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#306 キャリア安全性・主体性を育むために大切なのは「親元を離れる感覚」

竹内義晴の「これからの働き方」――この番組は、これからの働き方、組織づくり、地域づくりの実務家、竹内義晴が「楽しく働く」をテーマに、組織づくりやコミュニケーション、マーケティング、キャリアデザイン、複業、テレワーク、ワーケーションなどの視点で、ゆるゆるとお話をしていく番組です。この番組が面白かった。あるいは参考になったら、フォロー・コメントなどいただけると嬉しいです。


今日はキャリアに対する「個人と企業の関係」について

今日はですね。キャリアに対する「個人と企業の関係」について話してみたいと思います。

というのも、昨日、ある企業の方とお話をしました。その会社さんでは、中堅・ベテラン世代のキャリアに対してさまざまな研修をしたり、制度を作ったり、いろんな取り組みをしてらっしゃるそうなんですよね。

その話を伺いながら、ここ1か月ぐらい、キャリア安全性・主体性についてお話をしてきましたが、ふと、頭に浮かんだのは「どこまで、企業として取り組むべきなのか?」という問いでした。


キャリア安全性・主体性について「何かを教えると、身につく」というものでもないなぁと思っています。

なぜならば、これまで、キャリア安全性・主体性について「3つの資本」でお話してきたんですよね。3つの資本とは、人的資本――つまり、スキル。金融資本――つまり、お金。社会資本ーーつまり、人とのつながり。これらを構築していくといいんじゃないか? というお話をしてきました。

人的資本、つまり、スキルの部分は「これからは、こうなっていくよ」とか、「これからは、こういうことが必要だよ」とか、教えることによって身につくこともあると思うんですよね。

現実は「教わった通りにはならない」

一方で、会社の中で、キャリア安全性・主体性を高めていくための知識なり、スキルを身に付けて、「これだったら、きっと自分は大丈夫だ」と思えるようになるためには、単に与えられたプログラムをやっていればいい……というわけでもないんじゃないかと思ったんですよね。

なんとなイメージとして浮かんだのは、学校です。学校の先生に「これからはこうなっていくぞ」と。「これからはこういうことが必要だぞ」というふうに教わる。

でもそれが、たとえば就職する時とかに「すごく役に立つか?」といったら、確かに、知識としてはもちろん大切なんだけど、実際に就職するときとか、社会に出るときっていうのは、教わったこととは違うことがたくさんあるし、必ずしも聞いた通りではない……っていうことが、すごくあると思うんですよね。

この事実を考えた時に、社内で何かを学んだり、知識を身につけたり、研修に受けたりすることも、すごく大事だとは思いながらも、いざ、「自分で、外に歩んでいこう」としたときには、「会社の恩恵も受けつつ、ある部分では一人立ちしていく」みたいな形が必要なんじゃないかな? っておもったんです。

「会社のプログラムと、実際は違う」という感じですかね?

くりかえしになりますが、たとえば、高校とか大学で、「これからは、こういうことが大事だぞ」と教わる。これはこれで、とても大切。

でも、実際に外に出ると「あれ?」ということが起こる。これが、実際のところだと思います。これが、キャリア教育の現実だと思います。

大切なのは「子どもが巣立っていく感覚」だと思った

このような状況のなかで、「じゃあ、何が大事なんだろう?」と思ったと、ふと頭に浮かんだのは、「子どもが巣立っていく感覚」です。

僕の娘はいま、大学2年生です。彼女はいま、親元を離れて大学で学んでいます。この状況は、親の制約はほとんどありません。自由です。どちらかというと、自分で色々考えて、お金が必要なら自分でバイトして、学ぶべきことは学んで……という状況で、いま、学んでいます。ある程度、自由。

一方で、なにか、本当にヤバいときとかは、親を頼ることができます。

キャリア安全性・主体性を育む上で、いま、大切なのは「あ、この感覚だな」って思ったんです。「普段はほとんどの制約受けずに、自由。だけど、何かあったときは助けてもらえる」みたいな。

主体性を育むためには、こういった環境が必要なんじゃないですかね?

繰り返しますが、会社の中で、いろんなこと教えたり、ワークショップをしたり、そういうことももちろん大切です。でも、この環境って、子どもが育つプロセスでたとえると「ずっと家にいる」感じですよね。安全は安全だけど、「実体験は積めない」というか。

大切なのは「安全だけど、チャレンジもできる」環境

キャリア安全性・主体性を考えるとき、最終的に大事になってくるのは、「安全だけど、チャレンジもできる」とか、普段はあまり関与しないけれど「何かあったときには助けてもらえる」とか、そういう感じなんじゃないかなぁって思ったんです。

「親元は離れるけれど、何かあった時は親元に戻れる」みたいな感じ。この感覚が、すごく重要なんじゃないかな。

まったく、何の安全・安心もなく「好きにしろ」だと、怖くて表に出られない。かといって、子どもがずっと親元にいては、本当に必要な学びが得られない。

キャリア安全性・主体性を育むためには、「安全だけど安全じゃない」とか、「安全じゃないけど安全」とか、「何かあった時には頼れる。だけど、主体的に動ける」みたいな環境が必要なんじゃないかな?

こういった環境をどうやって作ればいいのか? というのは、いろいろ課題はあるとは思います。でも、感覚的には「そうそう、親元を離れる感覚だよな」って思ったんです。

というわけで、今日の話はこれで終わりにします。じゃあね、バイバ~イ!

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