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コロナ禍の中国旅行〜甘粛省①〜

コロナウイルスが武漢で蔓延し始めた当時、私は広東省の深圳に住んでいました。中国での蔓延が最初だったこともあり、未知の出来事に恐怖を感じながら過ごしていました。春節の時期と重なったこともあり、深圳市内も人気がなくなり、このままどうなるんだろうと思いながら過ごしていましたが、ご存じの強権的な対応で第1波は早期に抑えられました。

2020年から21年にかけては散発的な感染がありながらも、私たちの住んでいる地域では、普段通りの生活をすることができました。感染が落ち着いた合間を見て、中国国内を旅行することもできました。

現在、私は日本に帰国していますが、その間に旅行した時の様子をまとめてみようと思い立ちました。まずは、海外からの観光客が激減したコロナ禍の間の旅行について、書いていきたいと思います。

目的地:甘粛省(蘭州・敦煌)
時期:2020年夏、1週間程度
一人旅

甘粛省は、コロナ禍で最初に1人旅をした省です。旅の目的は、敦煌の莫高窟を訪れることと、蘭州で本場の蘭州ラーメンを食べること。
コロナ禍以前は中国国外にも旅行に行っていましたが、この時期の中国はほぼ鎖国状態で、一度国外に出たが最後、無事に戻ってくるのは至難の業でした。
というわけで、なるべく異国感を味わえる場所に行きたいと思いついたのが敦煌だったのです。

深圳から甘粛省の省都蘭州までは、フライトで4時間程度。
緊張とワクワク感が入り混じったような気持ちでフライトに乗りました。

国内で4時間も飛行機に乗るなんて、さすがの広さ。
内陸の田舎のイメージがありましたが、蘭州の空港のターミナルは2つあり、そこそこ大きな空港でした。

そこからさらに乗り継いで敦煌へと向かいます。

乗り継ぎまで4時間。チェックインカウンターのあるフロアをうろうろするも、特に目ぼしい場所もなく散策終了。マックの近くのベンチが比較的空いていたので、旅の恥はかき捨て(何の?)ということで昼寝。トータルで2時間くらい寝ました。

いよいよ敦煌行きのフライトへの搭乗です。春秋航空のフライトに乗りました。日本ではLCCのイメージが強い航空会社ですが、実際の搭乗は普通の航空航空会社と変わらない印象。

幸運にも座席は前方で、私の前の席には欧米人の夫婦が座っていました。
50代前後だったかと記憶しています。中国においては同じ外国人として少し親近感を感じました。

2020年8月時点では、中国国外から外国人が入国するのは余程の事情がない限り難しい状況でした。
きっとあの夫婦も、武漢から全国に飛び火したコロナ渦中、本国へは戻らず、中国に残る選択をしたのだろうと考えました。
機体が降下して着陸に向かう時、婦人がさりげなく主人の腕を触り、同じ風景を眺めている。初老であっても自然にボディタッチができるのは日本人として少し羨ましく感じました。

敦煌空港へ着陸。蘭州の空港と比べると、こじんまりとした印象。
空港を出るとすぐに、市内行きのバスを発見。空いているようだったので乗ることにしました。

市内行きのバスから

しかし、待てど待てど一向に出発しない。よく見ると乗客は私の他にあと1人だけ。
その時、悟りました。これは乗客がいっぱいになったら出発するシステムであると。
中国では割とあるあるの出来事で、タクシーが相乗りで1人ずつ料金を請求するとか、乗客を確保するまでその辺で待っているとか、観光地ではまぁ普通です。

そんなこんなで乗車率100%になったところでようやくバスは市内に向けて出発しました。20分くらい待ったでしょうか・・・。
発車したのも束の間、今度は若い女の子がマイクをにぎり、ガイドのように話し始めるではないか。どうやら甘粛省の観光案内もしくは勧誘であると察する。公共(?)インフラであるバスの中で、である。

ひと通り話し終えるとその子がバス代の請求に回ってきました。微信と支付宝のQRコードが印刷されたカードをぶら下げて首にぶら下げて。QRコードを読み取ってバス代の20元だけ払い、到着まで外の景色を楽しみました。

市内までの道は綺麗に舗装されていて、街路樹がまっすぐ生えていました。深圳のある南方の木とは明らかに違う植物であることがわかります。
空は透き通っていました。

30分くらいたったでしょうか。建物が見え始め、市内へ近づいてきたのを感じました。バスは市内の主要なホテル付近で停車しますが、私が泊まる「敦煌飯店」はそのポイントとならないため、最寄りの停車場所で降りなければなりません。スマホのマップをにらめっこしながら、ここだ!というタイミングで降りました。

市内は観光地だけあって、歩道は広く綺麗に整備されていました。夏でも空気が乾燥しているため、気温の割に汗はかきません。街路樹にうっすら砂埃がついているのがわかるくらいです。

道が広い!

ほどなくして敦煌飯店に到着し、チェックインです。
以前ロシアに旅行した時も中々でしたが、中国では英語が通じないことで有名です。
私が在住していた深圳では、英語教育を受けてきた若年層が多いため、それなりに話せる人も多い印象。しかし、それでもタクシー運転手にはまず通じない。話す気もない、と言ったところでした。
中国の地方都市ではもちろん、ホテルのカウンターのスタッフでさえ話さない人は多い。
まぁしかしここは中国であるから、中国語が会話するのが当たり前といえば当たり前なんですけどね。

実は1人で中国語でチェックインするのは初めてでした。

コロナ禍ということもあり、(当時は新規感染者数はほとんど出ていなかったものの)どこからどんなルートで辿り着いたのか事細かに質問されました。紙の航空券を出しながら旅程を説明しました。すぐ捨てずに持っておいて正解だったと心底思います。

何とかチェックインして部屋へ向かいました。建物は4階建てで、横に広い造りをしていました。
部屋は4階だってと記憶していますが、エレベーターを降りてからかなり歩き、廊下の角まで行くとようやく自分の部屋番号を発見。
期待はしていなかったものの、それなりの設備でした。
何となく、しばらく使われていないような感じもしました。これは私の勝手な予想ですが、奥の角部屋で隣に誰も泊まっていないことを考えると、外国人だからという理由でこの部屋にされたのではと感じました。
コロナ前から中国にいるんだけどね。
イメージとは怖いものです。

コロナウイルスのパンデミック以降、中国政府はほぼ鎖国といえる政策をとってきました。余程の事情がない限り新規のビザを発給せず、有効なビザが残ったまま他国へ退避した外国人(一時帰国した日本人など)に対しても、3月28日以降に発給されたビザが入国の条件となり、事実上一度中国を出たら戻ってこれない状況が続いていたのです。
だから、一足早く感染が落ち着いた中国からすれば、当時感染真っ只中なのは国外だったのです。何かあったら、という考えも働き、このような対応をしたのでしょう。まぁそれも理解できるところでありますが。

次回に続きます。

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