慣を変える

望まない習慣を変えてしまいたい、誰でもそう決心する。

望まない習慣からの脱出は、からまったヒモをほどく作業だと僕は思う。

「からまったヒモをほどく」という作業、子供のときはしばしばあったような気もする。
最近はなじみがなくなってしまったのでイメージしづらいと思い、申し訳ないが、ヒモが絡まったときには、ほどけるところから少しずつほどいていくのがコツだ。

望まない習慣を理想の習慣にスパッと切り替える、これができそうでできない。
たいていは一旦切り替えたとしても、
またすぐに「本当は望んでいない習慣」に戻ってしまう。
三日坊主というやつ。

一度身に付いた習慣をなかなか切り離せられないのは、なぜ人間が習慣を作るのか?がカギなる。

習慣を作る理由は、できるだけ楽をしたいから。
行動を習慣化することによって、多くの判断から逃れられるというメリットが有る。

人間はできるだけ判断したくない。
エネルギーを消費するし、誤るリスクを負うことになる。
大昔なら、判断ミスは生死に直結する事もあったはず。
実際現代、ビジネスにおいても、正しい判断に対する対価が高いのは、
その負荷を皆が理解しているから。

人間は過去の慣れ親しんだ行動を自動化(考えない)する、つまり習慣化が得意だ。
そして習慣をできるだけ変えずに生きていこうとする本能を持っている。

そんな習慣、変えることはカンタンではない。
習慣をスパッと切り替えようとする試みは、からまったヒモの両端を持ち、一気に引っ張るような行為だと思う。
運が良ければ習慣が切り替わる(からまりがほどける)が、
うまくいかなければ習慣を変えられなかった失敗の事実は、
さらに頑固な”からまり”となって、
以降、習慣を変えようと思う意欲すら出てこないかもしれない。

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僕にとっての変えたい習慣は「夕食後の過ごし方」だった。

仕事が終わり帰宅して、夕食や入浴をすませ、
子供も寝静まるよる9時半以降。
習慣としてテレビを見たり、ゲームをしたりして過ごしていた。

40代に差し迫り「このままでいいのか?」という思いに駆られる。
このまま、ただ、会社員として仕事をして、帰宅したら何も創り出さない、学習もしない毎日を過ごしていて良いのだろうか?
もっと何か、生きた証みたいなものを遺したい。もっと学びたい。

このままではマズイ。

そんな「何もしない習慣」を変えるべきだと決心した。
そして今は残業した日でも休日でも、
他の会社員が晩酌を楽しんでいる時間帯に二時間以上の学習を実行する習慣をつけることができた。


僕はまず、夕食後にテレビを観るのをやめた。
観る時間を徐々に減らすことができた。

最初はまったくテレビを見ないようにした。
案の定これは続かなかった。
他に何をすればいいか分からなかったので結局またテレビの前に戻ってしまった。

テレビを観るという行動を他の行動に置き換えないといけない。
テレビを観ずに何をしようか?
僕はまず本を読むことにした。
本をよむ習慣なんてないから長い時間読むことに耐えられない。
1日10分だけ。
情けなかったが、自分を受け入れるしかなかった。
できることだけでいいからやろう。今考えるとこの考えが重要だった。

毎日、本を10分だけ読むことに成功した僕。
今度は机と自分用のノートパソコンを購入した。
この記事を書いているこのノートパソコンだ。
テレビの前以外の居場所ができた。これが第2のステップだった。

この居場所で何をするか?
選んだのは、ずっと「いつかやる」と無責任に思っていた英語学習。
TOEICという目標を決めた。
そして誰かの役に立つ何かを遺すため、(今ではシフトしてしまったが)ブログを書くようになった。

やり遺したことを後悔しないようにやろう、
何かを遺そうという漠然とした思いはこうして徐々にカタチになってきた。

これらは習慣を変えたことで実行できた。

やめたいと考えている習慣は、
できる範囲で、からまったヒモを少しずつほどくことで、
自分が目指したい方向へ導いてくれる習慣へ、カタチを変えるものだ。


やめたいのにやめられない習慣は、坂を台車で下るようなもの。
進む(下る)ために頑張る必要がない。
何もしなくてもその習慣は続く。

物体に働く法則のように、
習慣にもその行動を続けようとする慣性力が働く。
坂道を下る習慣を一瞬で止めること困難だ。

数十年前まで、今では信じられないけどこんな考え方が標準的だった。

『悪習慣は強い意志を持って、絶たねばならない。
 強い意志さえ有れば必ずできるはずだ。
 悪い習慣が絶てないのは、本人の意志が弱いからだ。』

そんな根性論が通用しない世の中になってきていること、
本当に嬉しい限り。

変えたい習慣の目標が定まったしても、
その習慣をスパッと絶とうとしなくて良い。

やめられないことは悪いことではない。
恥ずかしいと感じる必要もない。でもその”引け目”が変わりたいというモチベーションになるなら、おおいに利用すべき。

自分の弱さを認めないことを重要視する文化が向上心のエネルギーをもたらすなら、利用してしまえばいい。

習慣をやめたいのなら、まず自分の弱さを認める。

意思が弱いからやめられないのではなく、
弱い意志でもできることを実行して、悪い習慣を少しずつ”ほどく”。

絡まったヒモをほどけるところから少しずつほどいていくように、
徐々に習慣の形を変える。焦りは禁物。

少しずつ変えている達成感を大事に、習慣を理解して共存する。
そうして理想の未来を手に入れられる人が増えてほしいと願うばかり。

以上です。ご覧いただきありがとうございました。

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