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詩吟(業界)に対する俯瞰と怒り

heyheyです。

「よくない環境から抜け出す、行動して人生を変えるには、自分を俯瞰する力と怒りというエネルギーが必要だ」

という話を木下さんのVoicyにて聞きました。
僕が今、詩吟のYouTube発信をしているのも、詩吟を使って新しいことをやろうとしているのも、俯瞰と怒りが関係していると気づいたので、書き記します。

1.詩吟(業界)に感じた違和感【俯瞰】

①詩吟は格好良くない

僕は10歳のころから、親の勧めもあって詩吟を始めました。
当時は他に大した習い事もしていなかったし、「他の人がだれもやっていない珍しいことをする」のが好きな性分だったので、特に問題を感じることなく習い続けました。

ただ、小学校のときに友達も交えて複数人で吟じる「合吟」をやろう!ということになりました。

なので、僕も仲の良い友達を4人集めて、ほんの数回ではありますが、練習したことがあります。

この時感じた違和感は「あれ、詩吟って格好良くないな」「ちょっと恥ずかしいな」という気持ちでした。

なので、友達という第三者がいることで初めて「(初心者レベルの)詩吟は一般的に見れば格好良くない」という俯瞰の視点を一つ持ちました。

ただ、この感覚は高校生になって少し緩和されます。

先生が変わり、エネルギーも実力も兼ね備えている先生から学ぶようになり、自分自身も実力が身についていったからです。

今振り返れば、技量は全然高くないですが、声量にはとても自身ありましたし、大会でもよく褒められたことによって「詩吟の格好悪さ」は気にならなくなりました。

しかし「全国高校文化祭(高文祭)」に参加したとき、その気持ちが再燃します。

全国から高校生が集まって、詩吟や剣詩舞を披露するのですが、(言っちゃなんですが)酷いところは本当に酷いのです。

同じ感性をもった高校生なのに、このクオリティで大勢で吟じている人がいることにちょっとショックを受けました。

その一方で、上手いところは明らかに違いました。たとえ少人数であろうとも、突き刺さるものが違います。良い意味で若さが全面に出ている格好良いものもありました。

この経験から、「詩吟=格好良い」ではなく「練りに練った詩吟なら、格好良いと感じられることもある」という至極当たり前の感性を持てるようになりました。

②組織として古すぎる

詩吟業界は超高齢化しています。正確な統計はないのですが、これまで多くの大会に出てきた体感から、平均年齢は70歳を超えていると断言できます。

そのような団体であるため、色々と古いところが多いです。それが決定的に感じたのが、「僕が詩吟教室を移るときの手続き」でした。

僕は大学が県外を選び、就職先も全く違う県を選んでいました。
ですので、地元で詩吟を習い続けるのはとうの昔に不可能になっていたのですが、先生のことが好きだったのもあって、所属はそのままにしていました。帰省するときだけ習うというやりかたを続けていたのです。

しかし数年経ち、さすがに限界を感じたので、詩吟教室を変えることを強く要望しました。そこからが大変でした。

  1. 移りたい先を決める(これは早いうちに終わってました)

  2. 元の教室の会長(僕の詩吟の先生とは別)に、団体を変えたい旨を伝える

  3. 会長が、移る先の会長に連絡を取り、承認を取る。

  4. 会長が僕の先生に連絡し、移ってもいい旨を伝える

  5. 僕が先生と会長に移る旨の「手紙」を書く

  6. 移る先の先生に、移る時期などの詳細な連絡をする

  7. 「異動届」のような書類を提出する

  8. 教室移動が完了する

もうけっこう前なので記憶が曖昧ですが、大まかには上記の流れでした。
もうスマホも使われていた時代に、LINEもある時代に、手紙が必須で驚かされました。何ヶ月もかかったのを覚えています。

③大会で優勝したのにお金を取られそうになる

詩吟業界に対する違和感が決定的になったのは、詩吟の全国大会を優勝したときのことでした。

その時は、初出場ながら順当に予選を勝ち進み、自分でも驚いたのですが優勝することができました。

レコード会社主催だったので、「自分もCDとか出すことになるのかな?」と期待していました。

しかし蓋を開けてみると、実際は真逆でした。
CDを出せる権利があることは同じですが、費用は僕持ちだというのです。

「は?」
と感じたのをよく覚えています。

具体的には「詩吟の収録は希望すればできるよ!でも、数十万円分を実費で出してCDを何十枚か作成するから、所属する組織とか友達とかに自分で売ってね」という内容でした。

正直意味が分かりませんでした。
なぜ優勝したのに、さらにお金を取られるのか?

過去に、渋谷でカラオケ大会に出たときに、あとから「実費で作曲しませんか?」という迷惑メールを受け取ったときの感覚と同じです。

さらに怖いのは、僕の先生も含めて「それが普通だ」と言っていたことです。あぁ、これは距離を取らないとダメなやつだ、と僕は確信しました。

2.詩吟業界に対する怒り

上記で書いた違和感が、怒りに変わり、僕の行動の原動力になっています。

詩吟自体は好きです。
自分で教えるようになり、詩吟の味わい深さも日々感じています。

ただ「普通に吟じるだけでは詩吟の魅力は一般の方には伝わらない」とも感じています。

過去に、複数の友人に詩吟の大会に来てもらったことがあるのですが、そのときもらった感想から、再認識しました。(heyhey君の詩吟は良かった!でも、他は…….だったね。という感じです)

詩吟そのものが一般受けするものではなく、良い詩吟が人の心を打つのです。至極当然ですよね(苦笑)

また、そんな魅力の伝わりにくい詩吟に対して「学んでみたい」と感じる貴重な人たちを雑に扱っている組織に対する怒りがあります(それでいて「若い人が増えない」と何十年も嘆いている。。。)

具体的には

  • 詩吟を始めたい!という人がネットで調べても、欲しい情報が本当に少ない(というか無い)

  • 「この大会、一般の方でも見ればいいのに!」と思えるような立派な大会の情報が、ネットに掲載されていない

  • 近くの詩吟教室で体験入学しようと思っても、メールはなく電話のみ。

  • 所属する団体、教室によって費用が大きく異なる(組織への年会費が全然ちがう)

  • 所属する団体、教室によって、参加できる大会が限られる

  • 「師範」の称号を持っているからといって、実力が伴っているわけではない。

  • 「詩吟の教え方」が全く統一されていない。ダメな先生につかまると、本当に成長が遅くなるか、変なクセがついてしまう。

  • 先生の言うことに意見する人、反論する人がほとんどいないので、上記の構造が変わることはない。

だんだんと僕の怒りを書きなぐる状態になってきたので、ここでやめておきます(笑)


僕の怒りがMAXになったタイミングと、妻の妊娠、出産のタイミングが重なったので、僕はそれを理由に組織を休会し、詩吟のYouTube発信に方向転換することにしました。

当時、副業活動を始めていて「YouTube発信の手段がある」ということを知らなかったら、もしかしたら僕自身も詩吟を辞めていたかもしれません。

こういった背景から、僕はYouTubeでは

  • 詩吟を知らない人でも興味を持ってもらえるようにする

  • 詩吟に興味ある人が知りたいことを伝える

  • 詩吟を習い始めた人が知りたいことを伝える

  • 固い詩吟組織ではできなかった新しい挑戦をする

を意識して、日々発信しています。

やはり振り返ると、原動力は「俯瞰と怒り」ですね。怒りというのは良くないイメージがあるかもしれませんが、振り返ってみると僕には欠かせない原動力です。

客観的にみて「おかしい」と感じること。
おかしいことに対して「怒り」を感じること。

これらを大切にして、これからも詩吟を活性化させるための活動を続けていきます。

おわり。


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