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【自己啓発の怖い罠】学ぶことが楽しいというジャンキー

自己啓発に勤しむ自分ですが、ふと気づきました。本当の意味でアウトプットができていないのでは・・・?と。日常的に何かしら良さそうな本を読んだり、動画で学ぶなど、いわゆるインプットは私にとって当たり前になっています。そして、このnoteはアウトプットの場として活用することも多いです。しかも、PC一つで完結しています。ここでふと思うのです。「だから、何?」と。自己啓発になぜここまで頑張っているのだろうと、ふと疑問が湧きました。


私はなぜ自己啓発をするのか

これは私への問いであり、この記事を読んでいるあなたへの問いです。「私はなぜ自己啓発しているのですか?」と。今の私は「趣味」に近いです。目的もあるけれど、日常に溶け込んでいる習慣であり、楽しみですらあります。肝心な目的ですが、言語化するならば「自分の能力をレベルアップさせて、稼ぐ力を上げていきたい」ですね。一見、よくある回答に見えますが、私はここでふと思いました。嘘をついているなと。そして、問いから逃げていますよね。

自分に嘘をついているのでは?

私は先ほど、「稼ぐ力を上げたい」と言いました。これは本当でしょうか? 自己啓発を学べば、稼ぐ力は身に付くのでしょうか? ここはイコールなのでしょうか? 私はこの点に疑問を持ち始めました。薄々それはわかっているからこそ、私は「趣味に近い」と適当なことを言ったのかもしれません。これを読むあなたはどうですか? 本音でいえば、自己啓発を学んだら、目的を達成できるのでしょうか。

自己啓発は手段なだけ

今の私は、手段が目的になっています。自己啓発という実態のないものを過度に偶像視し、日々何かしら取り組むことで、勝手に達成感を得ています。だから、何ですか? としか言いようがありません。手段で満足しているのですから、目的がありませんから。

どこに向かっているの?

もし、自分の人生で自己実現したいことが明確にあるのであれば、そこに向かっていけばいいだけですよね。ところが、今の私は自己啓発そのものに満足しています。なんなら、趣味なんて言ってしまうほどには、目的も忘れているわけです。まるで、「お金持ちになりたいから、起業したい」とか支離滅裂なことを言っている人のようなもの。これが今の私だったのです。

お金は目的にはならない

例えば、お金を稼ぐ力、収入を増やす力、こういったものは確かに誰もが欲しいかと思います。とはいえ、これは目的には絶対になりません。お金という実態のないもの(エネルギーとも言われる)は、手段でしかないからです。何かしらの目的のために。「お金を増やして、どうしたいのか?」ここが明確にならない限り、お金が増えることはないことにも気づきました。自己啓発も同じです。目的もないから、いつまでも堂々巡りで変化が起きないのです。

お金以外の目的を見つけること

だからこそ、お金以外の目的を定めることは重要です。明確であれば明確なほど、自分の意識も注力できます。これこそが人間の意識の力を使う、基本であり、自己実現の一番のポイントです。私はここを忘れていました。自己啓発を学ぶことばかり意識して、自己実現という目的を忘れていました。私が人生で叶えたいこと、どうしてもやりたいこと、目指したいところが、まるで抜けていましたから。

【結論】自己啓発はほどほどに

ここ数年、自己啓発にどっぷりだった私は、ある意味ではジャンキーだったのかもしれません。気持ちが上がるような、エネルギーが膨らむような気持ちのいい言葉に触れているのが楽しかったのかもしれません。その楽しさに目が奪われ、いつしか目的を失っていました。学びは素晴らしいことですが、いいこととは限りませんね。悪いとも言えませんが。つまりは、ほどほどにということ。ただ、それだけです。

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